まことの保育  


   まことの保育とは

       −なぜ保育者はみ教えを聞くことが大切なのか−

1.「まことの保育」の研修会に見られる特長

   今日、種々の保育関係の団体・連盟あるいは協議会等の組織によって、保育に関する様々な研修会が催されています。そこでは多く、子ども達をどのように保育していくかということ。端的には、子どもについての知識を増やすことや、技術の習得、並びに方法論を学習することに関心が寄せられています。また、保育を取り巻く社会的環境面では、保護者のニーズ・地域のニーズ、あるいは保育サービス・子育て支援等の言葉(個人的には、それらの事柄の大半は、発達心理の面及び子どもの立場から見ますと「親の都合」としか思えないようなものが比較的多い気がするのですが…)で、主として行政の側から「社会全体の要望」という大儀名分のもとに、特に保育園に対して多様な事柄が求められているといえます。もちろん、保育者自身が子どもについて学んだり、自らの保育技術の向上を目指すことや、園が地域・社会の要請に応えていくということは、現在の社会状況に鑑みると大切な事柄だといえます。しかしながら、そこでは子どもや園の在り方が問われても、保育者自身の在り方深く問ということは、あまり重要視されていなかったように思われます。ただ、ようやく近年になって「保育者の質」という言葉で問題にされるようになってはきつつあります。

   一方、まことの保育の場では、保育者自身の在り方、具体的には子ども達との関わりの中で明らかになる、自分自身そのものを問題にすることに重きが置かれてきました。その理由は、技術や方法論だけに終始したのではいつの間にか教える側の論理だけで子ども達を見てしまうような在り方に陥ってしまいかねないからです。それは、子どもの持つ心の美しさや、弱さや、悲しさに学ぶことなく、自分の物差しで子ども達を測り、叱咤激励してしまうような在り方に終始してしまうということです。これではどれほど素晴らしい理想を掲げ、それを実現するための保育を実践しようと試みても、その内実は子ども達を使って自分の思いを遂げようとすることばかりに苦心惨憺するばかりで、いつしか子ども達の姿さえ見失ってしまうようなことにも繋がりかねません。しかしながら、保育とは本来子どもとの関係性において初めて成り立つものですから、子どもと共生関係にあるものとしての自分自身を見失ったままでは真の意味での保育そのものが成り立たなくなってしまいます。

   この道理を踏まえて保育連盟の保育理念には「ともに育ち合う」と示されていますがまさに「子どもを育てる」ことは、そのままに「私が育てられること」に他ならないのです。それ故、その時そこには子どもの姿と、自分自身の姿がきちんと見えているということがなくては「ともに育ち合う」世界は開けてこないのだと思います。つまり、一方的に子どもの姿だけが見えているというのではなく、そこには常に子どもと関わっている自分の姿が見えていてこそ「ともに」という世界が生まれるのだといえます。それは言い換えると、保育者としての自分を客観視したとき、その保育している自身を、果たして自分は好きになれるか、愛せるかどうか、ということです。おそらく、その答えの是非は、そのまま子ども達の心にも反映するのではないでしょうか。この場合、自分を客観視する基準は「尊い(仏さまの)み教え」ということになるのですが、多くの保育者は具体的には研修会を通じて、自分の姿を知らしめられることになります。これが、他の保育の研修会にはあまり見られない、まことの保育の研修会の極めて顕著な特長だと言えます。

  2.まことの保育とは

  

私たちは、日常何気なく口にしていることや行っていることでも、そのことの意味を改めて問われると、案外上手く説明できなかったりすることがしばしばあります。つまり、聞かれるまでは知っているつもりのことであっても、改めて尋ねられると実はよく分かっていなかったということが私たちの身の回りには少なからずあるということです。このことを古代ギリシアの哲学者は「問われない時には、私は知っていた。問われた時には、私は知らない」という言い方で述べています。

   一般に、「既にわかりきったことと」している事柄については、自分も周囲の人もその意味や内容を改めて確かめるということ、またそれについて深く考えるということは殆どしません。そのために、何となくわかっているつもりのことであっても、突き詰めて考えると「自分の言葉」で上手く答えられなかったりすることがある訳です。

