保育者のビタミン






(4月) 今日は、何回プッツンしましたか?

気持ちも新たに始まった新年度。これからの1年に対して、様々な抱負を胸に臨んだものの、周囲を見まわすと、ここにも、あそこにも泣いている新入園児がいたり、中にはいつの間にか部屋から外に飛び出して、勝手気ままに遊んでいる子もいたりします。
 先月は年度の終わりということで、日々慌ただしく過ぎ去ったものの、子ども達はどの子もそれぞれ年度当初とし見違えるくらい心身共に成長して、室内は春の光のような穏やかさに包まれていたのに…。
 そんなことを振り返って溜息をついていると、その間にもいろんなトラブルが発生していたりします。部屋の中を走り回ったり、遊具の取り合いから友達とケンカをしたり、手洗いに行ったはずなのに水遊びをしていたり…、しかもそれは一日に何度も目にする光景です。
 そんな時、思わず「今、注意したばっかりなのに!」と叫びたくなること、ありますよね。だから「今日は、何回プッツンしましたか?」などと尋ねられると、「いっぱい…」なんて答えてしまう人もいたりするかもしれません。
 でも、そんな悪夢のような日々がずっと続く訳ではありません。これからの一年、よろしくお願いします。

 
(5月) お母さんを育てるのは 赤ちゃんです

一般に、子どもを生んだ人は「お母さん」と呼ばれます。けれども、生むことと育てることはまた別です。だから名実共に「お母さん」と呼ばれるようになるためには、苦難の道のりが待ち受けています。
 特に、初めての子育てに際しては「どうして、赤ちゃんって、突然泣いたりするんだろう?」から始まって、たくさんの疑問と不安に押しつぶされそうになり、眠れなくなることもあったりするほどです。
 でも、赤ちゃんの毎日の笑顔に、喜びとか元気をもらったり、やさしさとか、自分を育んでくれた親の恩というもの教えられながら、ゆっくりと本当の意味での「お母さん」になって行くのです。
 それは、保育者だって同じことです。園に勤務すると、確かに「先生」と呼ばれるようにはなりますが、子ども・保護者、そして園長先生をはじめとして先輩・同僚からも信頼される保育者になるためには、山あり谷ありの何とも険しい道のりが延々と続きます。

 保育者は「子どもを育てる」ということに日々携わりながら、その子ども達から育てられ、一人前の保育者になっていくのです。このような「共に育ち合う」保育の在り方を「まことの保育」といいます。

 
(6月) 落ち込んだりもしたけれど 私は元気です。

 日々の保育を進めていく中では、当初の保育計画通りに行かないことがしばしばあります。特に、外遊びを予定していたのに、その日の天候が雨だと、内容そのものの変更を余儀なくされます。
 また、クラスの中に、自分自身をうまくコントロールすることの出来ない子がいたりすると、その応対に終始して大変だったりします。
 保護者も、一様ではありません。色んな考えの人がいて、親和的に接してくれる人もいれば、愛想のない態度で接する人もいたりします。
 そして、あんなこんな…といった上手くいなかいことが一度に降りかかってきた日は、相当に落ちこんだりもしてしまいます。
 けれども、だからといって、いつまでも落ち込んでいたのでは、日々の保育に支障をきたしてしまうことになります。
 そんな時、いかに素早く気分転換をするか…。
 缶ビールを一気に数本空ける! 
 カラオケで元気の出る曲をひたすら歌う! 
 スポーツで発散する! 
 リフレッシュの仕方は、それぞれでしょうが、やはり一番の薬は、「大好きな子ども達の笑顔」であってほしいものです。

 落ち込んでも、落ち込んでも…、元気なあなたでいて下さい!

 
(7月) 流した汗は、むくわれる

日々の保育を行うに際しては、どの園でも先生方はそれぞれの園が掲げる「保育目標」を達成するために、保育(教育)課程、年間指導計画、月案、週案、日案などを作成する必要があります。
 ですから「今日は何をしようかな〜?」といった、行き当たりばったりの保育を行うという訳にはいきません。また、きちんとした計画等を立てて保育を行ったとしても、それで終わりではありません。
 例えば「絵本や紙芝居の読み聞かせ」を設定した場合、当日「どれを読もうかな〜?」は、問題外です。事前にどの教材を用いるのか選定し、その内容をきちんと把握しておくことが大切です。
 しかも保育を行った後は、計画通りに出来たのか、出来なかったのかそのことの確かめを行い、もし上手くいかなかった時にはどこに問題があったのか反省し、次に行う際の改善点を考える必要があります。
 でも…、それってけっこう大変ですよね。「計画⇒実行⇒評価⇒改善」、常にそれを繰り返していくためには、夏の暑さに負けないくらいの情熱が必要です。
 流した汗は、むくわれます。その繰り返しが、きっとあなたを素敵な保育者にしてくれると思います。

 
(8月)
許せばいい!

