保育者のビタミン







            (4月) 今までのことは なかったことにしようっと

失敗したこと、恥をかいたこと、飲んで記憶をなくしたこと、出来るだけ早く忘れてしまいたいようなことを今日に持ち越さないで、全て「なかったことにしようっ!」といえたら、きっと落ち込んだりすることもなく、いつも前向きで生きて行けるかもしれませんね。

 でも、お世話になったり、反対に他人に迷惑をかけたことをすっかり忘れてしまうようでは、人間としてかなり問題ですが…。

ところで、あなたは、何度も何度も注意しているのに、子ども達がまるでそれまでのことは何もなかったかのように、いつも同じことで叱られることに疑問を感じたことはありませんか。部屋の中で戦いごっこをして暴れたり、廊下を走ったらいけないと注意したばかりなのに、ふり向けばまたそこで…。

実は、子どもはいつも同じ内容を同じ口調で叱られると、それで「悪いことは帳消しになった!」と思ってしまうものなのです。つまり、叱られることで、それまでのことを無意識に「なかったことにしようっ」と…。
 
 では、次から同じことを間違えないようにさせるためには、どうすればよいのでしょうか。まずは、子ども達になぜ叱られたのかをよく理解させ、次からはどうすればよいのか。常に、子ども達に自分自身の頭で考えさせ、自分なりの答えを導き出せるような言葉かけの工夫が必要です。


            (5月) お化粧は 変装じゃない

メイクを落とすと、いったい誰だか分からなくなる人がいるとか…。そう聞くと、それはもう「化粧というより変装に近いのでは?」と思ったりもします。

でも、素っぴんのままで人前に出るのも、勇気がいりますよね。それは、社会の中で生きるためには、自分の心のままを貫くのが難しいのと同じで、私たちは傷つかないために、心も体も装いながら生きているのが現実です。

園生活でも、いつもは良い子なのに、送迎の時や保育参観、大きな行事の時など、いつも知っているその子とは別人になったかのような、保護者を共にすると全く注意をきかなくなったり、予想外の行動をしたりする子がいます。

もしかすると、その子は「保護者の前では先生は叱らない(叱れない)」と思って、いつもの「先生の前では良い子」の変装をといて、心のままに振る舞っているのかもしれませんね。

 日頃から、そんな良い子の変装をしなくてもよいように、そしてあるがままの自分を出してくれるように、先ずは「自分の言うことをきいてくれる子」になってもらうことより、信頼関係の絆を深めることに努めたいものです。

 ところで、あるがままの自分だったら「いつも好き勝手に振る舞うのでは?」という心配は無用です。だって、大好きな先生のことを自分勝手なことをして困らせるような子なんていませんから…。


                 (6月) ひとは みんなで おもしろい

何をやっても、上手く行かない時ってありませんか。仕事でも、プライベートでも、自分では一生懸命頑張っているつもりなのに何故か空回りして、しかも自分だけがそういう辛い目に遭っているように思えてしまう時って…。

そこで、上手く行かない理由をはっきりさせることで、その状態から抜け出そうと試みるのですが、私たちの目は外を見るようになっているので、つい自分の問題点は棚にあげて、上手く行かないのは、「あいつのせい!」「こいつのせい!」と、周囲の誰かにその責任を転嫁してしまいがちです。

また、あまりにもうまく行かないことが続くと自分自身に絶望して、思わず「もう、死んでしまいたい…」なんて、つぶやいてしまうこともあったりします。でも、人間はどんなに辛くても、悲しくても、決してその事実だけでつぶれてしまうことはありません。

その苦しい胸の内をただ黙って聞いてくれる誰かがいるだけで、また立ち上がって行けるものです。反対に、どんな嬉しいことがあったとしても、それを語れる人がこの世界に一人もいなかったら…、かえって空しくなるばかりです。

だから、子ども達には、いつも自分が一人ではないことを繰り返し伝え、そのことを心の深くに刻み込みたいものです。誰かが、いつもあなたのことを思っているよ。そして、「その一人は私だよ!」と語りかける人でいて下さい。


