信祥」のおしゃべりコーナー (その5)

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− 目 次 −
医療保健福祉は人類の文化(平成15年10月9日)
第26回日本医学会総会に参加して
故野添武二の会葬御礼
少子化防止で日本を救おう(平成15年10月4日)
鹿児島県小児科医会創立30周年記念祝賀会
 

医療保健福祉は人類の文化

                   鹿児島県医師会常任理事 鮫島信一

人類は長い歴史の中で、数々の文化を育ててきました。物として評価できるものとできないものがあります。絵画や彫刻は同じ物は二度と描けない、造れない、この世に一つしかない貴重な造形品であることより価値は相応に広がるわけです。遺跡や造形物も同様で金銭で評価できる物ではありません。ところが競争原理の市場経済では芸術作品についても金銭で評価し、商品として流通するようになってしまいました。
 人類の文化の歴史はせいぜい数千年に過ぎませんが、弱肉強食の動物の世界を超えて、思いやりの心を育み、弱者や障害者を保護し養育するという貴重な文化を構築しました。この文化を発展させるためには競争原理を基軸とする市場経済は不向きです。文化施策として医療保健福祉政策を論じなければ、人の生命が物として評価される危険性をはらんでいます。
 第二次世界大戦争終了後はアメリカ対ソビエトの冷戦があり、経済戦争では資本主義のアメリカが社会主義のソビエトに勝ちました。マルクスの「資本論」の内容とは逆のことが起こったわけです。社会主義経済理論の教科書の中には技術革新という言葉は出てきません。「技術革新が続く限り資本主義は崩れない」と第15回Comines(平成13年7月7日、西宮市、甲子園都ホテル)の特別講演で、甲南大学総合研究所所長辻田忠弘先生のお話を拝聴し、感銘を受けました。
 辻田先生のお話は、「今後はアングロサクソン型資本主義(純粋資本主義)と日本型資本主義(社会主義的資本主義)の戦いになる。日本の医療制度は社会主義的であり、良いとか悪いとかではなく、今後はアングロサクソン型資本主義が、グローバルスタンダードへなっていく」と言う内容でありました。
 日本の医療制度は、社会主義的立場からみれば、患者さんには誰にでも平等で立派に見えますが、資本主義的立場からみれば、保護主義的色彩が強く、競争原理は不十分であるため、改革の必要性を迫ってくるわけです。小泉内閣も自由競争の情報化社会を目指しており、日本の医療制度には更なる競争原理の導入が必要との考え方で、改革路線を進めているように見受けられます。
 自由と平等は基本的には相反する理念でありますが、民主主義はこの両者をうまく調和させているのです。相反する思想でも調和は可能です。
 日本は民主主義を基本とする法治国家であり、選ばれた総理は日本国民が選んだ国政の最高責任者であることに間違いはありません。総理の周辺には色々の分野の専門家がついていて、それぞれ専門的意見はよせられていると思われますが、これらの人選は総理の裁量で決められています。経済財政諮問会議には医療の専門家はいっておりません。小泉総理はトップダウン方式による、市場原理優先、財政主導型のいわゆる「骨太の方針2003」を取りまとめようとしていますが、残念ながらこれは単なる経済財政施策でしかありません。
 日本医師会は医療保健福祉の専門団体として小泉内閣に対し、これまでにも色々な提言をしております。これらの主張や提言は日医の役員はもちろん殆ど全ての会員が支持しています。さらに医療の恩恵に与かる国民の大多数も支持しているのであり民意のサポートは得られています。しかも日本の医療保険制度は世界的にも高い評価を受けているのです。「人の生命は地球より重い」という考え方を実践しているのです。
 小泉内閣の掲げる「経済財政運営及び経済社会の構造改革に関する基本方針」は経済財政活性化のためには有効な施策であるかもしれませんが、競争原理優先のアメリカ型資本主義の追随に思えてなりません。日本には世界に冠たる貴重な歴史と文化があります。市場経済の中でも、競争原理に固執せず、日本的な調和の取れた文化施策として、医療保健福祉を論じて欲しいと願う次第です。