ある日のことです。何度注意をしても子どもがいたずらばかりするので、父親が怒って言ったそうです。「口で何回言っても、たたいても分からんのなら、お父さんはいったいどうすればいいのか」と。
 園の中にも、何度言い聞かせても、きまりや約束を守れない子がいたりします。さすがに、このお父さんのように「たたいても…」ということはないでしょうが、「口で何回言っても分からないのなら、どうすればいいの…」と、言いたくなること、ありますよね。
 この叱られている子どもは、お父さんの問いかけに対して、涙をポロポロ流しながら一言。「許せばいい!」と。小さなことで、いちいち怒るなということかと、家族みんなで大笑いしたそうです。
 ともすれば、私たち保育者は、子どもの過ちを見つけると、つい「注意をしなければ!」と思ってしまいます。確かに、次から間違えないようにするために、そのことを子どもに考えさせることは必要です。
 でも、自分がそうであるように、誰もが「これは間違いだ」と思って何かをしたり言ったりしている訳ではありません。そのことを念頭において、関わっていくことを忘れずにいたいものです。

 (9月) 人生は舗装された道ばかりではない

道路は、日本全国すべてが舗装されているという訳ではありません。
凸凹の道、急な坂道や曲がりくねった道などもあったりします。

 人生も、順風満帆のときばかりではありません。いつ何時、とんでもない逆境に陥るか、誰も予測することは出来ません。
 私たちは、嬉しいこと楽しいことは大歓迎しますが、辛いこと悲しいことからは出来るものなら逃れたいと思っています。
 けれども、条件次第でどのように展開していくか分からないのが、私たちの人生の事実です。保育の現場でもなかなか計画通りにいかないことからも、そのことはご理解いただけるのではないでしょうか。
 考えてみると、私たちは上手く行った時よりも、失敗した時の方が色々なことを学んでいることが多いようです。上手く行っていたら気付かなかったことも、むしろ失敗したことで学び得ることがあるとすれば、その失敗は決して無駄ではなかったということになります。
 人生もそして日々の保育も、なかなか私の思い通りにはならないものです。でも、だからこそ私たちは多くのこと学べるのだということに気付けば、恐れるものなど何もないのではないでしょうか。

 (10月) 不思議、大好き

辞書を引くと「不思議:ふつうでは考えられないこと」と、述べられています。この説明の前に「大人の目から見ると」という言葉を入れると、園の中にはたくさんそういう光景が見られます。
 手洗い場でコップに水を入れて、そのコップの中で手を洗っている子。昼寝の際、お腹にかけるバスタオルを畳んで、枕替わりにして寝ている子。何度教えても、いつも靴を左右反対に履いている子。
 大人の目から見ると、どれもふつうでは考えられないことばかりに思えるですが、子どもにとってはそれが当たり前のことのようで、まさに「不思議、大好き」といった感じです。
 ともすれば、私たちはいつも大人の視点からだけで子どもを見て、一方的な判断を下してしまいがちです。けれども、子ども達も、決して無意味なことばかりしている訳ではありません。
 たとえ大人にとっては、「不思議=ふつうでは考えられないこと」であったとしても、やはりそこには子どもなりの考えがあるのです。注意する際も、そのことを理解した上で、子ども達と関わって行くことを「子どもの心に寄り添う保育」というのではないかと思います。

 (11月) 他人という鏡に映った私は、美しいだろうか

 私たちは、「自分のことは誰よりも自分が一番よく知っている」と思っています。でも、本当にそうなんでしょうか。もし知っているとしても、きっとそれは半分くらいのことに過ぎません。
 なぜなら、私の知っている私とは、自分で評価している部分だけの私の姿で、他の人の目にはいったいどのように映っているのか、なかなか知り得ないからです。
 一般に、他の人は私のマイナス面については、なかなか教えてくれないものです。 「他人の悪口は嘘でも面白く、自分の悪口は本当でも腹が立つ」
と言われます。お互いにそのことをよく知っているので、友だちのいない孤独な人生を覚悟している人ならいざ知らず、聞きようによっては悪口と取られるようなマイナス面に当たる、私についての本当のことを教えてくれる人は、世の中には極めて少ないのです。

 さて、他人という鏡に映った私は、美しいでしょうか。もちろんそれは、見た目の美しさではなく、「人として」ということですが、たとえ耳の痛いようなことであっても、謙虚に人の忠告に進んで耳を傾けるような姿勢を身につけるようにしたいものですね。

