保育者のビタミン







            (4月) 生んでくれてありがとうで ばかやろう

 私たちの人生は、嬉しいことや楽しいことばかりではありません。時には、辛い思いや悔しい思いをして、涙にくれることもあります。また、そんな苦しい胸の内を誰にも語れなかったりすると、布団にくるまって「もう死んでしまいたい!」と、叫びたくなる夜もあります。

 でも、どんなに泣いても、叫んでみても、私の身の事実は変わりません。そんな時、ふと「何で私は生まれて来たんだろう」とか、「こんな思いをするくらいなら、生まれてこなければ良かった」などと、つぶやいたり、世の中を恨んだりすることさえあったりもします。

もし、生まれる前にアンケートがあって「男女どちらに生まれますか?」「身長・体重はどのくらい?」「得意分野は文系・理系? それとも芸術系・体育系?」といった選びが可能であったのならともかく、私たちは何の選びもなく「気がつけば生まれていた」のです。

だから、あれこれと今の自分に生まれたことに不満を持ったりしてしまうのですが、その前に「人間?、それとも他の生き物に生まれますか?」という選択肢があったらどうでしょうか。きっと「人間」を選ぶでしょ!?

だったら、思い通りにならないことの多い人生ですが、先ずは人間に生まれたことを喜びたいものですね。

           
           (5月) 楽しい仕事は、ラクじゃない

保育の仕事は、外から見ると小さな可愛い子ども達と、歌をうたったり遊戯をしたり、絵本や紙芝居を読んであげたり…、一見とっても楽しそうに見えます。しかも、そんな楽しいことをしながら、お給料までもらえてしまうのですから、連年「中高生の女の子が将来就きたい職業」のベスト5に入ってもいるのも不思議ではありません。

でも、外から見るほど保育の仕事はラクではありませんよね。子ども達はなかなか言うことを聞いてはくれませんし、ましてや滅多に自分の思い通りに動いてくれなくて、泣きたくなることさえあります。

その上、子どもたちの世話だけではなく、保育室の掃除をしたり、連絡帳や日誌を書いたり、保育計画の立案もしなければなりません。その準備もけっこう大変です。もちろん、ピアノを弾いたり、絵を描いたり、制作をしたり…、歌って踊れることも必須事項です。

しかも最近は、子どものことだけではなく、保護者の方からの「苦情・相談」に対して、細心の配慮が求められます。

そんな、決して「ラク」ではない仕事であっても、「楽しい」と言えるのは、やっぱり「保育」が好きだから…、ですよね!

 
            (6月) 天才は しばしば変なヤツだ 安心しろ

子どもは「遊びの天才」と形容されることがあります。遊び方を教えると、それを自分で工夫して発展させたり、全く新しい遊びを作り出したりして、しばしば感心させられます。でもその一方で、時には本当に理解不能のことをして、頭に来ることも少なからずあります。
 ところで、発明王と言われるエジソンは、授業中、「1+1=2」と教えられても鵜呑みにすることが出来なくて、「1個の粘土と1個の粘土を合わせたら大きな1個の粘土なのに、なぜ2個なの?」と質問したり、「A(エー)はどうしてP(ピー)と言わないの?」と質問したりするなど、ことあるごとに「なぜ?」を連発していたと言われます。

きっと、エジソンの質問を受けた教師は、「何て変なヤツなんだ!」と思ったのではないでしょうか。結局、担任からは「君の頭は腐っている」と吐き捨てられ、校長からも入学わずか3カ月で退学を進められ小学校を中退しているのですが、おそらくその時には誰一人として、将来エジソンが次々と天才的な発明を世に送り出すことになるとは想像することさえできなかったことと思われます。 

だから…、子どもが理解不能なことして頭に来た時は、「天才は、しばしば変なヤツだ!」と自分に言い聞かせると、少しは心が落ち着くものです。

 