                  (7月) やせる魔法はない

テレビのCMで「ダイエットなんて、全然していません」とか、「石鹸で洗顔しているだけですよ」なんて言っているのに、とってもキレイな人がいます。

あなたは、その言葉…、信じられますか。「あの人も、陰ではきっと涙ぐましい努力をしているに違いない!」と思ってしまうものです。

学生の時にも、似たようなことを言う人がいたのではありませんか。テストが終わった後、「あまり勉強しなかったから、今日のテスト、難しくて全然出来なかった!」なんて言っていたのに、答案が返ってくると好成績という人が。

もし、あなたもそんなことを口にしていたのなら、「実は、家ではしっかり勉強していたなぁ…」と、その苦闘の後を懐かしく思い出すのではありませんか。

何も努力をしていないのに、一晩寝たら、急にピアノが上手く弾けるようになったり、見違えるような絵が描けるようになったり、子ども達が自分の思い通りの反応を示すようになったり…、そんなことあるはずはありませんよね。

日々の保育も、きちんと計画を立てて周到な準備をした上で臨み、実施した後は必ずその結果を客観的に評価して、次の計画にその改善案を盛り込む。これを繰り返すことによって、少しずつ質的な面で保育は向上していくのです。

この世に「やせる魔法」なんてないのと一緒で、成功や飛躍の陰には、みんなそれぞれに、汗と涙に彩られた努力の物語を秘めているものです。


          
(8月) いい仕事をした人が いい顔になるのはなぜだろう

日々の仕事に充実感を感じている人の顔は、とてもイキイキとしていて、何となく輝いて見えます。さて、思い返してみて…、今日の鏡に映ったあなたの顔は、どんな風に見えましたか。

仕事内容の結果は、すぐに顔に表れます。ですから、たとえ夏の暑さでどんなにバテ気味だったとしても、日々の保育に充実感を感じている人の顔は、目に力があり口元も引きしまって見えます。それこそ、夏の太陽にも負けないくらい、キラキラと輝いて見えるものです。

  そういえば、あなたの周りの子ども達はどうですか? どんなに暑くても、汗びっしょりになりながらも、元気よく動き回っているのではありませんか?

 すぐに「水分補給!」という言葉が浮かぶような子ども達の汗の多さは、夏ならではの遊びを思いっきり楽しんでいることの証なのかもしれません。

  考えてみると、中途半端に汗をかくよりも、めいっぱい汗をかいた後の方が、汗を洗い流したあとは爽快感を感じる気がします。もしかすると、流した汗の量は頑張った仕事の量に比例しているのかもしれませんね。

  きちんとした計画のもとに保育を進めていると、その結果が期待した通りに上手く行った時はもちろん、たとえ上手く行かなかった時でも、必ず得るものはあります。今日も、いい仕事、出来ましたか?


           
 (9月) それよりも 笑顔が流行する方がいいな

ひところ、「それって、もしかすると変装してるの?」と内心つぶやいてしまうような、その人がいったい誰なんだか分からなくなるようなお化粧の仕方が流行ったことがありました。

古来から日本人女性の美の象徴といえば「みどりの黒髪(つやのある黒髪のこと)」という言葉で語られてきたので、今ではすっかり定着した感のある茶髪も、最初見た時は正直違和感があったものですが、これだけ誰もが当たり前のように髪を染めていると、特に気にならなくなってしまうから不思議です。

この他にも、眉毛を細くすることや、美白がもてはやされたりするなど、いつの時代にあっても、美しさを得ることへの飽くなき探求はやまないものです。

でも、何かが流行ると、みんなそれに一斉に走ってしまうのは、自分だけが違うと取り残された感じがするという、不安感に基づくものなのでしょうか。

だったらいっそのこと、この世の中、いつの時代にあっても素敵な「笑顔」が流行するほうがいいなと思います。子ども達だって、きっとそう言うに違いありません。何よりも、美しさとは内面からにじみ出てくるものだからです。

うわべだけの美しさはメッキにしか過ぎません。みんな流行を追いかけるのがやめられないんだったら、やっぱり「笑顔」が流行して、いつも街中に素敵な笑顔があふれれたらいいなと思います。それが無理なら、せめて園の中だけでも! 
 そうは…、思いませんか?