第26回医学会総会に参加して

   第26回日本医学会総会に参加して 
                  常任理事 鮫島信一
 4年毎に開かれる日本医学会総会が平成15年4月4日から4月6日までの3日間福岡市で開催された。会場も、シーホークホテル、福岡ドーム、福岡国際センター、福岡サンパレス、マリンメッセ福岡、福岡国際会議場、九州大学医学部百年講堂等と数箇所に分散しており、事前の分担振り分けは無かったので、あちこちの会場をつまみ食いして聴講した。
 1.100周年記念祝典
 厳しいボディチェックや人物確認を受けて入場を許された「皇太子殿下ご出席のもと100周年記念祝典」は初めて体験した国家的大祭典であった。
 主催者や来賓の挨拶もあったが、殿下のお言葉が分かりやすく感銘深く拝聴できた。先端医療の急速な発展に伴う倫理面の問題や患者の立場にたった医療提供などの課題に言及し、このたびの総会の基本理念「人間科学」の考え方を意義深いものと評価し、「成果をアジアとの交流拠点である福岡から、大きく発信されることを期待する」との内容だった。
 2.情報技術文明と医学
 福岡国際会議場メインホールで、東大名誉教授石井威望先生の「情報技術文明と医学」という講演を聞いた。「西暦1000年から1500年は農業革命であった、チグリス、ユーフラテスや黄河等の河川を管理することにより膨大な農業生産が可能となり、アジアの文明が栄えた。1500年から2000年の500年は産業革命に代表される科学すなわちサイエンスが発展しヨーロッパが栄えた。2000年からの500年はITを中心とする情報技術文明が発展する歴史であろう」と言うお話に興味が湧いた。 
 「ITの科学的進歩は10の3乗コづつの改革があり、2011年には技術の理論は頂点にまで行き着くだろう」との可能性を示された。「容量は殆ど無限に広がり、速度は光粒子並に高速化する」というのです。「光が波であり、粒子であるように、コンピューターも、0.or 1.ではなく、0.and 1.を可能にする」ということの内容は難しくて良く理解できませんでした。日進月歩のこの業界も理論上は後10年で頂点に達するとの事です。「後10年は長生きしなければ損をするなぁ」と感じながらお話を聞きました。
 3.感染症
 鹿児島大学小児科学教室では、主として感染症の研究に熱中した時期もあったので、その後の学問の変化や進歩を知りたいと思い、感染症のセクションに出席してみた。
 性感染症、薬剤耐性菌、新興再興感染症、レジオナラ症、インフルエンザの診断と治療の進歩、高齢者肺炎、DNAワクチン、SARSの現状、院内感染対策、バイオテロリズムへの対応など等広範なテーマでの発表があった。
 薬剤耐性菌問題では「溶連菌での耐性化実験で、耐性化を強化すると、毒性が弱まり、生存力が強まる」と言う実験結果を得意に述べる教授もいた。実はこれと同じ内容の実験は1967年(昭和42年)日本伝染病学会誌第40号(P387〜408)に「赤痢菌の抗生剤耐性問題補遺」と題して小生が発表したものと同じだった。36年前の報告ではあるが、ご存知かどうか聞きたくて構えていたが、時間の余裕が無く質疑応答はカットされた。日本伝染病学会賞候補論文(指導:寺脇 保教授、推薦琉球大学学長:小張一峰先生)であり、大阪大学微生物病研究所初代所長:奥野良臣先生からはワクチン製造の基本理論の構築に貢献があったと、当時高く評価して頂いた。
 ついでに、鹿児島大学医学部小児科教室の世界に誇れる古い時代のエピソードを紹介する。今臨床の現場で、エコー(超音波)は無くてはならない検査器具であるが、そのオリジナルは故河野 康先生の「胸部疾患の超音波による診断」(昭和35年11月25日、第14回九州小児科学会)であり、世界に先駆けての自家製製品による研究成果であった。最近の若い研究者が苦労した昔の研究成果を余り引用しないことに些か憤慨している。
 4.終わりに
 日本医学会が九州で開かれたのは初めてであり、1月2月と開催日が近くなっても参加登録者が増えず、関係者からは次々に総会案内の資料が送られてきた。しかし結果は3万人を優に超える参加者があり関係者一同ほっとしたことと思います。会場の設営をはじめ企画運営誠に立派な出来栄えでした。関与された役員の方々に「おめでとうございました。そしてまたご苦労様でした」と万雷の拍手を送ります。

