保育者のビタミン


(4月)失敗は授業料

この世の中、何も授業料を払うのは学生だけではありません。生きていく上で私たちは「失敗」という痛い授業料を払うことが多々あります。けれども、失敗でも前向きにとらえると、その収穫は想像以上に大きかったりするものです。だから、失敗を恐れていたのでは、何も得られません。

 ところで、自分ではちゃんと保育をしているつもりでも、子ども達の反応が期待したほどではなかったり、時には保護者から苦情が寄せられたり、あるいは園長先生から注意を受けたりすることさえあったりもします。

 でも、
世界中のどこを探しても完璧な人間なんていません。誰もが、多くの失敗を重ねながら、そのことをバネにして生きているのです。そうすると、大切なことは失敗を恐れて何もしないでいるよりも、たとえ失敗したとしてもいろんなことに積極的にチャレンジして行くことではないでしょうか。

 あなたは「失敗」という痛い授業料を払う一方で、学生とは違って毎月しっかりと給料をもらっているのですから、せめてその十分の一くらいは、「失敗」によって明らかになった自分の弱点を補ったり、保育の質を高めることのために投資してみても良いのでは…、ありませんか?


(5月) 遊ばなきゃ、働いていられない

日本国憲法によると、勤労(納税・教育)は国民の「義務」となっています。その一方で私たちには、遊ぶ「権利」もある訳で…。だから、休みの日にいっぱい遊んでも、誰にも文句はいわれません!

ところで、あなたはいっぱい遊んだ後に「疲れた〜」と感じたり、「もう、嫌だぁ〜」と口にしたりすることとかありますか。もしそういうことがあるとすれば、それは「遊んだ」とは言えないようです。

なぜなら本来「遊び」というのは、それをしていても疲れない、それをすること自体が楽しい、ということを本質としているからです。

子ども達は、毎日園に「遊び」に来ていることは言うまでもありませんが、果たして降園するときに、子ども達の口から「今日は楽しかったぁ〜!」とか、「また明日もいっぱい遊ぼう〜!」といったような言葉が聞かれたり、満足感いっぱいの表情が見られたりしていますか。

そして、何よりもあなたは園での今日一日を振り返ってみて、休みの日にいっぱい遊んだ時と同じくらいの、あるいはそれ以上の充実感を得ることが…、出来ましたか。


(6月) 花を育てるようになると、雨が好きになる

梅雨の時期は、雨が降り続くと「うっとうしい〜!」、それなのに晴れると「暑〜い!」と、降っても照っても何かと天気に文句を言ったりしている間に、雲の向こうでは夏が着々と準備を調えています。

ところで、雨の日に子ども達が登園して来る様子を見ていると、傘をさしたり、雨靴を履いたりすることがとても嬉しそうです。大人にとってはうっとうしい雨の日でも、子ども達にしてみれば、雨の日には雨の日なりの楽しみと方いうものがそれぞれにあるようです。

思うに、私たちは周囲の全てを無意識の内に、自分の都合だけで一方的に見てしまいがちです。そのために、物事の一面だけを見て、それをあたかも全体の姿だと見誤ってしまうことがあるのです。

けれども、子ども達のように、晴れても降っても、それをあるがままに受け入れて楽しみを見出す姿には学ぶ点が多くあるといえます。

雨が嫌いだったのに、花を育てるようになったことで、いつの間にか雨が好きになったりすることもあるように、同じことでも視点を変えるとまた違った世界が見えてくることに心を寄せたいものです。


(7月) この夏も、やがてあの夏になる 

いつの間にか、時は流れて行きます。そして、あっと言う間に今が過去になってしまいます。何と、気がつけばもう今年も折返点。

 一日が始まって、あれこれいろんなことに追われていると、いつの間にか夕方になっていて、そんなふうに一日が過ぎるかと思えば、この前月曜日だったのに今日はもう週末。そして、つい先日、新しい月が始まったはずなのに、気がつけば月末の処理をしていたりします。

そして、大きな行事に取り組んで、一つ一つ乗り切っていく内に、一年が過ぎてしまいます。しかも、時間は誰にでも同じ速度で流れているはずなのに、まるで私の時間だけ加速装置が付いているかのように、一年の過ぎる速さが年々増して行くように感じられます。

だから、「この夏」も気がつけばすぐに、いつの間にか過ぎ去った「あの夏」になってしまいます。でも、私たちが創意工夫をすることで、子ども達の心に「この夏」を思い出深い「あの夏」としてその心に残すことは出来るのではないでしょうか。そのための素敵なプランは…、もちろん、あなたはもう考えていますよね?!