   、私たちは自らの保育のことを「まことの保育」と呼んでいます。けれども、もし保護者の方から「まことの保育というのはどのような保育のことなのですか。また一般の園の保育とどこがどのように違っているのですか。」といった質問を受けた場合、その問いかけの前に佇んでしまうようでは「訳のわからない保育をしているのではありませんか」と言われかねません。また、近年社会福祉施設で取り入れられるようになった第三者評価においては、概ね次のようなことが求められています。まず、その園には保育理念があり、きちんと文章化され、園長以下全ての職員がそのことを理解すると共に保護者の方にも周知するよう努め、何よりもその理念の実現に向けてどのような取り組みを行っているか、その在り方が問われるのです。これに則して言うと、まことの保育においては保育理念が明確に示されていますので、それを園の先生方が正しく理解した上で保護者に周知すると共に、日々どのように実践しているかということが、いま問われているのだと言えます。

   このような意味で「まことの保育とは?」という問いかけは、言葉そのものは極めて素朴な装いをまとっているだけに過ぎないのですが、正面から向き合おうすると、そこに一点の妥協をも許さない厳しさをもって迫ってくるような緊張感を覚えさせる質の問いだと言えす。

なぜなら日々自らの関わっている保育について、自身が明確な頷きを持ち得ていないということは、毎日単なる思いつきによって、それこそいきあたりばったりの「まことの保育らしきもの」を真似ているだけに過ぎないことになるからです。そうしますと、この問いかけは、いま勤務している園における私自身の存在理由そのものさえも左右しかねないほどの重みを持っているといっても過言ではないと思われます。

   では、「まことの保育」の「まこと」とはどのような意味なのでしょうか。『歎異抄』という書物に親鸞聖人のお言葉として

   ただ念仏のみぞまことにておはします

   とあります。これによれば「まこと」とは実は「念仏」のことであることが知られます。また、『教行信証』という書物の中で親鸞聖人は

   念仏はすなわちこれ南無阿弥陀仏なり

  と述べておられます。そうしますと「まことの保育」とは「南無阿弥陀仏の保育」ということが出来ます。ただそれでは一般の人々には理解難しいと思われるので、南無阿弥陀仏念仏まこと」と全て同じ意味であることから「まことの保育」と呼んでいるのです。

   このことからまことの保育とは「自分中心の思いを中心にして進める保育ではなく、仏さまの教えをよりどころとする保育の在り方のことをいうのだ」と理解することが出来るように思われます。では、どうして私の思いではなく、仏さまの教えをよりどころとして保育をしていこうとするのでしょうか。

 「循環彷徨」という言葉があるのだそうです。「循環」はぐるぐる回る、「彷徨」はさまようという意味です。私たちは、何も目印などのない砂漠とか雪野原とかを自分の感覚だけを頼りにまっすぐ歩いてくと、だいたい二百メートル歩く間に五メートルれてしまいます。それも、必ず自分の利き腕の方向にずれてしまうのだそうです。したがって、自分では真っ直ぐに進んでいるつもりでいても、いつの間にかずれてしまうので、結局もとの位置に戻ってしまうことになります。時折砂漠や雪野原で同じ所をグルグル回っている内に力尽きてしまったという話を耳にすることがありますが、あれがこの「循環彷徨」なのです。

     この循環彷徨という言葉は、私たちの感覚の危うさをまざまざと教えてくれます。殊に興味をひかれるのが、利き腕の方向に曲がっていくということです。なぜなら、自分の得意なことで曲がっていくからです。思うにこれは、自分が一番自信を持っていることで曲がって行くということですから、ある面、悲劇的であるとさえ言い得ます。いまこれを保育の現場に則して考えますと、誰もが得手・不得手なことがあります。ピアノ、絵画、ダンス、読み聞かせ、その他、その全ての面において絶対の自信があるという人などほとんどいないと思います。そうしますと、自然と自分の得意な分野は子ども達の反応も良い気がして積極的に取り入れようとしますしやはり苦手なことはどうしても避けてしまいがちです。しかも、無意識の内にそのような傾向に陥ってしまうものです。けれども「自分の思い」を中心に据えて保育を進めていたのでは、なかなかそのことに気づき得ません。

