信祥」のおしゃべりコーナー (その1)

おしゃべりコーナー(その2)
おしゃべりコーナー(その3)
おしゃべりコーナー(その4)
おしゃべりコーナー(その5)
おしゃべりコーナー(その6)
おしゃべりコーナー(その7)

− 目 次 −
調所広郷銅像碑文
玉音放送に思う
ホームページの紹介と挨拶
処世訓
医療費の適正利用について
日本国株式会社倒産
薬価基準と返品システムについて
研究・教育・診療・社会医学「四本の柱」
アクセスカウント4135アップ
我がホームページオープン
生物の生命サイクル
アジアが先進文明国

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調所広郷銅像碑文

  最近、調所広郷の話題が聞かれるようになりました。義父野添武二が鹿児島県歯科医師 会会報平成11年1月号に「是でも調所広郷は悪人だろう か」を9頁に渡って書いております。
 薩摩藩の財政立て直しに活躍した調所広郷の多様な功績を正しく知って欲しいとの内容です。
 更に天保山公園に 銅像を建立し、鹿児島市に寄進しました。その銅像碑文を紹介します。
  『 幕末に近い文政十年(1827年)薩摩藩の借金は五 百万両の巨額に達っしていた。当時の藩の年収総額十数 万両は、借金金利に遠く及ばず、将に破産の危うきに あった。
  時の島津藩主重豪公は、究極の策として一介の茶坊主 上がりの調所広郷を家老に抜擢、藩財政改革を厳命し た。
  調所広郷はその期待に見事に応え巨額の負債を解決 し、あまつさえ五十万両の蓄えさえ残した。 更に藩政の興隆を図り、数々の土木工事を行った。
 平成 五年八・六水害で惜しくも決壊、撤去されたが、県民に 親しまれた西田橋など甲突川五石橋や天保山地区の造成 も全て調所の発案であった。
  改革は藩内に留まらず、広く海外交易にも力を注ぎ、 琉球を通じた中国貿易の拡大、北海道に至る国内各地と の物流の交易をはかって、藩財政の改革の実を挙げた。
 だが歴史は時の為政者によって作られる。調所広郷は 幕府に呼ばれ、密貿易の罪を負い、自害に追い込まれ、 今も汚名のままである。
  島津斉彬公の行った集成館事業はじめとする殖産興 業、富国強兵、軍備の改革の資金も明治維新の桧舞台で の西郷・大久保の活躍も全て調所の命を賭け、心血を注 いだ財政改革の成功があったから出来たのだと思う。
  ここに調所広郷の銅像を建立し、偉業の後世に遣る事を願う。』
 (銅像は平成10年3月29日除幕式を経て、天保山公園、厚生連病院入り口近くに あります。)

  (追記その1,平成11年12月3日)
 調所広郷についてのNHKの放映のビデオを拝見しました。
さすがにNHKだけのことはあり、立派な作品でありま した。 しかし参加者の感想等の発言を除けば内容は、「是でも調所広郷は悪人だろ うか」のつまみ食いと感じました。
 薩摩藩財政難の遠因に「五代将軍綱吉の養女竹姫と島津 22代藩主継豊との婚儀」がありました。敷地2万坪の屋敷に、7千坪の御主 殿を造らねばならず、竹姫のお供女中衆2百余名を抱え させられ、負債67万両に達したとの史実は抜けていま した。大奥のリストラを薩摩藩に押し付けたと言う下り です。
 調所広郷の多様な功績を評するために、奄美の過酷な砂 糖増産回収、越中富山の薬と昆布貿易の収益は大きかったのですが、扱いは薄かったように思います。
 調所広郷の銅像建立は、平成10年3月29日除幕式を 終えました。像は彫刻家木佐貫煕先生作、資材石材は前 迫初美さん提供です。
 製作、設置費用はうん千万余を要しましたが、「いまだに悪家老の汚 名が着せられている調所広郷の名誉挽回に役立てたい」 との一心で、経費の内訳は口外していません。
 除幕式には、郷土史愛好家や彫刻家、報道関係者等百余 名が集まり、なかなかの盛会でした。
 翌3月30日の南日 本新聞、鹿児島新報、西日本新聞、毎日新聞、朝日新聞には写真入 りで、大々的に報道されました。
 建立場所はNHK鹿児島支局の近くで、原口先生も良く ご存知なので、調所広郷顕彰像の紹介もあって欲しかっ たと残念に思います。