故野添武二の会葬御礼

本日、ここに、故野添武二の葬儀並びに告別式を行いましたところ、皆様方には公私ご多忙の中、しかも寒さ尚厳しい天候にも関わらず、ご参列下さいまして、誠に有り難うございました。野添家及び親族を代表致しまして、婿の鮫島でございますが、厚くお礼を申し上げます。
只今は、鹿児島県歯科医師会会長四元 貢先生、鹿児島市歯科医師会会長森原 久樹 先生、鹿児島県歯科医師会雀大学学長 山内保男先生、そして生前、肉親に優る親しいお付き合いをして頂いた村田和雄様には身に余る、ご弔辞を頂き、誠に有り難うございました。
故野添武二は父上村良太郎と母福子の次男として明治41年11月23日に生まれておりますので、93年2ヶ月の天寿を全うしたことになります。父武二は祖父上村泉三が鹿児島医学校の初代校長でありました英国人医師ウイリアム・ウイリスの愛弟子であった事を誇りにしておりました。泉三の妹セツ子は同じくウイリスの門弟で親友野添正壽に嫁ぎましたが、跡継ぎが無く、父武二は上村家に生まれ育ちながら、幼少にして野添家の養子となり、野添の家督を引き継いで、終生野添武二の姓名を守った訳であります。
旧制加治木中学から九州歯科医専を卒業後、九州帝国大学口腔外科学教室で研鑚し、戦時中は満州国、吉林市で歯科医院を開業致しました。そして関東軍歯科口腔外科嘱託医として軍医の経験もありました。「満州は、文化レベルも高く、生活も豊かで、良い時代であった。」と振り返っておりました。しかし敗戦後は無一文となり、故郷の加治木町に引き上げて、昭和22年鹿児島市の山之口町で野添歯科医院を開業致しました。開業後は苦労も多かったのですが、仕事は順調に軌道に乗せる事が出来ました。
そして昭和32年〜36年まで、鹿児島市歯科医師会会長。昭和40〜48年まで、鹿児島県歯科医師会会長を勤めさせて頂きました。その後色々の感謝状や表彰を受けましたが、昭和57年11月3日、勲四等瑞宝章の叙勲に浴しました。
人のため世のために働きたいと言う奉仕の志は強かったのですが、個性も強く、言い出したら引かない、芯の強い頑固者でありましたので、意見が合わなければ、いやな思いをした方も居られただろうと思います。優柔不断、テゲテゲな事が大嫌いで、自分の思う事をひたすら実行するタイプの人でありました。「現在の歯科医師会館は、土地の購入から設計施工まで、俺が関与して造った」と自慢しておりました。
寺山の西郷隆盛縁の地に緑風台と言う公園や記念碑を造ったり、天保山公園の一角に、薩摩藩財政立て直しの大事業を成功させたものの、密貿易の汚名を着せられて、切腹させられた島津家家老、調所笑左衛門の石碑を建てて顕彰したりしました。
喘息や食道癌等色々な持病がありましたが、病気を克服してのバイタリテイは、俗人の真似の出来ない見事さでありました。
昨年、暮れ頃より体調を壊してはおりましたが、年賀状は自筆できちんと書いていました。 年末までは、言葉も明瞭で、相変わらず毒舌も多く、毛筆を得意としながら、短歌や詩文を楽しみ、とても95歳の老人とは思えない若々しさでありました。
1月14日、突然呼吸困難を来し、急性肺炎で医師会病院に入院致しました。治療のおかげで、病状は一進一退でありましたが、体調が悪くても、意識は明瞭で、厳しい注文も多く、周りのものを困らせて居りました。主治医の鳥居先生や医師会病院6階の看護婦さん始め多くの方々には大変お世話になりました。ご迷惑も掛けた事と思います。それにもかかわらず、医師会病院では、現代医学の最高の治療をして頂きました。「本当に有り難うございました。」
諸行無常は世の常であります。出来る限りの治療をして頂いたのでありますが、薬石の効及ばず、遂に、2月7日午前3時24分、帰らぬ人となりました。
親爺の記憶力は抜群でありましたので、本日お出で下さった皆さんのお顔やお名前はきちんと覚えて居るものと信じます。
静かに考えるより、賑やかに語る方が好きでありましたので、今頃大声を上げて、仲間を集め、此の世での素晴らしい出会いや体験談を披露している。そんな姿が偲ばれます。 これまでにお寄せ頂いた数々のご厚情・ご支援に、深く深く感謝申し上げ、お礼とお別れの挨拶とさせて頂きます。
本日は葬儀、告別式と最後までお付き合い下さいまして、本当に有り難うございました。