そこで私たちは保育を進めていく中で、絶えず自分のズレを正す目印を持つということ大切になります。まさに、その軌道修正するための目印こそが「まこと」つまり仏さまの教えということになる訳ですが、「まことの保育」においてそれは具体的には、保育理念・保育方針・保育信条ということになります。

3.まことの保育の三つの柱

   私達がまことの保育を進めていく上で、その柱となり、保育の目印となる三つの事柄が既に示されています。

  《保育理念》

  親鸞聖人の生き方に学び、生かされて生きているいのちにめざめ、ともに育ちあう。

  《保育方針》

  豊かな宗教的情操教育の中で、心身の調和的発達を図り、ひとりひとりの幼児が幸せな生活のできるいしずえをきずく。

  保育信条》

  尊いみ教えを聞いて、仏の子を育てます。

  @ 保育理念

「理念」とは保育の理想、目指すべき在り方・目標のことです。ここではまず「親鸞聖人の生き方に学ぶ」ということが示されています。「生き方に学ぶ」ということは、少なくとも単に親鸞聖人に関する歴史的な事柄を、知識として学ぶというようなことを指しているのではない思います。なぜなら、周知の通り親鸞聖人は承安三年(1173)にお生まれになられ、弘長二年(1263)に亡くなられるまで九十年のご生涯を生きられたのですが、その間、ご自分が何をさったかというようなことについては、ほとんどといってもいいほど述べてはおられないからです。例外的に記されているのは、自分を真実の仏道に導いて下さった法然聖人という生涯を託しても悔いない」と言い切れる大切な師にお遇いすることが出来たということです。このことについては、その著述において、いつでも新しい感激として、まるで昨日の出来事のように述べておられます。親鸞聖人にとっては法然聖人と出遇い、その教えを聞き続けるような一生であったというところに大きな感激があり、その一事のみがまさに、自らの一生の全体を語るに足る事柄であったように窺われます。このような意味で、親鸞聖人とは「法然聖人の生き方に学ばれた方」であったということが出来るのではないでしょうか。それは、具体的には師である法然聖人の教えを通して、真実の教えを学ばれたのだということです。おそらく親鸞聖人にとって法然聖人との出遇いとは、単に法然というひとりの念仏者と偶然出遇ったという、私的な事柄に止まるのではなく、その出遇いがそのまま真実の教えとの出遇いであったのだという、まさにその一事をもって人間に生まれたことの意義さえ語り得るほどの燦然たる光を放つ出来事であったのだと思われます。

   以上のことから「親鸞聖人の生き方に学ぶ」ということは、今度は私達が親鸞聖人の明らかにされた道を聞くことを通して、真実の教えを学んでいくということだといえます。

   次に「生かされて生きているいのちにめざめる」ということは、とりも直さず私のいのちの事実に目を向けるということに他なりません。経典には「生きとし生けるものはすべて、自らのいのちを愛して生きている」と説かれています。自らのいのちを愛して生きようとして、この世に生を受けた、海の大地の無数の生きものたちの、そのいのちを頂くことをもって、この私はいまここにこうして、まさに「生かされて生きている」のです。そうしますと、そのことの意味を私がどれほど真摯に受けとめることができるか否かがここでは問われているのだといえます。つまり、私のいのちは決して私ひとりのものなどではなく、多くの生きものと共に生きているのであって、あえていうならば私はその諸々のいのちの代表的存在として「生かされて生きている」のだということです。そのことに気付き、空しく過ぎることのない生き方を求める私となるということが、この言葉に託されたことの意味なのではないでしょうか。また「ともに育ち合う」ということは、私と子どもが半分半分の力合わせてということではなく、両者が十分に力を尽くすということです。言い換えると、それは保育そのものが、私の人生の内容と重なるということだと思います。つまり、「あなたが人間として輝いているのはどんな時ですか」と問われた時、自信を持って「それは保育をしている時です」と、はっきり言い切れるということです。

