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親鸞聖人の生き方に学び、生かされているいのちに目覚め共に育ち合う。 |
いま、子どもたちの心の荒廃が深刻な社会問題となっています。その理由として、幼児期から「心を育てること」をおろそかにしてきたことが大きな反省点としてあげられています。
人間が育つということは、心が育つということです。それは端的には「生かされているいのちにめざめる」心を育てるということに他なりません。自分自身のいのちの尊さに目覚めることができてこそ、初めて他の人々の人格を敬ったり、他の生きものの命を尊ぶということができるようになります。
全てのことを意識し始める幼児期だからこそ、豊かな宗教的情操環境の中で、いのちの尊さに頷く心を大切に育むことを保育の理想に掲げ、私たちも共に育ち合いたいと願っています。 |
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豊かな宗教的情操教育の中で、心身の調和的な発達を図り、ひとりひとりの幼児が幸せな生活のできるいしずえをきずく。 |
宗教的情操とは、端的には「宗教心」のことで、言い換えると「いのちの尊さを知る心」のことです。実は、人間は生まれながらにして、いのちを平等に見る心を持っています。例えば、幼児が虫や草花と話している様子を目にすることがあります。これは、大人になることと引き換えに亡くしてしまう美しい心性ですが、誰かが「教えたから」ということではなく、本来持って生まれてきている心です。そうすると、幼児期に宗教的情操教育を行うということは、その美しい心性が失われる前に、をあたかも心の奥深くにまで刻み込むような営みをなすことだといえます。子どもたちが、生まれながらにして持っている心性を定着させ、大切に育んでいきたいと思います。
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尊いみ教えを聞いて、仏の子を育てます。 |
「尊いみ教え」とは、浄土真宗を開かれた親鸞聖人(1173〜1263)によって顕らかにされた「真実(まこと)の教え」のことです。それは「生きとし生けるものを等しく救う」と誓われた阿弥陀さまの願いのことです。この「尊いみ教え」を信条とする「まことの保育」の認定こども園・幼稚園・保育園では、教える側と教えられる側、大人と子どもといった枠を越えて、「ともに生きる・生かされる」ことを保育の根幹とします。なぜなら、ともすると大人の目で見て、大人の考えで子どもを判断し、大切な芽をつみ取ることにもなりかねないからです。私たちは、子どもと同じ目の高さに立ち、「尊いみ教え」を聞き、常に自らの教育の基本姿勢を問い直すことを大切にしています。 |