保 育 連 盟
 
        浄土真宗本願寺派保育連盟とは


 「いのちの尊さ、生き合うことの大切さを知る心を育てること」を願いとし、「すべての命を等しく救う!」と喚びかけて下さる阿弥陀さまの尊いみ教えを、幼児の生活を通して、幼児と共に喜びあう保育を「まことの保育」といいます。
 全国には、「まことの保育」を行っている保育園・認定こども園・幼稚園が約1,000園近くあり、浄土真宗本願寺派保育連盟を組織して月刊誌『保育資料』の発刊や保育教材の作成、職員研修会の開催等を行っています。
 保育連盟に加盟している保育園・認定こども園・幼稚園は、本願寺派の教区を単位として結成されている「教区保育連盟」に所属し、その代表が評議員として、保育連盟の評議員会を組織しています。またその評議員の中より、ブロックを単位として選出された理事の代表を理事長として、運営を総括します。また、本願寺のお裏方を総裁に推戴し、本願寺派総長が会長を務めています。
 現在、鹿児島県内には86(保育園/認定こども園/幼稚園)の園が加盟し、園長・理事長を始めとする各種職員の研修会や保育セミナーを催したり、入園時に保護者の方に差し上げる「入園のしおり」の製作などの他に、このようにホームページを公開して「まことの保育」についての広報活動を行っています。                               
 
 宗教的情操豊かな乳幼児を育成することは、まことの保育にたずさわる者として、何事においても果たすべき大切な責務です。
 いついかなる時代においても、お念仏に薫る環境の中で小さないのちが健やかに育つことを願って、ともに尊いみ教えを聞き、ともに育ちあい、まことの保育の実践と推進に努力していきたいと思います。


保育理念 親鸞聖人の生き方に学び、生かされているいのちに目覚め共に育ち合う。
 いま、子どもたちの心の荒廃が深刻な社会問題となっています。その理由として、幼児期から「心を育てること」をおろそかにしてきたことが大きな反省点としてあげられています。
 人間が育つということは、心が育つということです。それは端的には「生かされているいのちにめざめる」心を育てるということに他なりません。自分自身のいのちの尊さに目覚めることができてこそ、初めて他の人々の人格を敬ったり、他の生きものの命を尊ぶということができるようになります。
 全てのことを意識し始める幼児期だからこそ、豊かな宗教的情操環境の中で、いのちの尊さに頷く心を大切に育むことを保育の理想に掲げ、私たちも共に育ち合いたいと願っています。
保育方針 豊かな宗教的情操教育の中で、心身の調和的な発達を図り、ひとりひとりの幼児が幸せな生活のできるいしずえをきずく。

 宗教的情操とは、端的には「宗教心」のことで、言い換えると「いのちの尊さを知る心」のことです。実は、人間は生まれながらにして、いのちを平等に見る心を持っています。例えば、幼児が虫や草花と話している様子を目にすることがあります。これは、大人になることと引き換えに亡くしてしまう美しい心性ですが、誰かが「教えたから」ということではなく、本来持って生まれてきている心です。そうすると、幼児期に宗教的情操教育を行うということは、その美しい心性が失われる前に、をあたかも心の奥深くにまで刻み込むような営みをなすことだといえます。子どもたちが、生まれながらにして持っている心性を定着させ、大切に育んでいきたいと思います。                               . 


保育信条

尊いみ教えを聞いて、仏の子を育てます。
 「尊いみ教え」とは、浄土真宗を開かれた親鸞聖人(1173〜1263)によって顕らかにされた「真実(まこと)の教え」のことです。それは「生きとし生けるものを等しく救う」と誓われた阿弥陀さまの願いのことです。この「尊いみ教え」を信条とする「まことの保育」の認定こども園・幼稚園・保育園では、教える側と教えられる側、大人と子どもといった枠を越えて、「ともに生きる・生かされる」ことを保育の根幹とします。なぜなら、ともすると大人の目で見て、大人の考えで子どもを判断し、大切な芽をつみ取ることにもなりかねないからです。私たちは、子どもと同じ目の高さに立ち、「尊いみ教え」を聞き、常に自らの教育の基本姿勢を問い直すことを大切にしています。

□ まことの保育4つの柱  □


み仏さまをおがみます

 仏さまに手を合わせて園の一日が始まり、仏さまに手を合わせて一日が終わります。子どもたちも保育者も、互いに向かい合って生活を送ることは大切ですが、もっと大切なことは、私たちを導いてくださる仏さまへ、尊い一つの方向へ、みんなが手を合わせ、耳を傾けるという生活です。



みんな仲良くいたします

幼稚園・保育園は、子どもたちが初めてかかわる小さな社会です。トイレに行くにも手を洗うにも、おかたづけも、みんな自分でしなければなりません。そしてたくさんのお友だちとなかよく生活するためのルールもあります。お互いに助け合う心、支え合う心を育てましょう。


お話をよく聞きます

絵をかいたり、工作をしたり、おゆうぎやゲームをしたり、さまざまな園生活の中で、子どもたちの創造心と探求心はぐんぐん育まれていきます。そしてその中で大切なことは、お話を素直に聞くということです。良く聞くということは、よく吸収する力を養うことにもつながるからです。


いつもありがとうと言います


「ありがとう」「すみません」。素直で、とても美しい言葉です。園では植物を育てたり、動物を飼ったり、自然とのふれあいを大切にします。そのふれあいの中で、「いのち」の尊さを学び、私を支える多くのいのちに素直に「ありがとう」と言える感謝の心を育てます。

「まことの保育」-生かされているいのちへの目覚め-   

 子ども達の「心の荒廃」が大きな社会問題になると、それ以来「心を育てること」の大切さに関心が寄せられるようになりました。ところが、さほど効果があがらないばかりか、むしろこれまでには考えられなかったような痛ましい事件や出来事が次々と起こり、人々の心に大きな衝撃を与えています。それは、おそらく人間であることの証ともいうべき「いのちの尊さを知る心」や、周囲の人々に支えられていることに気付き、そのご恩に報いようとする「感謝の心」を育むことが見落とされてしまっているからではないでしょうか。
 人間が育つということは、心が育つということです。それは、生かされているいのちに目覚め、すべてのいのちを愛する心が育つということにほかなりません。仏さまは「すべての生きものは自らのいのちを愛して生きている」と説いておらます。けれども、その一方で生きるということは、そのまま他のいのちを奪うという矛盾した在り方の上に成り立っているのも確かな事実です。
 私のいのとは決して私ひとりのものではなく、多くのいのちに支えられ、願われているいのちです。親や周囲の人々からは健やかな成長を、また生きるために日々頂いた無数のいのちからは空しく過ぎることのない生き方を願われています。さらに「何があっても決して見捨てなはしない・必ず限りない光といのちの世界に迎えとる」という仏さまの大いなる願いに照らされてその光の中を生きています。
 人間の眼は、光そのものを見つめることは出来ませんが、光に照らされて我が身を見ることは出来ます。身勝手な私の思いではなく、尊い仏さまのみ教えを拠り処とし、育てる私が仏さまの光に照らされて、子ども達と「共に育ち合う」、そのような在り方を「まことの保育」といいます。人間としての一生を決定つける大切に乳幼児期に、なによりもその「心を育てること」を重視する「まことの保育」の果たす役割は極めて重いといわねばなりません。