追記その2調所広郷の無念  (平成11年12月12日)
NHKの大河ドラマは迫力があり、筋書き、演出も良いので、毎回楽しみにみております。
今回の「元禄繚乱」も殆ど欠かさずに見ました。歴史を表からばかりでなく、裏からも見る楽し さを満喫しました。色々の人物が登場し、色々の見方があることの楽しさでした。
東照宮の住職公弁法親王が「切腹申し付けるが、仏の慈悲、武士の本懐にございます」と将軍に進言しました。 そしてそのように実行されました。
武士は腰に刀と脇差しをさしていたのは良く知られております。
刀は攻撃のための武器であり、 脇差しは身を守るための武器でありました。切腹は刀でなく、脇差しでする掟です。
調所広郷の銅像には脇差しを差しておりません。
薩摩藩主島津斉彬は、調所を藩の名誉を汚した逆臣として、脇差しを取り上げ、服毒自殺を臭わせたと書かれております。
調所広郷の無念や如何ばかりかと「東照宮住職の進言を聞きながら」思う事でありました。

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玉音放送に思う

1945年8月15日正午から約40分間放送された終戦を告知する放送の中で、昭和天皇が戦争の終結とポッダム宣言の受諾を告げる詔書を朗読された。 朗読の時間は約5分間であったが、天皇の御声は玉音と敬称された。
この玉音テープ「終戦の詔勅」を書いた人は、 鈴木内閣書記長官迫水久常さんであつたのは良く知られている。「耐え難きを耐え、忍び難きを忍び・・・・」の名文は、 徳川幕府の薩摩潰しの陰謀であった木曽川治水工事の難題を背負った薩摩藩士平田靭負の発言の一齣であるが、 郷中教育を受けた薩摩っ夫の迫水さんが引用して更に名文となった。
当時の軍部は、国民総玉砕を主張する徹底抗戦者が主流を占める中、 詔勅の録音とテープが無事放送されるのを助けるのは至難の業であった。それを何の滞りも無く、無事に放送を成就させた影の人物がいた。
今にして思えば日本の命運を決定付けた偉大な人物と称えて良いと思う。鹿児島県薩摩郡黒木村出身の 一戸(旧姓柏原)公哉さんであった。 氏は陸大を主席で卒業し、陸大校長の陸軍大将一戸兵衛に見込まれて、婿養子になった。終戦当時は陸軍中佐近衛師団参謀長であった。
本土決戦、徹底抗戦主張者が主流を占める軍部の中枢にいて、戦局を弁え、将来の日本の再興を託しての決断と、放送への邪魔を排して、 戦禍の幕引きを平穏に成就した手腕は高く評価して欲しいと、終戦記念日が来るたびに思いを新たにしている。
「本来、軍法作戦会議にかけるべき重要議案であったが、かければ否決されるのが目にみえていたので、 軍事裁判は銃殺を覚悟しての、独断遂行であった。」ともらしていたと言う。
公哉さんは兄が 小山(旧姓柏原)公利さん(陸軍大佐、大本営参謀) で終戦後は兄弟二人ともA級戦犯として巣鴨刑務所に拘置されたが、ここで公利、公哉の兄弟は談話の機会があった。
除刑後、公哉さんは渋谷に住んでおられた。私は、東京でインターンをしたので、昭和35年ご挨拶にお宅を伺ったが、 物静かな語り口調の中に、鋭い眼光でにらまれるのが恐い印象であった。
小山公利さんは旧鹿児島県衛生部参与の小山国治先生の義父で、私の父とは従兄弟(母親同士が姉妹)の関係にある。 除刑後は揖宿郡頴娃村に帰り、しばらくではあったが百姓に勤しんでいたので、再三面談の機会があった。
一戸公哉さんの事も小山公利さんに聞いた話である。 (平成11年8月15日記)

