船戸与一『緑の底の底』徳間文庫 2000年
2編の中編を収録しています。
この作者の初期作品「南米三部作」に通底するテーマを,独特のビルドゥング・ロマンとして再結晶させた作品と言えるのではないでしょうか。
『山猫の夏』でほのめかされ,『神話の果て』で明示されたものは,東西イデオロギィ(=北半球的イデオロギィ)に対するものとしての,南米のインディオ自身を核とした新たな民族運動です。また『伝説なき地』では,「政治的動物」を宿命づけられた人間を超克するものとしての「聖性」が描き出されたのではないかと想います。前者について,本編では,ガイドのインディオカルドキナの口を通じて,「ほんとうに必要であろうとなかろうと,やたらと物を欲しがるこころの病気」として告発されます。また後者については,インディオの聖地であるウルスレーニャの草原への主人公たちの侵犯と,それに対するインディオたちの制裁という形で示されていると言えましょう。
作者は,これらのテーマを,“ぼく”という,ひとりの若者の目を通じて描き出していきます。“ぼく”は,「学問」「宗教」の名を騙りながら,上に書いたような「こころの病気」に取りつかれた男女と,インディオたちとの戦いを目の当たりにします。それはベネズエラの首都カラカスでは,けっして知ることも体験することもできなかった「世界」との遭遇です。そして,自分のこれまでの人生と,これから自分を待ち受けているであろう,そこそこに幸せで平凡な人生を捨て去り,新たな“白いインディオ”としての道を歩み始めます。彼の歩む道こそが,「南米三部作」で描かれたテーマを集約したものにほかならないのでしょう。
これまで「叙事詩」的な手法で描き出してきた「世界」に対して,ひとりのキャラクタの造形と成長という異なる経路でアプローチした作品と言えるかもしれません。
思わず「この作者が,こういったタイプの作品を書くとは!」と,驚いてしまいました。ストーリィは,「おれ」「わし」「わたし」「あたし」「おいら」という5人の語り手のモノローグを交互に配しながら,進んでいきます。それぞれの思惑と欲望,焦慮,苦肉とが交差,錯綜し,一点へと集約していくのですが,最後にいたって思わぬツイスト。なまじなんの先入観がなかっただけに(あるいは,この作者の作風に対する先入観があっただけに),ぶっ飛んでしまいました。読み終えて見返したタイトルも意味深長で,「にやり」とさせられます。
う〜む・・・この作者の別の「貌」を垣間見たような作品です。とはいっても,ラストの幕の引き方は,この作者らしい冷徹なものですね。
00/08/27読了