篠田節子『家鳴り』新潮文庫 2002年

 「成功の証と思ったもの一つ一つが,人生の重荷に変わっていくのを中沢は感じている」(本書「水球」より)

 7編を収録した短編集。芸風の広い(笑)この作者のさまざまな「顔」が見ることのできる作品集となっています。
 なおハードカヴァのときのタイトルは「青らむ空のうつろのなかに」とのこと。こういった書誌情報をカヴァ裏の「解説」に,きちんと書いているのは,じつに良心的ですね。本の最後の方に,小さな字で申し訳程度に書誌情報を載せ,新書版と同じ内容の文庫本を,タイトルを変えて出すようなどこかのあざとい出版社とは大違い。

「幻の食糧危機」
 東京で大地震が発生。“私”の住む田舎町は,難民であふれかえり…
 大昔の自給自足の生活ならばいざ知らず,今日における「生産」は「流通」と密接に結びついています。「生産」なくして「流通」がないのと同程度に,「流通」なくして「生産」もないのでしょう。ですから「食糧危機」の起こる危険性は,「生産」そのものの破滅ではなく,むしろ「流通」の壊滅の方が,はるかに高いのかもしれせん。その着目点が秀逸ですね。
「やどかり」
 教育センターの職員・哲史は,ひとりの少女に同情したことから…
 本編に登場する少女智恵に対して,「ぞくり」とする怖さを感じてしまうのは,わたしが哲史と同じ男性だからでしょうか? たしかに彼女は,ある種「無垢」なのかもしれません。しかしその「無垢」は,男が勝手に「少女」に託するそれと大きく異なります。そこらへんのギャップが,「ぞくり」の原因なのかもしれません。なおアンソロジィ『恐怖の化粧箱』所収作品で,既読なのですが,そのときは感想文はアップしてませんね^^;; 
「操作手(マニピュレーター)」
 寝たきりの状態になった義母のために,介護用ロボットを借りるが…
 たしかに嫁の妙子は,義母須磨子の死を願ったかもしれません。しかし,かといって須磨子に対する介護をなおざりにしたわけではない。けれども須磨子にとって彼女の介護は苦痛でしかなく,「自分の世界」へと引きこもっていく。そんな須磨子にとって人間が無生物に見え,ロボットが人間に見える(手塚治虫『火の鳥・復活編』を連想させますね)…介護する側と,介護される側との絶望的なまでの「溝」が,なんともやりきれません。
「春の便り」
 病院のベッドから出られないはずの老婆が,外の光景を語りはじめ…
 典型的な怪談話のひとつに,ある人が歩けないはずの老人と道ですれ違う,老人もそのときの光景を証言する,というものがあります。「生き霊もの」ですね。本編はおそらくその怪談をベースにしながらも,そこにもうひとひねりを加えています。老婆の「はさみを貸してほしい」というセリフが伏線になるとともに,彼女のせつない想いを巧みに表象しています。
「家鳴り」
 アンソロジィ『花迷宮』所収作品。感想文はそちらに。
「水球」
 中堅の証券会社に勤める中沢は,厳しい不況ながらも,変わらぬ“明日”を信じていたが…
 自分が薄氷の上を歩いていることを知っていれば,当然その歩みは慎重なものになりますが,揺るぎない大地の上を歩いていると思いこんでいれば,どうしても足下に対する注意はおろそかになります。ただ困ったことに,自分が歩いているのが「薄氷」なのか「大地」なのかは,見極めがとても難しいのです。「今日が昨日と同じだからといって,明日も今日と同じとは限らない」…かつて「希望」の言葉は今,「恐れ」とともに語られているのかもしれません。
「青らむ空のうつろのなかに」
 母親の虐待を受け,“農場”に預けられた少年・光は…
 金銭を軽蔑しながら,の父親が“寄付”した400万円に執着に執着する矛盾,「健全」な子供たちの間で平然と行われるいじめ,“実学”の名の下に行われる子供たちの無給労働,警察沙汰,裁判沙汰に対して戦々恐々とする“農場”の職員たち…かたくなに心を閉ざす光の存在が照射するものとは,「理想」と称するものの滑稽で猥雑な「現実」なのでしょう。大作『弥勒』に通じるテーマといえましょう。

02/06/13読了

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