細谷正充編『大江戸事件帖 時代推理小説名作選』双葉文庫 2005年

 「峠は常に,何かと別れるところなのである」(本書「峠に哭いた甲州路」より)

 『大江戸犯科帖』『偉人八傑推理帖』に続く時代ミステリ・アンソロジィの第3集です(このほか『妖異七奇談』という時代ホラーのアンソロジィもあります)。7編を収録。

角田喜久雄「ひぐらし蝉」
 江戸で変死を遂げた許嫁…それに疑問を持った侍は…
 ミステリでは,「表面的な解決」の背後に「二重底」となった「真相」が隠されているのが定番ですが,本編では,ストーリィ展開とともに「二重底」「三重底」「四重底」…と深まっていく点,緊張感に満ちており,そして「つくづくいやになった。侍というものが…」という主人公の苦いモノローグで終わらせているところが,じつに味わいがあります。
杉本苑子「神田悪魔町夜話」
 たびたび大火事の出火元となったことから,神田佐久間町は「悪魔町」と呼ばれ…
 「老婆の昔語り」といったスタイルの作品です。「出火の本当の原因」を知っている主人公のせつない恋心を主軸としながらも,その皮肉であっけないエンディングを巧みなストーリィ・テリングで描き出しています(「幽霊」に対する主人公の意外な行動を導き出す手腕は見事)。それにしても,本当かどうかわかりませんが,今や「ヲタクの街」と化した秋葉原の地名由来はおもしろいですね。
早乙女貢「「舶来屋」大蔵の死」
 貿易商・伊沢屋の火事は放火とされ,若い手代が容疑者として捕まるが…
 明治2年という,まさに「江戸時代と明治時代のはざま」における混乱を時代背景としながら,「いったい,どこへ行くのか?」というストーリィ展開の末に,それまでの伏線を回収しての,鮮やかでグロテスクな幕引きに驚かされます。
仁木悦子「犯人当て 横丁の名探偵」
 立ち小便している間に,あずかっていた絵が盗まれた…
 落語スタイルの作品で,この作者らしいユーモアがよく活かされており,また「読者への挑戦状」が挿入されているフェアプレイ精神もまた,この作者ならではのものでしょう。掌編ながら,そんなこの作者の持ち味がふたつとも味わえます。
別所真紀子「浜藻歌仙留書」
 ある姉妹に残された豪商の遺産…それを明記した書付が行方不明になり…
 作者は女流俳人,また本編の主人公五十嵐浜藻(はまも)もまた,江戸時代に実在した女流俳人だそうです。一種の「暗号ミステリ」に属する作品ですが,物語の眼目は,むしろ主人公・浜藻をめぐる「連句の世界」にこそあるのでしょう。身分も社会階層も性別も問わない,それらを超越した「連句の世界」ののびやかさ,清々しさ,暖かさが,すっきりとした文章で描き出されています。「時代小説」については,今もって「若葉マーク」でありますが,おそらくは,とても新鮮な視点を時代小説に持ち込んだ作品なのではないかと思います。この作者の他の作品も読みたくなりました。
山田風太郎「天明の判官」
 江戸の街を震撼させた“鳥見屋事件”…それを解決した町奉行・曲淵甲斐守とは…
 名奉行と伝えられる曲淵甲斐守影漸,江戸後期の奇才平賀源内といった実在の人物に,架空の隠密集団“大岡組”を絡め,さらにグロテスクな奇想,淫靡なエロティシズム,トリッキィな事件の数々を描いているところは,短編ながら,まさに「山風節」と言えましょう。「権力」に対する冷ややかでシニカルな視点も,この作者独特のものです。
笹沢左保「峠に哭いた甲州路」
 甲州の山村・大関に足を踏み入れた渡世人・天神の新十郎は,そこで…
 テレビの『木枯し紋次郎』は見てましたが,この作者の,小説としての「股旅もの」は初読です。小説作法としては,ハードボイルド・ミステリのそれ−心理描写を極力排し,行動描写とセリフでストーリィを展開させていく手法に近いのでしょう。渡世人と村落共同体という,ふたつの異なる行動原理の確執・対立を,巧みなプロットで描き出しています。

05/09/02読了

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