平成14年2月9日
野添家親族代表鮫島信一

少子化防止で日本を救おう


[キーワード:少子化、子育て支援、心の健康、次世代育成支援対策]

 1.はじめに
 わが国では少子高齢化が急速に進んでいます。長寿は歓迎できますが、少子化は日本丸沈没の危険性をはらんでいます。
政府やマスコミもやっとそのことに気付いて騒いでおりますが、対応は遅々として進まず、少子化問題はいよいよ難題になって しまいました。
 少子化防止、子育て支援について思うことを述べてみました。ご批判やご意見をいただければ幸甚です。
 2.日本の財政事情
内閣府や財務省の資料によると、平成11年度の日本国民の年間総所得は、およそ380兆円。平成15年度 の国家予算は82兆円規模なのに、国の借金は850兆円を超えており、国家予算の10倍以上の借金です。
一方日本人は節約を美徳として、使わないお金は預貯金にまわすという高度な経済感覚を持っています。そのように して蓄えた金融資産が1400兆円と試算されています。これは銀行などの預金や生命保険、株式、債券等すべてを 含んだ金融資産の総額であり、昭和62年のバブル経済の絶頂期には、アメリカを抜いて日本が世界一の債権国とな りました。何でも世界一でありたいアメリカが悔しがったのは当然です。そして日本バッシングが始まりました。為 替が円高に誘導され、日本の輸出製品が売れなくなり、バブル経済後の日本丸浸水が始まった訳です。
日本国家の多額の債務は、外国からの借金ではなく、国債など日本国民からの借金が大部分であるということで、 政治家も官僚もこの借金をほとんど心配していないように思います(裏では、通貨切り下げや強烈なインフレ策が準備 されているのかも知れません?)。
 納税者である国民は、「税金は高い」、「消費税値上げ反対」を叫んでいます。しかも経済は不況で、活性化のため には公定歩合の引き上げはできず、超低金利政策は続けざるをえません。これらを勘案すれば、更なる増税は無理です。 税収が不足すれば、手がけやすい医療・保健・福祉予算の削減が登場してきます。海外援助資金や防衛予算の削減等を 求める意見もありますが、立場が違えば反論もあり、すでに約束された予算の削減は難題です。小泉内閣は聖域無き構造改革 を旗印に頑張っていますが、目標として掲げた80兆円以内に国家予算は減らせませんでした。
歳出減が期待できなければ、歳入増を計らねばなりませんが、個人一人当たりの労働生産性の向上にも限度があり、 歳入増への切り札は、労働人口の増加しかないように思います。そのためには、今のいびつなひょうたん型の人口構成から、 理想的なピラミッド型の人口構成へ移行する必要があり、少子化防止、子育て支援策を国家的緊急の課題として取り組むことが必要です。
3.少子化とリストラ
 厚労省の統計資料によると、昭和25年(1950年)には1年間に230万人の赤ちゃんが生まれました。 50年後の平成12年(2000年)には119万人と半減しました。50年後の平成62年(2050年)には その半分の60万人になるとの予測があり、生まれる子どもの数がこのまま減少すれば国家存亡の危険性があります。
 少子化傾向に対し、「狭い日本に人口が多すぎる、自然が与えた絶好のリストラだ」として容認する意見もありますが、 国家財政の収支のバランスが崩れて、850兆円もの負債を抱えての現状では、労働人口が減るようなリストラはできないと思います。 人手不足に対し、外国人労働者を雇うという考え方は、すでにヨーロッパで、社会不安や差別などの政治社会問題となり、 失敗しました。単一民族を自慢している今の日本には無理な政策です。
 4.少子化の影響