 (7月) 笑ってごまかせるのは いくつまでなんだろう

何か失敗をした時に、「笑ってごまかせたらいいのに…」と思ったことはありませんか。でも、世の中、そんなに甘いものではありませんよね。

保育の現場にいると、苦しい状況に陥ることもしばしばあります。例えば、子どもがケガをしたときなど、自分に落ち度があった訳ではないのに、ひたすら保護者の方に謝らなくてはならないことがあったりもします。

中でも、第一子の女の子の顔を、他の子が跡が残るくらい噛んだ時などもう大変です。「噛まれた」と聞いただけで顔色が変わるお母さんもいますし、時には噛まれた子のお父さんが「うちの可愛い娘の顔を噛んだのは、どこの狼男だ!」といった形相でやって来られたりしますから、笑ってごまかすなんてもっての他です。ただもう、ひたすら平謝りに詫びるしかありません。

でも、だからと言ってその反動で、1つや2つの子どもが、注意をした時に笑っていたとしても、「なんで笑ってるの〜!」などと怒ったり、ましてやストレスを発散するかのように怒鳴ったりなどしてはいけません。何故なら、あなたが怒っている理由がまだよく分からないのですから。

きっとあなたも幼い頃は、イタズラを繰り返して怒られても、可愛い笑顔でみんなの心を和ませていたのではありませんか?

ん〜、笑ってごまかせるのは、いったいいくつまでなんでしょうね…。

 

(8月)大人から 幸せになろう

子どもの頃、「大人になったら○○になりたい!」といったことを考えたりはしませんでしたか。七夕飾りの短冊を見ると、幼児期の子ども達はテレビ番組のヒーローやヒロインに憧れたりすることが多いようですが、あなたはいかがでしたか。子どもの頃になりたかったことを覚えている人は、だいたいそれに近い仕事に就いていることが多いそうですが、あなたはいかがですか?

あるお父さんが、ウルトラマンのビデオばかり見ている4歳の息子に「ビデオばっかり観てたら、アンポンタンになるよ。少しは勉強したら?」と言ったら、「みんなを守る勉強をしてるんだ!」と答えたそうです。子どもなりに、地球の未来を考えてくれていて、頼もしく思われるお話です。

ところで、今の私たちは、子どもの頃に憧れたような社会を築くことが出来ているでしょうか。また、私は子どもの頃に夢見たような生活を送ることが出来ているでしょうか。いずれも「現実」は、なかなか厳しいものがあります。

でも、子どもが初めて経験する「社会」である保育の現場で、日々子ども達とふれあい関わっている保育者が「幸せ」でなかったら、子ども達も未来に対する希望を抱くことは難しいのではないでしょうか。

何よりもまず、大人から「幸せ」にならなくては、子ども達も「幸せ」にはなれないような気がします。「幸せ」に…、なりましょうね!

 
          (9月) アタマの キレイなひと

美しさというのは「内面からにじみ出て来るもの」と言われます。教養がともなわないと、外見だけの美しさは、すぐにメッキが剥げてしまいます。

テレビ番組を見ていると、よくクイズ番組が放映されています。その内容の大半は、一般教養に関するものであったり、漢字の知識や正しい日本語の使い方を問うものであったりして、見ているだけでもけっこう勉強になったりします。

このような番組が複数の放送局で放映されているということは、一定の視聴率があるからで、おそらく保護者の方もご覧になっていると思われます。

そうすると、保護者の方もいろいろなクイズ番組を通して、自然と教養度を高めておられることが予想されます。
 「園だより」や「れんらく帳」などに記述する時、誤字や脱字があったり、あるいは電話の応対をする時、尊敬・丁寧・謙譲語などの使い分けがきちんと出来ていなかったりすると、「こんな先生に、子どもの保育を任せて大丈夫?」と思われてしまうかもしれません。

「教養を磨けば、外見なんてどうでもいい!」、もちろんそんなことは言いません。子ども達が憧れるような保育者となるよう、身だしなみには十分気を配って素敵な保育者でいてください。

でも、一番心がけて頂きたいのは、「アタマのキレイな人」になること。内面からにじみ出る「教養」を磨くことを大切にしてください!