A 保育方針

「方針」とは、保育の理念(理想)を実現するための方法、あるいはそれに至るための道筋のことです。「宗教的教的情操」とはいわゆる宗教心のことで、具体的にはいのちに対しての尊さを知る心、あるいはお互いに生き合いながら生きているということについての深い頷きを持つ心だといえます。殊に着目すべきは、幼児期というのは人間の一生の中で無意識ではあるものの本能的にいのちの尊さを感じながら生きている時期だということです。それは、例えば日頃子ども達が路傍や園庭に咲いている草花に話しかけたり、小動物や昆虫とお喋りをしたりしている姿を見かけることがよくありますが、それらの光景からこのことは容易に窺い知ることができます。思うにこのような感性は、生まれたあとに成長して行く途中で、誰かに教えられることによって自分のものとしていくような後天的なものではなく、誰もが生まれながらにして備えている先天的感性なのではないでしょうか。そしてそれを教育していくということは、生まれながらにして備えている生命共存の感覚を、あたかも心の奥深くにまで刻み込んで行くような営みをいうのだといえます。このような意味で、人間は成長してく途中で教えられることによって初めて宗教的存在となるのではなく、むしろ本来宗教的存在であるものが、幼児期にその確かめがきちんとなされないことによって、非宗教的存在になっていくのだといえるようです。
 「心身の調和的発達」とは、身近な言葉に置き換えると「こころが育つ」ということです。それはまた、人間が育ってゆくということに他なりません。私たちは知識をどれだけ増やしたとしても、そこにこころが育っていなければ、その知識は時として非人間的事柄に悪用され、本人はもちろん周囲の人々に迷惑をかけ、害を与えてしまうことさえあります。
 では「人間が育つ」ということはどのようなことなのでしょうか。時折「人間性」という言葉を聞くことがあります。実は、私たち人間だけが「殺す」ということを知っており、しかも殺すという意識を持って殺しているのですが、そうしますと、その殺すということにどれ程の痛みの感情を持ちうるかどうかということ。そしてそのことをどれほど厳しく見つめ、問いつめ、決して正当化してはならないことに目覚めているか否かということを言い当てた言葉だと思われます。ここに人間が育つためには、まさに「宗教的情操教育」が不可欠であることが改めて窺い知られます。そして、この豊かな宗教的情操教育を通して、心身の調和的発達が図られることにより、真の意味での「人間」に育っていくことが自然と実現していくが故に、そのことを指して「幼児が幸せな生活のできるいしずえを築く」と言われているのです。

  B    保育信条

「信条」とは、「理念」の実現を目指し、それに向かって「方針」を実践していく保育者の基本姿勢のことをいいます。「尊いみ教え」とは、真実の教えのことです。それは、いつの時代も、いかなる人々においても、生きる勇気を与え、またそれがいかなる一生であろうとも、決して空しく終わることのない人生を生み出すことの出来る教えです。そして、その教えとの関わりは、何よりもまず「聞く」ことから始まります。
 次に、ここで言われている「仏の子」とは、親鸞聖人の言葉に則して言うならば「御同朋・御同行」の言葉に重なると思われます。親鸞聖人は、自分の周囲に「お師匠さま」と慕い集われる人々に対して、親しみを込めて「御同朋・御同行」という言葉で呼ばれ、しかも必ず仏に成られる人々(未来仏)として拝んでおられたと伝えられています。そうしますと「仏の子」とは、まさに「仏と成るべき身の子ども」と理解することができます。経典に「当相敬愛(お互いを敬い愛しなさい)」という言葉が見られますが、保育者と子どもたちがお互いを敬い、愛し合うような関係の大切さを「仏の子」という言葉から感じることが出来ます。
 そして「育てる」は、「教える」が相手が知識や能力を持っていないと見做すところに立脚しているのに対して、「育てる」は相手の中に無限の可能性を信じようとする在り方で、自らが子どもにとっての良い環境そのものとなり、子どもが伸び伸びと自分を表現できる場を与えて、どこまでも「待つ在り方のことだと言われています。
 以上、概略的に見てきた理念・方針・信条を日々の保育の基底に据えて、常に私の姿を映し出し、照らし出す鏡とする在り方の中にまことの保育は展開していくのだといえます。