 子どもが少なくなれば、次世代を荷う生産人口が少なくなるわけで、すでに農業、林業、水産業等の一次産業は後継者がいなく て困っております。さらに人手を要する仕事への就職は敬遠され、自由な職業選択もできなくなります。 子どもたちにとっても、子どもの過疎化が起こり、子どもと遊ぶ相手は同年代の子どもではなく、親であり、 大人や老人になるという困った現象が起こります。
少子化の原因には、子育て費用の増大、住宅事情、核家族化、女性の職場進出、晩婚、 子育て意識の変化など色々な要因が複雑微妙に絡んでの結果でありますが、赤ちゃんを産むのに、 人に頼まれたり社会のために産んだりするわけではありません。しかし、子どもは成人して一 人前の社会人になれば、納税者となり社会に大きく長く貢献することになるし、親に尽くすより、 遥かに大きく社会のために尽くすようになるのです。まさに「子は人の子、社会の子」なのです。
このように大切な社会の宝を一人前に育てるには、少なくとも20年の歳月を要します。 しかも教育費、医療費、生活費等の子育て費用が高くつくのも事実です。その間の育児支援のために、 親個人だけでなく社会全体もまた大幅な援助をすべきです。
 5.子育て支援
2〜30年前は長男の嫁探しに苦労しました。嫁が親(老人)の面倒をみなければならなかったからです。 その後、年金を始め各種の老人福祉政策が功を奏して、老人は胸をはって生活できるようになり、日本は世界一 の長寿国になりました。同じ様な優遇策を子育て中の若者向けに実行すれば、少子化防止策になると思います。 「子どもを産みたい、産んでもよい」と考えている人が「子育てにはお金がかかる、子育ては難儀だ」などと経済的、 社会的支援不足のために、子育てを諦めることがあっては、その人ばかりでなく社会全体にとっても悲しい残念な出来事です。
 子育ての苦労をしないで、豊かな生活を楽しんで居られる方々には、応分の子育て支援(税金などで) をお願いしたら如何でしょうか。産みたくても産めない方々もあり、社会の親として支援することになれば、 人の親としての社会的責務を果たすことになり、相応の満足感が味わえるのではないでしょうか。
 6.心の健康
 人間の健康とは、身体的、精神的健康が言われておりますが、さらに社会的健康を加えた3本の柱が必要です。 このどれかが欠けても健康とは言えません。テロリストは、神の使者を認んじていても、 人の生命の尊さを軽んじているので社会的健康はありません。
 子どもによる極悪な犯罪が報道されることがありますが、しつけや社会的健康教育は幼児期から必要で、 何でも欲しいままに与えるのではなく、善悪の判断や耐える心を培うことは極めて大事です。育児に際しては、 この3本の柱の育成に十分気配りをして欲しいと願っています。
 子育てに際して、自分の生活や都合を優先し、子どもの成育に無頓着な親がいるのも事実です。 子どもは日々成長、発達するのが特徴です。心身の発育には、常に気をつけて観察する必要があり、 心の乱れや悩みが不登校の原因となり、犯罪に繋がりやすいので、親子の絆はしっかりと育むことが大事で、 早期発見、きめこまかな早期治療が必要です。親子離反は少子化より質が悪いと認識して下さい。
 7.子育て支援対策
 子どもは両親によって家庭で育てるのが理想ではありますが、家族や周囲の協力がなくてはうまく行きません。 それは専業主婦でも、共働きの場合でも同じことです。
 女性の職場進出と少子化は密接に絡んでおりますので、女性の働きやすい環境づくりも緊急の課題です。 母子保健法を配慮した企業の雇用条件の改善や保育施設の機能拡大など育児支援制度の充実が大事で、 保育所同士の横の繋がりや病児保育などの子育て支援網を広げて、育児と仕事の両立ができる環境づくりが必要です。