 

   (10月) 酔ってヘロヘロの自分を シラフの自分が見たらどう思うだろう
 
 空腹時にアルコール類を一気に飲むと、いつもより酔いが早く回ってしまったり、つい飲み過ぎた時などヘロヘロになってしまうこともあったりします。そんな時、人によっては、「マナー違反?」と思われるような行為をしてしまうこともあったりするようです。

酩酊状態にある自分を自身で客観視することはなかなか難しいものですが、もしもそんな自分の様子を誰かが録画していて、シラフの時に見せてくれたとしたら…、いったいどんな思いがするでしょうか。

保育者は、子ども達にいろいろと注意をすることがあります。それは、子ども達にきまりを守ることの大切さを教えたり、危険なことをしないように促したり、他人に迷惑をかけないようにする社会性を身に付けさせたりするためです。

また、友だちと仲良くすること、食事は好き嫌いをせず残さず食べること、人の話は静かに聞くこと…など、日々子ども達に語りかけています。

ですから、もちろん園の中で子ども達に「先生」として教えていることは、園の中でも外でも、自らもきちんと守って…、いますよね?

もし、園の中で子ども達に言っていることを、自分では全然守れていないとしたら…、そんな自分をあなたは愛することが出来ますか?

 自分を客観的に見る視点を持てる私になりたいものですね。

 

 (11月) おしゃれとは、自分でしっかり、自分を見はっていること

「おしゃれ」は漢字では「御洒落」と書き、辞書には「化粧や服装など身なりに気を配ること」と説明してあります。また、「戯()れ」から転じた言葉で、「戯れる」とは「機転や気が利く」ことで、垢抜けしていることでもあり、そこからおしゃれをする意味の動詞「しゃれる」が生まれたと考えられます。

一般に「おしゃれ」というと服装の組み合わせを意味することが多いようですが、人によってその定義は違います。そこで調べてみると、「おしゃれ」に共通することは、たとえそれが自己満足であっても、自分らしさを保つことになったり、やる気を出す力になったり、それをすることによって社交的になれたりするといったプラスの効果があるらしいということです。

あなたは、日頃園の中では、どんな服装をしておられますか? しっかりと「おしゃれ」に気を使っている人、反対に仕事着と割り切って特に気にしていない人、その他様々だと思われます。

でも、一つ忘れてほしくないのは、あなたの服装は、子どもからも保護者の方からも「いつも見られている」ということです。決して、着飾る必要などありませんが、それが保育者らしさ(清楚感)を保っているか、着替えた時に「今日も頑張ろう!」という気持ちに切り換えられるようなものか、自分でしっかり、自分を見はっていけるように人になってください。

          
          (12月)
ボクは、君にバカです

時折テレビで、アイドルに熱狂する人達の姿が報じられることがあります。大好きな歌手に貢献するために同じCDを大量に買い込んだり、あるいは握手をするために足繁くコンサートに通ったり、せめて一目だけでも見ようと何時間も並んで待ったり…、その熱意と行動力にはしばしば驚かされます。

以前は、雑誌やテレビを通じてしか知り得なかった人たちの情報を、今ではブログやツイッターなどのメディアを通して容易に手に入れることが出来ます。遠い存在だったアイドルを身近な存在として感じられるようになったことが、よりファンの人達の熱意にエネルギーを注いでいるのかもしれません。

ところで、もしあなたがアイドルに熱狂する人達の一人だとして、その努力の成果によって自分のあこがれの人と二人きりで会えるとしたら…、最初にどのような言葉をかけますか。「こんにちは」「嬉しい」、それとも「好きです」か。

私だったら、きっと相当に舞い上がって、思わず「ボクは、君にバカです」なんて、訳の分からないことを口走ってしまうかもしれません。

でも、誰かにバカになれるくらい情熱を注げる人のいる人生って、素敵だとは思いませんか。その人のことで一喜一憂したり、泣いたり笑ったり…。

自分の周りにいる子ども達に、アイドルにバカみたいに熱中している人達に負けないくらいたくさんの情熱を向ける保育者に…、なってもらえませんか!?