  4.「聞く」ことの開く世界

   おそらくまことの保育に携わる人は、この理念・方針・信条に示された三つの事柄の内容を正しく理解することが出来れば、誰もがいとも簡単にこの言葉通りの保育を実践できるかのように思われることでしょう。ところが、実際はなかなかそのように出来るとは言い難いのです。もし、仮に「自分は日々、理念・方針・信条に示された通りのまことの保育を立派に実践することが出来ている」といわれる方がおられたとしても、おそらくそれは、いわゆる錯覚に過ぎないと思います。
 なぜなら、み教えを聞けば聞くほどそこに露になるのは、目指すべき理想・道筋・姿勢が明らかになりながら、その言葉通りには実践し得ない自分自身の痛ましい事実な他ならないからです。そして更にそこに痛切に自覚されるのは、日々の保育や行事その他諸々の忙しさに流され、埋没し、むしろ理想的な在り方からは限りなく遠ざかるばかりの、それは時として理想さえも見失いがちな…、例えばなぜ自分は保育者になりたいと思ったのか、あるいはどのような保者になりたかったのか、といった自分の中の保育者としての原点、言い換えると自らの保育者としての「初心」さえもどこかに置き忘れて、しかもその置き忘れてしまっていることにさえも気付き得ないでいる、何とも恥ずかしいとしか言い表しようのない私の身の事実だといえます
 では、このように教えに照らされることによって、理想と現実とが乖離していることに気づいた保育者は、どのような道を歩こうとすればよいのでしょうか。ここで注目したいのは、親鸞聖人が『教行信証』の「信巻」において、真・仮・偽の仏弟子について述べておられる箇所があるのですが、その後に続く文章についてです。通常の概念においては、何が真であり、何が仮であり、何が偽であるかがわかれば、当然の帰結としてそのあとに続くべき言葉は「すべての仏弟子の在り方について理解することが出来た。そこで、自分は真の仏弟子になり得たのだ。」と述べられそうなものです。ところが、周知の通り、そのあとに続いているのは、
 まことに知んぬ。悲しきかな愚禿鸞、愛欲の広海に沈没し、名利の太山に迷惑して定聚の数に入ることを喜ばず、真証の証に近づくことを快しまざることを、恥づべ し傷むべしと。
という、あの痛切とも言える悲嘆のお言葉です。中でも注意したいのは、常に釈尊の弟子であるという仏弟子の自覚のもとに「愚禿釈親鸞」と記してこられた聖人が、ここの箇所だけはその仏弟子の自覚の証である「釈」の一字をあえて抜いておられるということです。これは仏弟子の在り方のすべてが明確に分かりながら、教えを聞くことを通してそこに明らかに知られたのは限りなく教えから遠ざかるばかりの痛ましいような我が身の事実であり、その自覚がどうしても釈尊の弟子であることを証する「釈」の一字を記すことを許さなかったからだと思われます。
 善導大師が『観経疏・序文義』に「経教は之を喩うるに鏡のごとし」と述べておられますが、聞けば聞くほどに教えの鏡に映し出されるのは、人の師どころか弟子にさえもなり得ない自分自身の姿だったという訳です。親鸞聖人が、いかに真摯に道を求められた方であったかが窺い知られる顕著な事柄のひとつだといえます。
 また、ここで思い起こされるのは仏教を学ぶときの二通りの在り方です。一は解学で、仏教を一つの思想として学ぶことです。教えを理論的に研究していくという在り方ですから、凡夫の煩悩のすべてについて、あるいは菩薩・仏の悟りの内容までを自由に学ぶことができます。二は行学で、自分の生き方を仏教に学び実践していくことです。この在り方においては、私の生き方そのものが問われますので自由に…という訳にはきません。
 善導大師はその場合「必ず有縁の法に籍れ」と言われます。有縁の法とは、別の言葉で「待対の法」といわれ待ちこたえるというのがその意味です。つまり、人間が仏法を待つのではなくて、既に仏法が人間を待っているのだといわれるのです。したがって、教えを聞くことを通してそこに開かれてくるのは、何か今まで知らなかったような世界ではなくて、私のことを言い当てている言葉が既にあったということを知る世界なのです。まさに、私が自分で自分のことを理解している以上に、この私という人間のことを具体的にはその愚かさや悲しさを言い当て、それにどこまでも寄り添い待ち続け応えてくれる教えこそが仏法なのだと明らかにしておられる訳です。
 このような意味で、教えを聞くことよって明らかになるのは、保育者の理想的姿から遠ざかるばかりの私が身の事実であり、そのことを具体的に教えてくれるのが、保育の場で日々関わっている子ども達だといえます。初めにも述べましたように技術や方法論を学ぶことはとても大切なことです。それはあたかも行学の根底に解学の修学が前提となるのと同様です。しかしながら、子ども達は日々刻々と変化・成長を遂げているのであり、まさに「生きている」のです。そうしますと、むしろ学べば学ぶほど現実には思うようならない事態が次々と起こってきます。なぜなら、子ども達は、一人ひとりすべてが違っているからです。にもかかわらず、そのような現実に直面したときに、うまくいかないこと、思い通りならないことの責任はしばしば子ども達に転嫁されがちです。それが、自分の意のままになる子どもを「良い子」、自分の枠内に入りきらない子どもを「問題児」と選別してしまうような在り方を生み出しているのだといえます。いつの時も自己中心的な在り方でいることしかできないばかりかその事実にさえ気付き得ないでいる私。その私の身の事実を知らしめられるのが、み教えを「聞く」ことによって開かれる世界なのだといえます。