平成11年7月より、鹿児島西ロータリークラブに入会し、親睦委員会に所属することになったが、隣に松原神社の宮司 岩切 豊さんがおられ、 「私の縁戚、一戸公哉さんの義父は明治神宮の宮司だつたらしい」とお話したら、一戸兵衛大将が明治神宮の宮司であったことは既にご存知であったが、 人の縁に興味を示され、早速、明治神宮の資料を頂くことが出来た。
一戸兵衛は、明治神宮初代宮司一條實輝没後、大正13年3月9日二代宮司に任ぜられた。 一戸宮司は、昭和5年明治神宮鎮座十年祭を盛大に執行し、その時の祭典の内容、式次第、明治神宮歴代宮司のお写真、 一戸宮司の筆、祝辞等始めてみる貴重な資料であった。「明治神宮宮司 従二位 勲一等 功二級 一戸兵衛」は昭和6年までその任にあったことが記されていた。 文官出身の陸軍大将で、陸大校長としても名声があった。

迫水久常さんは義父野添武二の縁戚である。(母親同志がいとこ)

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ホームページの紹介と挨拶 『小児科医「信祥」の人生行路』

鹿児島県医師協同組合では、昭和59年4月、会員向けコンピューター講座を開催した。1日2時間の講義を週2回、8回受講して修了したが、講師は当時、斯界の第一人者、富樫昭先生が中心であった。以来パソコン(IBM5540,当時購入価格180万円)との付合いが始まり、腸内細菌やキャンピロバクターの統計的処理という学術的利用や小生自身の悪筆症治療用の用具(ワープロ)として活用していた。
数年前、Windowsやインターネット機能が欲しくなり、現在機種(IBM6887,購入価格50万円)を購入した。
インターネットは楽しいものの、下手にダウンロードすると、クレジットカードの番号を要求されたりして、何が起こるか分からないとの不安から、無料の囲碁対局やゲーム以外はもっぱら見物専門者と決め込んでいた。
ところが2、3年前まで、パソコンは見向きもしなかった筈の親友中園三宏君や曲田公光君が俄然パソコン狂に変身し、インターネットの専門家となって、独自のホームページを自由に操れるようになった。
両君の昼夜を分かたぬ誘いや指南を受けながら、バナー等の素材集を何とか使えるようになった。
メールのやり取りの中から中園兄が『小児科医「信祥」の人生行路』とタイトルを命名してくれた。
ホームページは作者の意図により色々なスタイルがあるが、固定した内容のものは、古新聞を見る気がして好きになれず、出来るだけ更新するよう心がける事にした。更に、自己主張の場でありたい、趣味の紹介もしたい、職業がら育児相談もしたい等と欲も出て、表記のタイトルを愛用している。
来年5月には、第11回日本小児科医会生涯教育セミナーを、会頭として開催することになったので、一番見やすいところに「セミナーのご案内」を掲載した。
既にホームページをごらん頂いた方々には無用の事ではあるが、以下に掲載内容を紹介する。
育児相談コーナーには、「相談窓口」「子どもと大人の違い」「予防接種」「ストレスと心の健康」「ミルクを飲まない」「24時間風呂は安全か」「抱き癖と夜泣き」「よだれが多い」「指しゃぶり」「食物アレルギー」「薬の上手な飲ませ方」「人見知りについて」「インフルエンザ」「お座りが出来ません」「乳幼児突然死症候群」「口臭について」「後頭部の熱感について」などが書いてある。
メールで相談があれば、取り敢えず自分なりの考えを返信し、プライバシーを配慮して公表してさしさわりの無いものだけを載せている。
「インフルエンザ」の欄では、その流行期には、流行情報を殆ど毎日更新した。
詩吟コーナーには、「『信祥』の詩吟歴」、日本吟道学院発行の吟道範典の中から私の好きな「自由詩」「漢詩」を選んで数編載せた。
おしゃべりコーナーには、思うこと、考えることを参考資料を提示しながら掲載しているが、内容が多くなったので、取り敢えず、古い順に(その1)、(その2)、(その3)と分割掲載している。
目下、庭いじりと同じような気持ちで、週2、3回は、追加更新作業を行ってはいるが、掲載事例をカットするのは無責任な気がし、長く続けると、変わり栄えしないので、更新の内容と時期は難題である。
一月に1回位、覗いて頂ければ有難いと思っている。
(鹿児島県医師会報平成11年7月号26〜27頁に掲載)

