船戸与一『伝説なき地』講談社文庫 1991年

 ベネズエラの枯渇した油田地帯で発見された稀土類(レア・アース)と,それが生み出す莫大な富は,人々を欲望の渦へと飲み込んでいく。一方,3年前,隣国コロンビアの麻薬組織から2000万ドルを強奪した2人の日本人―丹波春明と鍛冶司朗は,その隠し場所を目指す。伝説さえも伝わらない不毛の大地に,いま,血の臭いが漂いはじめる。最後に生き残るのはいったい誰か?

 『山猫の夏』(ブラジル),『神話の果て』(ペルー)につづく,「南米三部作」の掉尾を飾る本作品の舞台はベネズエラの「伝説なき地」です。「伝説なき地」――それは,アメリカ先住民も,征服者スペイン人も足を踏み入れたことのない不毛の土地を意味します。その土地に,作者は,個性豊かな,さまざまなキャラクタを集め,投入します。
 ダークサイドにどっぷりと身を浸しながらも,どこか飄々とした風来坊的な丹波春明,アラブから南米へと革命活動に携わる鍛冶司朗“稀土類”の権利を独占しようと父親と兄を抹殺するアルフレッド,その恋人で彼に「地獄の底の底までついていく」と言うベロニカ,油田地帯に住み着いたコロンビア人の宗教的中心“マグダレナのマリア”コロンビア民族解放戦線の歴戦の勇士マルチネス・・・
 これらの登場人物たちが体現しているものは,人間が抱え込んでいる,ときに相矛盾しながらも共存する,多様な性格なのではないでしょうか? たとえば貪欲さや卑俗さ,嫉妬,愛憎,狂気,あるいは他者のためにみずからの命を投げ出す義侠心や正義感,革命への情熱,さらに理想,信仰,慈愛などなど。それらが「伝説なき地」という空虚で歴史のない場所に集結し,ひとつの小宇宙―血みどろの闘争が繰り広げられる小宇宙を形成します(作中,それは「血しぶきの祭」と呼ばれます)。その有り様はまさに人間がたどってきた歴史のミニチュア,カリカチュアといえなくもありません。ですから,その小宇宙が迎える最後の結末には,作者自身の非情な,ある意味ペシミスティックな世界観が色濃く現れているのかもしれません。
 しかしその一方,作者は最後にもうひとつ別の可能性を用意しています。それは既存の枠組み―「あらゆる人間が政治から逃れられない」という現代世界の枠組み―を超える可能性です。『神話の果て』では,“カル・リアクタ(遙かなる国家)”というイデオロギィの枠から離れた山岳ゲリラを登場させますが,本作品ではさらに,「政治的動物」としての人間をも超克する可能性をほのめかすエンディング・シーンで物語の幕が閉じられます。
 それはたしかに,圧倒的な迫力で描き出される暴力・差別・抑圧―人間の歴史!―に比べれば,あまりに儚いものなのかもしれません。しかしそれはまた,作者の持つ「希望」なのかもしれません。

 ちなみに本作品は,船戸版『七人の侍』(あるいは『荒野の七人』)と呼べなくもありません(笑)。

99/10/09読了

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