(8月) 暑い暑いと文句言えるシアワセよ

近年、地球の「温暖化現象」が世界的に深刻な問題になっていますが、実のところ「温暖化」という言葉を聞いても、あまり危機が迫っているような感じがしません。なぜなら、国語辞典を見ると「温暖」とは『気候がおだやかで、あたたかいこと』と説明してあるからです。

もし、辞書の言葉の通りに「温暖化」しているとすると、夏は「冷しく」冬は「暖かく」なり、過ごしやすくなるはずなのですが、現実は外に出ると「溶けそう〜!」といった感じです。また、文書を書く時にすぐ浮かぶのは「酷暑、猛暑、炎暑…」といった、見るからに暑そうな言葉ばかりです。このような訳で、温暖化ではなくて、「高温化している」と言われないと、なかなか実感がともなわない気がします。
 
温暖な夏を望む一方で「季節ならではの」という言葉があるように、やはり子ども達にとっては、夏の陽差しの中で水遊びをしたり、スイカを食べたり、といったことが楽しい夏の記憶となって心に残るのだと思います。この夏、あなたは子どもたちと「暑い夏だからこそ!」、そんな夏ならではの心に残る遊びをいくつ楽しみますか?


(9月) 必要なものは、地味に見える

もし、お米や食パンが虹のように七色をしていたとしたら…、毎日食べるものだけに何となくそれは嫌ですよね。そう言えば私たちにとって必要不可欠な水は透明ですし、空気なんて目に見えもしません。

他にも、世の中にあるいろいろなものを思い浮かべてみますと、大切なものは意外と目立たなかったり、地味な存在だったりします。

園生活の中でも、運動会や遊戯会などの大きく華やかな行事があると、その期間は練習等に関心が向いてしまって、子ども達との日々の関わり方がつい疎かになってしまったりすること…、ありませんか。

時として、晴れ舞台で立派な発表をすることに比重がかかり過ぎると、いつの間にか置き去りにされる子がいたり、子ども達の姿を見ているようでよく見ていなかったりすることもあったりするようです。

だから、お願いです。そのような大きな行事に向かって走っている時こそ、目立たないとても地味に思えることかもしれませんが、けれども保育の原点とも言える「子どもたち一人ひとりと丁寧に関わること」をいつも心に留めて下さい。


(10月) こどもは、あなたのコピーです

もし、日頃あなたがどのような保育をしているかを知りたいと思ったら、受け持ちの子ども達を集めてこんなふうに言います。「さぁ、みなさん、これから保育園(幼稚園)ごっこをしましょう!」と。

子どもは、先生の口調から態度、物の見方や考え方、価値観まで全てを模倣します。例えば、物を両方の手で丁寧に渡す先生のクラスの子ども達は、同じように両手で物を受け取ります。また「おはようございます」と挨拶すると、概ね「おはようございます」と返します。

ここで問題なのは、子ども達はどちらかといえば良いところはカットしても、悪いところはしっかりと、それも残さずに写し取ってしまう…、いわば恐るべきコピー機能を持っているという点です。

あなたが、日頃何気なく口にしている言葉も、特に変な言葉ほどしっかりと覚えていたりします。しかも、自分自身では気付いていないようなあなたの様々な事柄(所作・口調など)の全てを、子ども達は日々の関わりの中で無意識の内にコピーしてしまうのです。

今のあなたを、子ども達にコピーされても…、大丈夫ですか?


(11月) どーせなら、好きなことで苦しもう

あなたが、保育者の道を選んだのはいつですか。そして、そう決めた時に、あなたはどのような保育者になりたいと思いましたか。

いま、日々の園での自分の姿を振り返ってみて…、いかがですか。自分がイメージした通りのその姿とぴったりと重なっていますか。

正直なところ、現実はなかなか厳しく難しいものですよね。「子ども達に愛され、保護者や同僚・主任に信頼され、園長先生からは認められる保育者になる。」聞こえはとても良いのですが…、そんな一人前の立派な保育者になるまでには、苦しい努力の日々が続きます。

しかも、誰にでも、克服しなければならない不得手なことは少なからずあります。ピアノが思うように弾けなかったり、絵が上手く描けなかったり、紙芝居や絵本を読んでもなかなか子ども達が集中してくれなかったり…等々。それこそ、いろんな課題が山積みです。

でも、学校の時には嫌いだった勉強も、好きなことのためなら辛く思わないから不思議です。同じことなら、嫌なことより好きなことで苦しんだり悩んだりする方が、得るものはきっと大きいと思います。