  5.「聞く」ことの意義

   さて、教えを聞くことを通して明らかになるのは、理想的な姿がわかりながらその通りには成り得ない自分自身の姿でした。それはまた自分が、子ども達から「先生」と呼ばれるには値しないことに気が付いたということだといえます。しかしながら、では子ども達から単に「先生」と呼ばれないようにすれば、それでこの問題は解決するのかというと、そういう訳にも参りません。果たしてこのような自覚に立つ保育者は、日々子ども達とどのように関わっていけばよいのでしょうか。 親鸞聖人は自らを師と仰ぎ慕い来る人々に対して『親鸞は弟子一人も持たず』と仰っておられます。また蓮如上人の「御文章」によれば『「御同朋・御同行」とこそかしづきて…』と、むしろ手をついてお仕えなさったとも伝えられています。その訳は、親鸞聖人の人間観から窺い知ることができます。例えば、『教行信証』「信巻」の中で「人間の心を持っている者と、持たない者(畜生)との区別をどこでつけるのか」という問いに対して、それは「慙愧(ざんき)という心があるか否かによるのだ」と述べておられる箇所があります。そして『「慙」とは自らが悪いことをしないということ。また「愧」とは他人に悪をなさしめないということ。』と、述べておられます。この両方を実現するということは大変に難しく、しかも「慙愧」の心のある者こそが人間だということになりますと、そこに起こるのは、外見はともかく自分は真の意味での人間とは言い難いという深い恥じらいの心です。
 したがって親鸞聖人の自覚内容は、常に自分は仏法に導かれ真実を求め続けている者であり、さらにつきつめていえば「弟子を一人も持たない」のではなく、「弟子一人も持ち得ない身」というのが自らに対する正直な思いであったと推察されます。それ故に、親鸞聖人はどこまでも教えを求め聞く立場を取り続けられたのであって、間違っても自分は人の師なのであって、既に完成した人間なのだから自分の元に集う人々に対して「教えてやるのだ」などという傲慢な態度は一度もとってはおられません。
 このような意味で親鸞聖人という方はいつでも仏さまの教えを聞きつつ生きて行かれた方だったと言うことができます。この「聞きつつ」ということは、日々の生活の中でいつしか聞いたことを忘れてしまう自分が、再び聞くことによって教えに照らし返されて行く。そして、改めて教えの前に立ち還らされてはいつも新しい弟子になり、新しい弟子になりながらも自分が欲すると欲せざるとにかかわらず、気がつけば周囲の人々から師匠と呼ばれることによって、つい人の師になってしまう我が身の自力の執心を深い痛みの中で味わい続けて行かれたということです。
 つまり常に教えを求め聞き続けていくということは、自分は不完全なる者でしかないという視点で自分を見つめ続けていくことだと言えます。このように、指導的立場に立つ人が、常に求め続ける者であってこそ、初めて「教えてやる」のではなく、ともに聞き学ぶという世界が開かれて来るのだと言えます。また、おそらく親鸞聖人のこのような人格の深さが、周囲の多くの人々を魅了していったであろうことは、容易に推察することができます。