       
          (10月)負けても楽しそうな人には、ずっと勝てない

勝負事は、「やる以上は勝たなければ…」と誰もが思います。確かに、負けるよりは勝った方がいいに決まっているからです。けれども、あまり勝ちにこだわり過ぎると、結果だけが重視されて弊害が起きてしまうこともあります。

かつて、高齢者の方々の間でゲートボールが大流行しました。ところが、現在プレー人口は減少傾向にあり、その一方、今はその後に登場したグラウンドゴルフに主役の座を奪われた感があります。

ゲートボールは団体で得点を争うことから、大会などでは失敗した人がチームメイトから責められるということがあったのだそうです。ところが、グラウンドゴルフは5人1組で行いますが、原則として個人別の得点を争うので、たとえミスをしても個人が他のメンバーから責められるということはありません。そのため、和気あいあいとプレーをされる姿がとても印象的です。

運動会での親子競技の様子を見ていると、対抗戦形式であっても、子ども達は勝負よりお父さんやお母さんと一緒に競技できることを喜んでいるように見えます。また、綱引きや玉入れなどでも、もちろん勝った、負けたということはあるのですが、競技そのものを楽しんでいるように感じられます。

だから、勝ち負けを気にすることよりも、競技をどれだけ楽しめるか。勝負に負けても、心から楽しそうにしている人には、ずっと勝てない気がします。


       (11月)意見が違う だから話がオモシロイ

国会の答弁を見ていると、与党議員の質問と野党議員の質問とではどちらが面白いかというと、大半の場合は野党議員の場合です。与党議員は、応答する側も同じ立場の人々ですから、平穏な感じで質疑応答が進みがちです。一方、野党議員は立場が違うので、議論が白熱することもしばしばあります。

より良い法案を作るためには、与野党がそれぞれ違う視点からお互いの考えを述べ合うことで、気付き得なかった問題点が見えてくることもあるので、意見の違う者同士の討論は、見ていても面白いのだと思われます。

私たちは、子どもがケンカをしていると、その間に入って無意識の内に裁判官の席に座ってしまいがちです。そして、一方を善、他方を悪として裁き、ワルモノに謝罪をさせて「一件落着」と思ってしまうことがよくあります。

けれども、「争い」は常に自らを善と信じるもの同士が争っているのであり、善と悪が争っている訳ではありません。それなのに、私たちは自らの正義をモノサシにして裁きを下してしまっていることがあります。それは、ワルモノにされた子どもの立場で言うと「自分は間違ってないのに、謝罪させられた」ということです。

先ずは、それぞれの話によく耳を傾けてみて下さい。そして、次からはどうすればみんなが仲よく出来るのか、そのことを子ども達自身に考えさせ、言わせるようにすると、きっとよい考えが子ども達の中から出てくることと思います。 
 

 

         (12月)あなたなんか 大好きです

本当に「大っ嫌い」になったのなら、少しも気にならないはずなのに、でもやっぱり、何となく気になって仕方がない…、そんな人がいたりしませんか。「もう忘れよう!」と思うと、余計に意識してしまうので、忘れようとすればするほど、かえってその人のことが気になってしまうのでしょうか。

  もしその人が、自分の思い通りになってくれていたら、言い換えると自分の気持ちを受け入れてくれていたら、そんな辛い思いをしなくてもよいのでしょうが…、なかなか人生は私の思い通りにはならないものです。

ところで、あなたの周囲にも、自分の思い通りになってくれない子がいたりはしませんか。毎日のように「友だちを叩いたり、蹴ったりしてはダメよ!」「部屋の中を走り回ると危ないよ!」とか、一生懸命言い聞かせているのに、少しも言うことを聞いてくれない子が。

そんな子がいると、毎日あれこれ悩んだり、時には注意をしながら「どうして、自分の言うことを分かってくれないんだろう…」と溜息が出たりするものです。そうすると、「もしこの子がいなかったら、平穏無事な毎日なのに!」と思うことがあるかもしれませんが、むしろそんな子がいるからこそ、あなたは日々保育者として育っているのだと言えます。だからこそ、やっぱり手のかかった子ほど後になってみると、いつまでも忘れられない存在だったりするのではないでしょうか。