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処世訓

すんだことは すんだこと
そのときは その時

平成11年の正月は久しぶりに家族全員(9名)揃ったので、お宮参りに出かけました。
途中にお寺があり、門前に上記処世訓が書いてありました。
更に、色々の訓言が書いてありましたが、今年の努力目標は下記の2句と決めました。
努めよう 自分の仕事に
目覚めよう 感謝の生活に

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医療費の適正利用について
(平成11年8月4日)

Q:いつも月末になると、レセプトが減点されてくるのに腹立たしい思いがしております。
CRPや、検尿など重箱の隅をつつくような内容です。
一方では、88歳の女性が某大学病院に入院し、肺炎から腎不全になり、家族はそこまではと思ったが、人工透析までして頂いた。結局は死亡してしまいました。
「虚血性心疾患研究会」での報告によると、高齢者(平均83歳)の心筋梗塞に対するインターベンションにかかった費用(45日入院して560万円) などの報告がなされていたが、平均余命幾ばくもない高齢者に莫大な費用を注ぎ込む等 審査会では、そう言う点は議論されないのかといつも不思議に思っています。

A:審査会では個別のレセプトについて、法律や申し合わせ事項に照らして、適正妥当であるか否かを審議する場であって、法律そのものの妥当性を審議する場ではありません。
医療費の配分については、保険医療審議会で決められておりますので、県医師会を通じて意見の上達をお願いすることになります。
今の出来高払いは、成功報酬的要素は無視され、結果の如何に関らず、仕事量に対する報酬でありますので、仕事の多い人ほど歳入は増える仕組みになっております。
介護保険に大手企業が参入を狙っているのも、「仕事量を増やすことがサービスとして評価される」、結果として収入増につながると短絡に考えてのことではないでしょうか?
「日本医師会よ、しっかりしろ」と私も怒りたい気持ちです。

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”日本国株式会社倒産”
(平成10年10月24日記)

  平成8年度の資料ではあるが、日本国民の年間総所得は380兆円、国家予算は80兆円、国の借金は500兆円あった。年間予算の6倍もの赤字がありながら倒産しないのは何故でしょうか?。国民の預貯金が世界1で、1500兆円もあるからなのです。しかもその大部分は、保険会社や大会社のお金であります。今回の長銀の倒産に限らず拓銀にも国民の税金が「預金者の信用不安をなくす為」と言う美名の下に投下されております。保護するのは個人の預貯金に限るべきだと私は主張したいのです。他人の預貯金ではあるが、日本国民の預貯金であるので、1500兆円までは赤字を作っても良いとのムードが伺えます。ところがこの預貯金はあくまでも名目であり、実質は海外へながれ、大変な為替損を出して、目減りしているとの情報もあります。
1万円の商品券をばらまいて目先を変えても、今の経済不況は治癒しないでしょう。ただ、うまく経済が立ち直って来ても、次に見えてくるのは日銀券大量発行によるインフレ政策が控えているように思えてなりません。
政府高官に国政の失敗を尋ねると、決まってかえってくる返事は「私たちは、国民の皆さんが選んだ議員さんたちが、国会で決めて頂いた法律を遵守しているだけですから。」と逃げられてしまいます。
国民が選んだ政府であり、政策だと逃げられては何も言えません。
二度と無い人生です。今を大事にして心の洗濯をして頑張りましょう!!。