 子育て奮闘中の専業主婦には社会的サービスがほとんどなく、 24時間休みのない育児に心身ともに疲れきった状況に放置されています。 一人になれる時間がない、話す相手がいない、社会から取り残されるような焦りがある、 子どもに何かあったら全部母親の責任といわれる、しかも経済的支援は何もないなどと 育児を荷う心身の負担が重くのしかかっているのです。
 乗り物や買い物をしている妊婦には優しく労り、赤ちゃんを抱っこしている母親や子ども 連れの家族に対しては親しく励ましの声援をおくるなどの気配りをして、親個人だけでなく 、社会全体で子育てを支援しているのだといったそんな雰囲気が大事です。
 わが国では古く万葉の時代に、山上憶良は「白金も 黄金も玉も 何せんに まされる宝  子にしかめやも」と詠んで、これまでいつの時代でも子どもは大切に育てられてきました。交通機関 の乗車券や施設入場料も子どもは半額と優遇されてきたのです。ところが医療保険では今回の改定で やっと3歳未満児の2割負担という優遇策が登場してきました。今後は15歳までの1割負担へと 拡大して欲しいと思います。このような小さな支援策や気遣いが一時的でなく、継続して、次々 に示されれば子育てムードが変わります。子育て環境が良くなれば、少子化防止は目に見えて明るくなります。
 8.経済効果
 赤ちゃん一人を20歳まで育てるのに要する費用は、約3千万円と試算されています。出生数が 1割(10万人)増えると3兆円の消費が増えることになります。10年続ければ30兆円の消費増と なる訳です。更に財布の紐の硬い老人も孫可愛さ故に各種のプレゼントやカメラ、ビデオ等を購入して、 財布の紐は緩みます。将来の労働人口が増えて生産も消費も増えるというそんな条件の良い政策事業が 子育て支援事業の他にあるでしょうか?
 皇室の愛子様御誕生効果は3兆円とも5兆円とも言われております。平成12年度は出生数もわずか ながら増えました。このようなお祝い事や社会的、経済的ムードの変化で出生率は変わりやすいのです。
 出産祝金も相応の効果が期待できそうです。
 9.政策課題
 政府の経済財政諮問会議(議長=小泉純一郎首相)でも今後の社会保障制度の基本方針とし て次世代育成支援対策(少子化対策)の強化が盛り込まれました。マスコミもやっと少子化防止、 子育て支援の必要性に気付いて高頻度に取り上げております。すでに遅きに失してはおりますが、 国家的緊急課題として、子育て費用の減免、扶養手当、扶養控除の増額、育児休暇、育児休職の優遇、 保育施設の充実、子ども用品の免税等次々に育児支援対策を連打して、しかも長期に継続すべきです。
 「子育て支援の大事さは理解されながら、具体的な施策が実行されないのは、子どもに選挙権がないからだ」 との指摘があります。誕生と同時に選挙権を与え、15歳までは親の代行を認めれば政治家は本気になっ て子育て支援に取り組むことになるでしょう。
 10.おわりに
 戦後の日本経済の復興はベビーブームによる消費の拡大とその後の労働力の増大が大きく寄与しました。
 子育てには難儀苦労を伴いますが、子育てに感動し、生きる喜びを感じながら、「子育 ては楽しい」とみんなが言える社会であって欲しいと願っています。
 このまま少子化が進めば日本は衰退します。世界的視野に立てば子どもの数は減ってはおりませんが、 乳幼児死亡率、平均寿命などの衛生指数には格差があり、生活様式、文化、歴史は異なります。子育て支援策 を充実して少子化防止に真剣に取り組み、日本の未来を明るくしてほしいものです。

