西澤保彦『なつこ,孤島の囚われ』祥伝社文庫 2000年

 異端の百合族作家“わたし”森奈津子は,倉阪鬼一郎や牧野修と飲んだ夜,謎の美女に拉致され,無人島にたったひとりで置き去りにされてしまう。冷蔵庫につまった毛蟹とビールを満喫しながら,能天気に「軟禁生活」を送る“わたし”が,置いてあった双眼鏡で,遠くに見える孤島を覗いてみたところ・・・

 この作者は,「妄想推理」を得意とする作家さんとして有名でありますが,この作者の「妄想推理」の代表的シリーズ作「タック&タカチ・シリーズ」の最近の作品は,むしろ「支配と依存」をメイン・テーマにすえた,どこかハードボイルド・ミステリに通じる雰囲気へとシフトしつつあるのではないかと思っています。ひたすら陽気な「チョーモーイン・シリーズ」も,『夢幻巡礼』では,サイコ・サスペンス的な色合いが濃いものになっています。
 ですから,きっと,作者も欲求不満になっていたのでしょう(笑) この作品では,「森奈津子」なる,妄想癖のかたまりのような−おまけに妄想の傾向にかなりの偏りのある−キャラクタを登場させます(作者の「あとがき」によれば,「森奈津子」という作家さんは実在するそうです。う〜む・・・耽美派作品って,まったく読まないからなぁ・・・でもSFも書いているみたいですが・・・「西条秀樹のおかげです」という作品,タイトルだけは,読んだような記憶がかすかにあるんですが・・・(°°))。
 作者は,このとんでもない(笑)キャラクタを,例によってとんでもないシチュエーションに投げ込みます。主人公が,衣食住の保証された(と思われる)絶海の孤島に拉致された上に,そこで殺人事件に巻き込まれるという,この作者お得意の作為性の強い−というか「強い作為性」をとり繕うともしない−シチュエーションです。
 “わたし”は,自分が拉致された孤島から,双眼鏡で人間が名刺大に見えるほど離れた島に,男がひとり住んでいることに気づきます。向こうもこちらに気づいている様子。ところが,孤島生活1週間後,その男が死体で発見され,“わたし”は,その殺人事件と拉致事件がリンクしていることを知ります。いったい自分を拉致し孤島に置き去りにし,さらに別の孤島で殺人を犯した犯人の意図はなんなのか? それをめぐって,“わたし”と,友人の野間美由紀(笑)が,妄想推理を繰り広げるわけです。

 で,こういった「妄想推理」の楽しませ方というのは,大まか2種類あるかと思います。ひとつは,本当かどうかは検証できないけど,手持ちの証拠をかき集めるとこんなことが考えられるよ,というアクロバティックな論理展開そのものを楽しむもの(泡坂妻夫「亜愛一郎シリーズ」の一部など)。もうひとつは,その妄想推理が,実際の「真相」とはまったく違っていて,そのギャップを楽しむもの(井上夢人『風が吹いたら桶屋がもうかる』など)です。本作品は,後者に属するパターンだと思いますが,その際に,「妄想推理」と「真相」とが,同じ材料をもとに積み上げられていないと,その「楽しみ」は半減してしまいます。「妄想推理」のあとに,あまりに多くの「新事実」が提出されてしまうと,どうしても「今までのは何だったんだ?」という想いが強くなってしまいます。
 この作品の場合,その「きらい」がちょっとあって,そこらへん不満として残ってしまったのですが,むしろ作者は,その「妄想推理」に,主人公のキャラクタという初期設定を施すことで,「妄想」に偏りをあらかじめ生じさせ,その偏りに沿った「推理」を,おもしろおかしく展開させることに主眼が置いてあるように思われます。『麦酒の家の冒険』などで見せた「蓋然性」を高めるための思考実験ゲームとしての「妄想推理」とは異なり,「推理」そのものを「妄想」で染め上げることで,やや方向性の違う「妄想推理」を作りだそうとしているのではないでしょうか?

00/11/19読了

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