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薬価基準と返品システムについて

健康保険で、現在使っている薬価は、需要供給で決まったのではなく、厚生省と製薬会社の談合で決められております。しかも製薬会社は大量に売りたいために、値引き販売して利益を求めました。医師側もその差額に目を着けたのは当然です。市場原理を無視して薬価を決めた厚生省のやり方が悪の温床であったのに、責任を医療側に擦り付ける厚生省やマスコミの批判は的を得ていません。
薬を購入する場合、小包装が無く、デッドストックになると分かっていても、置いておかねばならない薬が、棚卸しをすると、意外に多いのに気づきました。医療は営利事業では無いので、薬価差利益は要らないが、同時に薬損もしたくありません。小包装のデッドストックについては、返品出来るシステムが必要だと思います。

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研究・教育・診療・社会医学の「四本の柱」

最近、臨床教授の講演を拝聴する機会がありました。簡にして要領良く纏めて、さすが大学教授だと感銘深いお話が聞けて満足でした。しかし教育姿勢は、従来通の研究、教育、診療の三本柱を尊守しているようです。
ところが、横浜市立大学小児科の横田俊兵教授はこれに「社会医学」を加えて「四本の柱」を述べられました。臓器学のスペシャリストになる前に一人の人間の全体を診れる事、社会との相互作用や地域特性への理解を深める事等をあげておられました。
今後若い医学徒に是非教育して欲しい分野だと感心しました。

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アクセスカウント4135
(平成11年8月15日)

平成10年8月14日お盆の日にホームページを立ち上げましたが、1年後の8月15日開いて見たら4135と増えておりました。1年間で4千を越えたことに対し、嬉しいと同時に責任の重さを感じます。
挨拶で述べた通り1年経ったのでいろいろ手入れが必要のようです。
アクセス300アップ (平成10年10月12日)

私のホームページも、お蔭様で、アクセスカウントが300を越えました。家内に「今日は300名を越えたよ」と言ったら[珍しいですね、何年ぶりなの」との返事がかえってきて、苦笑いしました。
小生の若かりし十数年前は、患者さんを一日2〜3百人診る事があり、3百を越えた日には職員に千円づつの大入袋?を出しておりましたので、家内はそのことと勘違いしたわけです。50人も越えたら「ハイタヨ、ダレタ」の現状とは大違いで、「昔シャ、良ウ、キバイゴッタトナァ」と笑い方でした。

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平成10年8月14日ホームページオープン

師匠の中園、曲田さんのご指導で、四苦八苦しながら、ホームページを、8月14日、オープンしました。その後もご指導を頂きながら、何とか、自分の意見が書けるようになりましたので、自己流に、思う事を書いてみました。

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生物の生命サイクル

科学も医学も日進月歩です。生物には、「誕生−>成長−>成熟−>老化−>死亡」と言う生命のサイクルが必定であります。人類は火や言葉を使えるようになり、生存技術は急速に進歩発展して参りました。最近の電子機器を始めとする工業技術の進歩発展は有難いのですが、核兵器の開発は恐くてなりません。科学が抑制の無いまま、際限なく発達すると、人類は、「成熟−>老化」を飛び越えて、ある時突然に、破滅(死)に至らねば良いがと、つまらぬ心配をしております。

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アジアが先進文明国

千数百年前の日本や中国の文化は目をみはるものが数多くあります。
万葉集、源氏物語や古墳などから教えられる色々な文化遺産は決してヨーロッパに引けをとりません。
今、ヨーロッパは先進国と称されて、確かに栄えております。ルネッサンス前後から、科学は明らかにヨーロッパが東洋に勝っておりました。
しかし千年前の文化は、中国や日本が華やかではなかったかなぁと、詩吟を勉強しながら感じております。
唐時代の詩歌の作者だけでも、孟郊、孟浩然、、王維、杜甫、李白、張謂、韓愈、白居易、杜牧、等など枚挙にいとまがありませんし、台北の古宮博物館を見学すれば、私の主張に御賛同頂けるかも知れません。

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