       
         (1月)
自分探す暇があったら、自分を磨きたい

 「自分を探し」という言葉を、見たり聞いたりすることがあります。テレビでも、自分探しの旅をしている人が紹介されることがありますが、いつもそれを見ながら思うのは「わざわざ旅に出て探さなくても、結局自分はここにいるんじゃないかな」ということです。

どこまで行っても、それは結局自分が移動しているだけのことにすぎません。また、私を離れて私が存在することもないのです。その反対に、私たちの身体はいつも「今日」という「現在」を生きているのですが、心の方は、しばしばはるか彼方の未来に飛んで行ったり、遠い過去にまで遡ったりしています。

そして、未来に夢見た自分の理想的な姿と、現在・過去の自分の姿とを照らし合わせて「これは自分の理想の姿とは違う」と感じ、そして「きっとどこかに素晴らしい自分がいるはずだ」と思う心が、時として「自分探し」という言葉で、人を旅立たせているのかもしれません。

けれども、もしそうであれば、その貴重な時間を使って自分を磨く努力をした方が良いのではないでしょうか。おそらく、それが「どこかにいる素晴らしい自分」を見つけるための一番の近道だと思います。

「なりたい自分」になるためには、旅をすることよりも、客観的事実に自分を照らして、自分を磨くことに努める以外、道はないのではないでしょうか。

 

          (2月) ダイエットには甘い恋を
 最近の調査によれば、5歳〜17歳以下は男女の別なく大半の年齢で体重が減っているそうで、新聞は「現代っ子のスリム化傾向が鮮明になった」と論評しています。また、このことについて文部科学省は「ダイエット習慣の広がりが、子どもの体重減少に拍車をかけているのではないか」と見ているようです。

 ところで、昨日まではモリモリ食べていた人が、誰かを好きになった途端、食欲をなくしてしまうことがあります。それを見ると「恋の威力はすごいな」と思ったりします。聞くところによると、ダイエットをしても体重がなかなか減らないのは「食べたいのに、食べないことによるストレス」が影響しているのだそうです。だから、無理なく痩せるには、恋愛がいちばんかもしれません。

 その人のことを思うと、たまらなくせつなくなって、食事も喉を通らない。そんな甘い恋をしている人は、もしかするとダイエットの意識がないままに、ベスト体重になっていくのかもしれませんね。ただし、痩せすぎは禁物です。世界的フォトグラファーによれば、「美しく輝く女性の基準は3つ。『心の輝き』『希望を持ったマインド』『健康的な体』だそうですから。

 そうすると、園でも一つの目標に向かって進む時には、保育者も子ども達も、何らかのストレスを感じながら仕方なく行うのではなく、たとえその時はきつくても、それを苦にしないような工夫が大切なのではないでしょうか。

 

       (3月) 昨日は 何時間生きていましたか?

 時折「自分の人生は、いったいあとどれだけ残っているんだろう?」と思ったりすることはありませんか。医学的には、人間は120歳くらいまでは生きることが可能なのだそうです。そう聞くと、だったら「電化製品みたいに、例えば100年とかの保証期間とかあればいいのに!」と、思ったりもします。

けれども、誰もそのような保証を受けることは出来ませんし、しかも私の死因は既に「生まれた」ということにあるのですから、その結果である「死」が、いつ私に訪れても不思議でも何でもありません。

「今朝、目が覚めたとき嬉しかったですか?」と尋ねると、「はい!」と答える人は、あまり多くはいません。それは、誰もが「朝目が覚めることは当たり前だ」と思っているからです。でも、本当に当たり前なのでしょうか。

むしろ、「生まれた」という原因がある以上、その結果として当然「死ぬべき」はずの私が「たまたま今朝目が覚めたと」いうのがその内実だと言えます。

私たちは、ともすれば「あと、どれだけ残っているだろう?」という引き算で人生をとらえてしまいがちですが、今朝目が覚めて「また、今日も一日のいのちを頂いた」と、足し算で受け止めることが大切なのではないでしょうか。

この一日一日の積み重ねが、私の人生になっていくのです。「昨日は何時間生きていた」と、実感出来るような毎日を生きていますか?