 このことを、日常保育をしていく中での保育者の問題に重ねて考えますと、まず思い起こされるのが、大半の保育者は子ども達やその保護者の方々から「先生」と呼ばれることを当然のことと考えてしまってはいないかということです。したがって「先生」と呼ばれて当然と思われる相手から「さん」付けで呼ばれたりすると、違和感を覚えるということがあったりはしないでしょうか。けれども、初めて「先生」と呼ばれた時はどうだったのでしょう。おそらく多くの方々は、まだ学生で保育実習をし時にそのような体験をされことと思われるのですが、子ども達あるいは実習先の園の先生方から「○○先生」と呼ばれたとき、相矛盾するような二つの感情が同時に湧き起こってきたことと思われます。それは「恥ずかしい」と「嬉しい」です。まだ自分はとても「先生」などと呼ばれるような実力も資格もないということは、誰よりも自分が一番よく知っていますから、その自覚が「恥ずかしい」という思いとなって頬を染めさせるのです。それと同時にそのように未熟な自分であるにも関わらず、周囲の人々から「先生」と呼んでもらえた、その喜びが「嬉しい」という思いとなって心を満たしてくれたるのです。

   聞くところによりますと、「ありがたい」と感じる心は、このようにまでしてもらえるはずのない私だという反省と、そうであるにもかかわらず今それを私は身に受けているという感謝の、その二つの思いが同時にどこまでも深まっていく心なのだそうです。

したがって、自分にはしてもらう資格がある、あるいはしてもらって当然と思う人には「ありがたい」などという思いは決して出てはきません。そうしますと、「先生」と呼ばれることを当然のこととしてしまうような在り方は、親鸞聖人の生き方とは正反対の生き方であり、また「理念」に示された「ともに育ちあう」ことからも限りなく遠ざかって行く在り方に他ならないといわなくてはなりません。

   日々、子ども達や同僚、保護者の方々から「先生」と呼ばれているうちに、いつの間にか名誉欲にとらわれて、「先生」と呼ばれることを当然のこととしてしまうような私達の本質を、親鸞聖人は「名利に人師を好むなり」「名利の大山に迷惑し」と述べておられます。そして、そのような私達を、常に保育者としての「原点」に引き戻し、また保育者としての原点とも言える「初心」を思い起こさせてくれる場、それが「聞法の場」(法座・まことの保育の研修会)なのであり、まさにここに私たちがいろいろな機会を通して、繰り返し繰り返し「尊いみ教えを聞」き続けて行くことの意義があるといえるのだと言えます。

6.「聞く」ことの難しさと大切さ


 最後に「聞く」ことの難しさと大切さということについて少し考えてみたいと思います。

  一般に「聞く」ということは、そこに静かに座っていれば、いとも簡単に出来ることであるかのように思われていますが、実はこれがなかなか難しいのです。まず「聞く」とはどのようなことかと言いますと、ただその場所にいて「話に耳を傾けていた」というだけでは、聞いたとは言えません。少なくとも、話を聞いた後で、それがいったいどのような話だったのかを自分の言葉で言えなければ「聞いた」とは言えないのです。つまり、「聞く」というのは「聞いて理解する」ということなのです。なぜなら、たとえ聞いたと言っても、何を聞いたかを話せなければ、それは何も聞かなかったのと同じことだからです。

また更に難しいのは、仮に自分の言葉で話すことができたとしても、そこに自分勝手な解釈を施して、話し手の意図と違う意味に理解してしまっていたのでは、これもまた問題です。実は「聞く」ことの中で生じる一番の問題は、この「聞き違い」ということです。これは、本願寺八代蓮如上人も非常に注意しておいでのことです。