 
   (1月)「おめでとう」の多い人生に、おめでとうございます

  年が明けてから数日を経ても、新年になってから初めて会った人には、まず「明けましておめでとうございます」と言います。また、元旦に年賀状を交わして、すでに書面で新年の挨拶は済んでいるはずなのに、顔を合わせるとまず口をついて出るのは、お互い新年の挨拶の言葉です。
 年が明けてから、わずか一週間足らずの間に、私達はいったい何回この言葉を口にし、また耳にしていることでしょう。それでも飽きずに何度も口にするのは、おそらく言っても言われても、心地よい響きがする言葉だからでしょうか。でも、それ以後に「おめでとう」と言われる日は、一年に何回ありますか。もしかすると、誕生日の時くらいかもしれませんね。
 ところで、あなたの周りを見渡すと、そこには毎日のように、たくさんの「おめでとう」があふれていることに気付いていますか。受け持っている子どもが、
 今日、寝返りをすることが出来た。「おめでとう」
 数秒間、立つことが出来た。「おめでとう」
 数歩、歩くことが出来た。「おめでとう」
 「せんせい」と、初めて呼んでくれた。「おめでとう」
 文字が、読めるようになった。「おめでとう」
 ほんのささいなことのように思えても、そこに「おめでとう」という言葉を添えると、きっとあなたの保育は、日々もっと楽しくなることでしょう。
 今年も素敵な一年を!

 
   (2月)さよならしたばかりなのに、また君に会いたくなりました

 今まで、ずっと会っていたのに、携帯電話が鳴っているので発信者を見ると、一緒にいたその人からの電話。時折、映画やテレビのドラマで目にするワンシーンです。 もし、電話やあるいはメールで「さよならしたばかりなのに、また気に会いたくなりました」なんて言われたら…、きっと次に会うのがもっと楽しみになることと思います。

園では、年度の途中になって園生活にも慣れたはずなのに、時折泣きながら登園して来る子がいたりします。それは、病気とかで数日間休んだ後であったり、睡眠不足であったり、小学校に行っている兄姉は学校が休みで家に居るのに、自分だけが登園しなくてはならない…、その他理由はいろいろとあるのでしょうが、時折チョコレートなどのお菓子を手にして来る子もいたりします。きっと、登園前に泣いたりグズったりして、なかなか言うことを聞かない子どもに手を焼いて、ついつい親が持たせたのかもしれません。それを見て、「朝から子どもにお菓子なんかを持たせて…」といった、非難をするのは簡単です。

でも、その前に思い返してほしいことが一つあります。あなたは、子ども達が降園する前に、「明日はこんなに楽しいことがあるよ」ということを毎日きちんと伝えていますか。それこそ、子ども達に胸いっぱいの期待感を持たせて帰そうとしていますか。今までずっと園で遊んでいたのに、家に帰るとすぐに、「園に行くことが楽しみでたまらない」といった気持ちになれるような何かを伝えていますか。子ども達が、毎朝胸一杯の期待感を持って登園できるような保育をこれからもお願いします。

 
        (3月)人生、コスプレ

 これは、かつて泣き虫ナースだった人に先輩がくれた言葉だそうです。
「白衣を着ている時は、看護に徹しなさい。笑顔で、しなやかに、優しく、強くありなさい。そして、私服では女性であることを楽しみなさい。人生、コスプレ。服の数だけ色んな役になれたら、それだけたくさん人の気持ちを理解できる人になれるから」と。

「歌って、踊れて、絵もピアノも字も読み聞かせも全て上手で…etc.」 そんな完全無欠の保育者なんて、なかなかいないと思います。そう言えば、保育者を目指したときのあなたは、きっと「こういう保育者になりたい!」という、自分の理想とする保育者像を心に思い浮かべていたのではありませんか。

ところが、実際保育の現場に入ると、理想と現実との違いに戸惑ったり、保護者からは苦情を言われたり、日々のいろいろな業務をこなしたり、大きな行事などがあるとそれを乗り越えて行くことで精一杯だったりして、目の前のいろんなことに追われている内に、もしかすると学生時代に思い描いていた自分の理想像を見失ったりしている人もいるかもしれませんね。

でも、あなたは、周囲の人たちから見ると「自分の夢をかなえた(うらやましい)人」なのです。ですから、園の門を入ってから出るまでの間(時には門を出てからも)、あなたには「笑顔が素敵で、優しくて、歌って踊れて…」といった、保育者としての理想像を体現してもらいたいという期待感が周囲の人たちからは寄せられているのです。
 それに応えるためには、日頃から多くの努力が必須であることは…、もうご存知ですよね。