 (12月) どうも、君の笑顔がボクの体にいいみたい

「お母さんがいーい!」と、保育園中に響きわたる子どもの叫び声。
何事が起こったのかと駆けつけてみると、これから仕事に向かう母親と別れ難くて、女の子が保育室の前で泣き叫んでいるのでした。

 新入園児だけでなく、入園して数年を経ている在園児でも、また年度当初だけでなく、年度の途中であっても、時折目にする光景です。
 泣いている時には何を言っても無駄なので、こんな時には水を飲ませたりして、子どもが落ち着いた後に、語りかけるようにしています。
 「お母さんのこと好き? 嫌い?」 答えはもちろん「好き!」
 「では、泣いた顔と笑った顔、どっちが好き?」 当然「笑った顔!」
 だったら、大好きなお母さんには、君の一番可愛い、そのニッコリのお顔を見せてあげるのが良いのでは?」と、問いかけます。
 数日後、「行ってきまーす!」と、笑顔で母親を見送る元気な子どもの声が聞えたので行ってみると、先日泣き叫んでいた子でした。
 思わず駆け寄って「それ!それ! そのニッコリのお顔だよ!」と言いながら抱き上げると、満面の笑みが返ってきました。
 素敵な笑顔は、誰の心にも、そして体にも、元気を与えてくれるみたいです。

 (1月) 働いているだけでは、プロにはなれない

 「プロフェッショナル」略して「プロ」。
 本来の意味は「職業上の」で、その分野で生計を立てていることを言い、「公言する、標榜する」が語源です。
 対義語はアマチュア
で、類義語には「熟練している」という意味の「エキスパート」や、「特化していること」を意味する「スペシャリスト」などがあります。

 なお、日本語としての「プロ」という言葉には、

@ ある分野について専門的知識・技術を有していること、あるいは専門家のこと。

A そのことに対して厳しい姿勢で臨み、かつ第三者がそれを認める行為を実行している人。
 という派生的な意味があります。
 そうすると、「職業欄」に「保育士」「幼稚園教諭」と書く人は「保育のプロ」。言い換えると「保育のエキスパート」・「保育のスペシャリスト」になる訳です。

 いかがですか? そんな風に言われたとしたら…。赤面しないまでも、何となく気恥ずかしい気がしませんか?
 名実共に「プロ」と言われるあなたをめざしてください!

 2月) 恋愛ばかりじゃ、不安です

夢中になるものが恋愛しかない人って、少し淋しい気がしませんか。あなたの好きな人には、仕事や仲間、趣味など…、あなたの居ない、あなた以外のいろんな世界があるに違いありません。
 また、恋した当初はアバタもエクボで、相手のことは何でも許せてしまうものですが、恋が愛に変わると、相手を束縛したり、些細なことで嫉妬したり…と、いろいろ許せないことが増えてくるものです。
 ところで、保育を行う上でも、乳児の頃は、
 立った!
歩いた! 自分の名前を呼んでくれた!
そういうことに喜びを感じていたのに、いつの間にか行事などで高い評価を得ようとするあまり、無意識の内に子どもたちを素材にして、自分の思い通りの保育を実現しようとすることだけにしか関心が向かなくなってしまうことがあります。

 そうなると、子どもたちを自分の思いという枠の中にはめ込もうとして追い込んだり、思い通りにならない子どもがいると必要以上に叱責している自分に気付かなかったりすることもあるようです。
 ひとつのことに夢中になることは否定しませんが、でもそれだけになって自分を見失うことのないように、気を付けたいものですね。

(3月) あなたが会いたい人も きっとあなたに会いたい

 「
古今和歌集」の中に、クレオパトラ、楊貴妃などと並んで絶世の美女として伝えられている小野小町の
 うたた寝した時の夢に、恋しい人を見てしまってからは、
 あなたが私を想ってくれていると、夢を頼りにし始めるようになってしまった。
という歌が、収められています。

 
自分の好きな人が夢に出てきて、幸せな気分に浸っていたのに、目を覚ました後に現実に引き戻されてガッカリしたということはありませんか。
 でも、この時代には「相手が自分を想ってくれていると、その人が自分の夢に出てくる」という俗信がありました。
 現代風に言えば「両想いだと、恋の相手が自分の夢に出てくる」といったところでしょうか。
なかなかロマンチックですね。

 
そんな、全く信憑性のないことまで期待するほど、小野小町は「あなたのことが恋しい」と歌っているのですが、現実の世界でも、自分が会いたいと想っている人は、もしかするとあなたに会いたいと想っているかもしれませんね。
 
もちろん、会ったこともない人にそのようなことを望むのは論外ですが、既に知っているような間柄であれば、それは十分にあり得ることだと思います。
 卒園して行った子どもたちのことをあなたが思い出して「会いたい!」と想ったとき、子どもたちもそう想ってくれていると嬉しいですね。