例えば、『蓮如上人御一代記聞書』には

「御座敷をたち御堂へ六人よりて談合さふらへば、面々に聞きかへられ候。そのうち、四人はちがひ候。大事の事にて候ふと申す事なり。聞き惑ひあるものなり。」

「四五人の衆、寄合ひ談合せよ、必ず五人は五人ながら意巧に聞くものなる間、よくよく談合すべき。」

「一句一言を聴聞するともただ得手に法を聞くなり。ただよく聞き、心中の通を同行に会ひ談合すべきことなり。」と「面々に聞きかえ」とか「意巧にきく」、あるいは「得手に法を聞く」などの表現で、話を聞く時の問題点を明確に指摘しておられます。これは、私達は自分の思いで意識して聞き違えるのではなく、自身が自覚し、注意し、反省するよりももっと巧みに、私のこころが無意識のうちに勝手に聞きかえてしまうということです。しかもそれは、自分にとって都合のいいこと、悪いことのどちら場合でもです。例えば、ある保育の

職員研修会の折りに『一般には、よく「子どもを叱るよりは褒めて育てることが大切だ」ということが言われています。しかしながら、ここで自らのありようと重ねて振り返って頂きたいことがあります。それは日常、保育をしていく中で、自分の言うことを聞いたら褒める・聞かなかったら叱るというような、自己中心的な基準でもって子どもたちと接してはいないかということです。これは、根底に子ども達を自らの意のままに動かすという意図が多分に見られ、いわゆる「アメとムチ」の使い分けに過ぎないのではないでしょうか。言葉の表面的な理解に止まることなく、この言葉がいったい私たちに何を語りかけようとしているか、もう一度よく考えてみることが大切なのではないでしょうか。』

というような問いかけをしました。ところが、その後のグループ討議で『これまでは、叱るより褒めよと言われてそのようにしてきたつもりだが、さきほどの講義ではそれでは駄目だといわれた。褒めるよりも、叱った方がいいということなのか。いったい自分達は、どうすればいいのだろうか。』というような意見が出されたというのです。まさに、「意巧に」聞いている訳ですが、なぜそのような聞き方に陥ってしまうのか、なかなか理解し難いものを感じます。けれども、実際にそのような聞き方がなされている訳ですから、改めて「聞くこと」の難しさが思われます。 蓮如上人が、一方的に聞くことだけに終わることなく、聞いた後にはよくよく話し合い、お互いにその内容を確かめ合うことが大切だと繰り返し注意された理由も、おそらくこのことを十分に踏まえられてのことに違いありません。
 では、繰り返し聞いて話し合えばそれで十分なのでしょうか。実は、それで終わりということにはならないのです。なぜなら、私たちは教えを聞くことを通して、その通りにはなり得ない自分のありように気付かされますと、一応は反省をするのですが、一旦反省して下がった頭がいつの間にか持ち上がり、思わず次のようなことを口にしてしまうからです。すなわち「自分は、教えを聞くことを通して、自らの至らなさに気付くことができた。深く反省することもできた。だからこれでひとつ賢くなることが出来た。未だ教えに出会わず反省をしていない人達と比べると、一ランク上の人間になることができた。」と。こうした錯覚に陥り、反省したことを今度は自分の中に取り込んでしまおうとさえしてしまうことがあるのです。もちろん、心が無意識の内にそうしてしまうのですが、そのことを一度ならず何度でも繰り返してしまうところに問題があります。

  親鸞聖人は、「悲しき哉、愚禿鸞」という言葉の最後を「恥づべし傷むべし」と結んでおられます。それは、まさにそのまま自分にも当てはまることだと痛感されるばかりです。だからこそ私達は、常にみ教えの前に自らを立たしめて、そのありようをどこまでも省み続けることが大切なのだといえます。

そうするとまことの保育に携わる人びとに共通する願わしい姿とは次のように言いるのではないでしょうか。それは、願うべき理想的在り方(保育理念)を、また進むべき道(保育方針)を、そしてあるべき私の姿(保育信条)を正しく理解し、それを実現しようと必死の努力を重ねながらも、み教えに照らされることらよって、現実にはなかなかその通りには成り得ない自分自身の至らなさに深い恥じらいの心を持ち、

常に反省を繰り返しながら、少しでもまことの保育の理想に近づきたいと願い続けていると。

 最後に、まことの保育とは「保育」にいのちのぬくもりがあり、仏縁によって出会った保育者も子どもも、そこにいのちの輝きを持つ。そのことを願う保育なのだといえます。そして、何よりも保育に携わる人がいのちのぬくもり、またいのちの輝きを、常に自分自身に尋ねていくことがその根本になるのだといえます。