祝賀会挨拶


  鹿児島県小児科医会設立30周年挨拶

 皆さん今晩は、この度は設立30周年を記念して祝賀会を催しましたところ、公私ご多忙の中、このように沢山の方々にご臨席いただきまして本当に有難うございました。
 本日は、会員でないお客様もお出で頂いて居りますので、鹿児島県の小児科医会の歴史を少し述べさせて頂きます。
 昭和25年2月、鹿児島県立医科大学付属病院会議室で、公式には、第1回の小児科医の集まりがありました。出席者17名、会費100円、会の名称は童心会と称しました(わらべのこころの会と書きます)。その後も必要に応じて開催されておりますが、勤務医も開業医も参加し、毎回凡そ20名前後の出席があったことと、協議の主たるテーマが記載されています。
 昭和49年9月26日、第38回例会をホテル鶴鳴館で行い、出席者22名と書いてあります。童心会としてはこれが最後でありますが、この童心会の経緯は会員であります有馬桂先生のお父様、有馬巌先生が鹿児島市医報に詳しく書いてあります。
 鹿児島県小児科医会は昭和48年6月16日に童心会を発展的に解消し結成されております。当時は木庭 長先生が会長でありました。その後は総会兼学術講演会を年2回づつ続けておりますので、今回が30周年記念ということです。童心会から数えますと53年という事に成ります。日本小児科医会が発足20年でありますので、歳の上では我々が兄貴分と言えるかも知れません。
 昭和54年8月、西健一郎前会長が中心になり、小児病院建設促進協議会を組織して、「小児病院の必要性を訴えて」関係機関や関連団体に陳情して廻りました。結果は、残念ながら、財政難を理由に却下されましたが、鹿児島市医師会病院建設に際しては、その代償として、多額の政策援助を頂きました。お陰で鹿児島市の小児医療は組織としてはうまく稼動していると認識しています。
 平成12年5月には第11回日本小児科医会生涯教育セミナーを鹿児島市で開催させて頂き、全国から500名を超えるご参加があり、盛会裏に終了できました。天野先生には当時を振り返り、改めて厚くお礼申し上げます。
 鹿児島県では、昭和48年、全国に先駆けて、医療費助成制度をスタートしました。6歳未満児の医療費を入院外来合わせて3000円を越えた分を助成するものであります。救急医療、乳児健診、各種予防接種は地域差はあるものの、行政には相応のご協力を頂いておりますので、そのことに対しましては厚くお礼申し上げます。しかし未だ意に満たない部分も多々ありますので、今後ともご支援ご協力のほどよろしくお願い申し上げます。
 子育て支援、少子化防止は、日本経済を救う緊急の政策課題であります。子どもの数が増えなければ、日本丸の沈没は目に見えております。小児医療は今まさに曙の医学でなければならないのであります。
 診療報酬の評価を変えれば小児医療はもっと良くなります。
 今後とも子育て支援のために、そして小児科医会発展の為に、ご指導ご鞭撻をお願いしてご挨拶とさせていただきます。
 ご来賓の先生方、本日はご多忙の中、ご臨席くださいまして、誠に有難うございました。厚く厚くお礼申し上げます。

        平成15年4月20日
           鹿児島県小児科医会会長 鮫島信一

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