(12月) そのままが好き と言われて、不安

もし、あなたが肩肘張って生きているのに「そのままが好き!」とか言われたらちょっとツラいのではありませんか。しかもそれが、好意を寄せている異性からの言葉だと…、なおさらではないでしょうか。

やっぱり、ありのままの自分を愛してもらえるのが一番ですよね。

  子どもたちも、きっとそうだと思います。園の中では、年齢が上がって行くごとに、けっこう気をつかうようになるものです。

集団生活の中で過ごすには、家庭のようなワガママを言っていたのでは、友だちから「ダメだよ!」って言われたりしますし、みんなと一緒に歌ったり、踊ったり、絵を描いたり、食事をしたり…と、いろんなことを「みんなと同じように、きちんとこなさなくては!」と、周囲に気をつかって必死に頑張っていたりするものです。

もちろん「大好きな先生から嫌われないように…」と、子どもなりに「肩肘張って」精一杯の「良い子」を演じていたりする子もいます。

それを見抜くことはなかなか難しいものですが、せめて子ども達から「先生といると楽しい!」と思ってもらえたら…、嬉しいですね。


(1月) ひとりひとり違う人間を  同じモノサシで計るのは  おかしいと思うな

  よく使われる「平均」という言葉。例えば平均寿命とか、平均収入とか、平均体重とか。でも、平均通りの人間なんて、まるで規格品の機械同然みたいな感じがしてつまらないのではありませんか。

  また「A型だから…」とか、「山羊座だから…」とか、血液型や生年月日といったどうにもならないことを根拠に、一方的に評価されると「私のことを勝手に決めつけないで」と反論したくもなりますよね。

子ども達だって、きっと同じだと思います。一人ひとりみんな違うのに、私たちは無意識の内に、この子はこんな子、あの子はあんな子と一面だけを見て、しかもそれだけでどの子のこともわかったつもりになって、まるで商品にレッテルを貼るかのように、子どもたちのことを決めつけてしまっていたりすることがよくあります。

でも…、捨てても、捨てても、いつの間にか私の中には新しいモノサシが現れてきます。だったらいっそのこと、平均より上か下かを計るのではなく、この子はこの一年、あるいは半年の間に「これだけ成長した」と、縦の成長を図るようにしたいものですね。


(2月) 失恋は、何度やってもやめられない

 失恋した時など、家の中に閉じこもっていたりとかするとよけいに辛くなるので、気分転換をするために街に出ると、すれ違う誰もがみんな幸せそうに見えて、人込みの中にいるのに孤独さえも感じられて、さらに落ち込んだりしたこととか…、ありませんか。それなのに「もう恋なんか二度とするものか!」と思ったはずなのに、気がつけばいつの間にか誰かを好きになってしまっていたりすること、やっぱりありますよね!

子ども達だって、きっと同じようなものです。部屋の中を走り回ったり、机の上に乗ったらいけないって、知っているんです。手洗いの時に水遊びをしたらいけないことも、上履きのまま園庭に出たり、オモチャを独り占めにしたり、友だちとケンカしたらいけないことも、分かってはいるんです。

でも、気が付いたら大声で叫んでいたり、思わず室内を走り回っていたりするんです。いけないこととわかってはいるんですが…、ついついやってしまうんです。だから、「叱らなくては!」と思っても、時には何も言わずに子ども達を抱きしめたりしてみて下さい。

 だって、お互いに「わかってはいるのに…」何度やってもやめられないことの多い「仲間」なんですから!


(3月) キミが、いないと、みんな、さみしがるよ

自分がそこに存在したヨロコビを教えてくれる名ゼリフ。送別会でよく耳にする言葉ですが、果たしていつまでそう思ってもらえるんでしょうか。

ところで、私たちは近くにいる人のことはよく理解したつもりになっていますが、近すぎるとかえってよく見えないものです。例えば、他人の家庭の良い点を見ると、私たちの心は無意識の内に「自分の家庭もそうでなくてはならない」と考え、困ったことに自分の家庭がそうではないと腹を立てます。そして、もし他人だったらきっと絶交とか復不能とも思えるような言葉を、平気で家族に投げつけてしまうことがあります。ところが不思議なもので、家族や今まで近くにいた人が遠く離れて暮らすようになると、お互いの思いが自然と通じ合ったり、よく理解し合えたりするようになります。

さて、いま私たちは、日々関わっている子どもたちと、いったいどのような出会い方をしているでしょうか。もしかすると、自分だけの一方的な見方に陥って、子ども達の本当の姿を見誤ったりしてはいませんか。

だから、もう一度よく確かめてみて下さい。お別れをしてから初めて、その子の本当の姿に気付いて、後悔をしたりとかする前に…。