篠田節子『弥勒』講談社 1998年

 この感想文は,作品の内容に詳しく触れているため,未読で,先入観を持ちたくない方には,お薦めできない内容になっています。ご注意ください。

 ヒマラヤ山中,人口20万人の小国・パスキムでクーデタが起きた。パスキム独特の仏教芸術に傾倒するT新聞社事業部の永岡英彰は,単独,パスキムに潜入する。彼がそこで見たものは,人影の絶えた都市と破壊された寺院,そして大量虐殺された僧侶の屍体だった。国外へ逃げようとした彼は,しかし,解放戦線によって捕らわれてしまい・・・

 「欲望」という衣服は,着る者に応じて伸び縮みしてくれますが,「理想」という衣服を着るときは,身体の方を伸び縮みさせなければなりません。別の衣服があれば,身体に合わない衣服は捨てることもできますが,それ以外に衣服がない場合,人はそれを着ることを余儀なくされ,強制されます。もし「理想」に袖が片方しかなければ,片腕を切り落としてでも・・・。そうしなければ凍死してしまうでしょうから・・・

 さて本書の舞台は,インドと中国とにはさまれたヒマラヤ山中の架空の国・パスキムですが,描かれる世界―大量虐殺,過去の文化や歴史の徹底的な否定と破壊,強制連行による集団生活,家族の解体,貨幣経済の廃止,洗脳教育による狂信的な少年兵,見境のない対人地雷の敷設など―は,ポル・ポト政権下のカンボジアがモデルになっているようです(作中,「ここは・・・カンボジアではない」というセリフが出てきますが・・・)。
 作者は,主人公の日本人の目を通して,ひとりの「理想主義者」ラクパ・ゲルツェンが築き上げた「理想郷」の姿と,その無惨な破滅を描き出していきます。ゲルツェンの語る「理想」に道理がないわけではありません。最初の方で,主人公のセリフに,「美だけは人が人であるかぎり不変だ」というのが出てきますが,ゲルツェンは,その「美」なるものが,幾重にも重なり合った差別と搾取の結果であることを暴きます。主人公もまた,囚われの生活の中で,都市民の生活を支える農村や山岳民族の貧困と,彼らに対する徹底的な差別を体験します。「反ゲルツェン一派」による抵抗も,恐怖政治の粉砕を目標としつつも,都市民による農村・山岳民族への差別に深く彩られています。
 しかしゲルツェンの「理想」の実践は,生態系の攪乱による飢餓と絶えることない殺戮とを招き,その結果として人間性の完膚無きまでの崩壊へと終着します。とくに「西欧的害毒」から隔離され,ゲルツェン思想に純粋培養された「少年兵」の姿に具現しているといえましょう(“病院”のシーンには,心底震え上がりました)。「理想」という衣服を最初から着ている者には,自分の身体の歪みを自覚することは不可能なのですから。

 1年間,彼らの“キャンプ”で,過酷な狂気に満ちた生活を送った永岡は思います。
「サーカルかゲルツェンか,王制か完全平等自給自足社会か,神仏のパンテオンを肯定するか否定するか,といった二元論自体が無意味なのだ・・・・そのいずれでもない第三のユートピアへまっすぐに通じる光の道もまた存在しない」
と。
 ラストにおいて,主人公は,それこそ死ぬ思いで国外へ持ち出そうとした弥勒像を捨て去ります。前半,「これほどに美しい物を,永岡は見たことがなかった」とまで思いこんだ弥勒像は,谷の中へと落下していきます。代わりに彼の手元に残ったのはボール紙製の拙いチョルテンです。
 サーカル王国は,美しい弥勒像を造り,伝えることはできましたが,その見返りのごとく,奥底に差別と搾取とを隠し持っています。かたやゲルツェンは,それらを全面否定しながらも,みずからが衆生を救う弥勒になることを求めたのかもしれません。ふたつの「弥勒」はともに悲惨な末路をたどります。それを目の当たりにした永岡が選んだのは,はるか未来に救いをもたらすという―それまでの悲惨さには手を差し伸べない―弥勒ではなく,チョルテンを背負い村々を渡り歩く遊行僧の道です。それは,弥勒のように人を「救う」ことはできずとも,人のために「祈る」ことのできる「菩薩」の道なのでしょう。

 「弥勒」と題された本編は,人が「弥勒」になろうとすることの傲慢さを描き出すとともに,もしかすると「弥勒」の「無力さ」をも描いた作品なのかもしれません。

98/12/30読了

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