西澤保彦『夢幻巡礼』講談社ノベルズ 1999年

 はじまりは一本の電話だった。その,10年前に忽然と姿を消した友人からの電話は,“私”の記憶を呼び覚ます。暴風雨で隔絶された山荘で起こった,血塗られた惨劇と不可解な人間消失の記憶を・・・そして“私”の中に秘められた“狂気”を・・・。

 この作者の「匠千暁シリーズ」で,各章のタイトルが「○○の巡礼」と名づけられた『仔羊たちの聖夜(イヴ)』では,家族が抱える「支配と依存」という問題を扱っています。同じく「巡礼」という言葉を題した本書もまた,主人公の“私”をめぐる家族関係―暴君としての父親,近親相姦的な支配欲に囚われた母親―が,主人公の自己言及的・自己分析的な文章で綿々と描かれています。
 この「自己言及的・自己分析的」な文章は,この作者の作品ではしばしば見受けられるスタイルで,それはときとしてストーリィの流れを停滞させる場合があって,わたしとしてはちょっと馴染めないところがあったのですが,この作品のような「サイコ・キラー」を主人公にすえた作品では,フィットするのかもしれません(読んでて,少々疲れますが・・・^^;;)。
 またデフォルメされたキャラクタ造形も,この作者の作品の特徴のひとつでありますが,それを“私”という,いわば「歪んだレンズ」を通すことで,より一層グロテスクさを増しており,この手の作品に感じられる「居心地の悪さ」を上手に盛り上げているようです(好き嫌いは別にして・・・^^;;)。

 さて本作品は,「チョーモーイン・シリーズ」の番外編ではありますが,主人公の神麻嗣子保科匡緒は出てこず(写真だけ(笑)),能解匡緒がちょこっと顔を出す程度で,コミカルなシリーズ本編とは,まったく異なるテイストを持った作品ですが,シリーズ全体の大きな「伏線」となっています(<これはカヴァ裏の「著者のことば」にも書いているので,ネタばれにはならないでしょうね^^;;)。
 物語は,“私”こと奈蔵抄が,サイコ・キラーとして「成長」(?)する姿を追いながら,その一方で,閉ざされた山荘で起きた殺人事件と密室状況での人間消失という謎を描いています。この作者の作品では,後者のネタをSF的アイテムを絡めてメインに描くパターンが多かったわけですが,本作品では,むしろメインは前者に主眼を置いている点で,やはり異色と言えましょう。しかし,後者の謎についても,きちんとした本格ミステリ的な解決―もちろん,この作者風味のアクロバティックな解決―を用意しているところは,普通の「サイコ・キラーもの」とは一線を画していると思います。ただ「サイコ・キラー」的部分が重視されているでしょうか,「本格」の部分にあたる事件が,それほどクローズ・アップされず(そこに至るまでに死者と事件の数があまりに多すぎて・・・),ちょっと焦点がぼやけてしまっているきらいがあるようにも感じます(もっとも,わたしが,西澤作品ということで,「本格」の部分を期待しながら読んだことによるものかもしれません)。

 今回出てきたメイン・キャラクタが再登場するのは,いましばらく先とのこと。さてさて,きれいな着地を見せてくれることを期待します。

99/09/26読了

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