矢野浩三郎監修『恐怖と幻想 第2巻』月刊ペン社 1971年

 「いったい,恐怖というものが,なにがなんでも暗闇や,静寂や,物淋しさなどといったものと結びついているものだと考えるのはまちがいだ」(本書「冷房装置の悪夢」より)

 帯に「超自然の怪」と書かれた第2集には,15編が収録されています。

J・シェリダン・レ・ファニュ「手の幽霊の話」
 タイル荘に現れた幽霊…それは「手」だけだった…
 読んでいて,鳥肌が立つような「寒さ」を感じるのは,この作品に登場する幽霊が「手」だけだからでしょう。窓枠,ガラスの向こう,ドアの向こう…それらに「見てしまうかもしれない」というリアルさが,本編の真骨頂と言えます。なお本編は『ロアルド・ダールの幽霊物語』「手の幽霊」と題して収録されています。そちらにも感想文をアップしています。
アンブローズ・ビアス「右足の中指」
 かつて凄惨な殺人事件のあった廃屋で,真夜中,決闘が行われ…
 ミステリ的な「理」と,ホラー的な「理外」とのブレンドが絶妙な作品です。とくに「馬車上の幽霊」という「いかにも」的なエピソードを挿入して雰囲気を盛り上げているところはいいですね。その上でのホラー的着地も好みです。
チャールズ・ディケンズ=チャールズ・コリンズ「殺人事件公判」
 殺人事件の裁判の陪審員に選ばれた“わたし”は…
 ミステリ者のわたしとしては,「法廷」というと,検事vs弁護士の理知を駆使しての闘いの場,というイメージが強いです。ですから,そんな場面に幽霊が彷徨い歩くというのは,かえって新鮮に感じられました。
ロード・ダンセイニ「谷間の幽霊」
 散歩の途中,“わたし”は「谷の幽霊」に出会う…
 どこか寓話めいたテイストの作品です。日本風に言えば,「幽霊」というより「精霊」に近いように思います。しかし「彼ら」が去ってしまったことに,日本も欧米も変わらないのかもしれません。
ロバート・シルヴァーバーグ「墓場からの帰還」
 彼が覚醒したとき,自分が棺桶に入っていることに気づいた…
 「生きながらの埋葬」の恐怖をストレートに描いています。そんな目に遭ったら,こう感じるであろうことを,ねっとりと描写していてリアルです(「自分がうつ伏せに埋葬されたかもしれない」という疑念を出すところは,凄いですね)。
ジュリアス・ファースト「わが友マートン」
 幽霊のいる家に引っ越した“俺”は妙案を思いつき…
 酔っぱらいの幽霊に振り回される男の姿を描いたユーモラスの作品。路上での警官とのやりとりなどは,いかにもアメリカン・コメディといった感じですね。ただ主人公が「逃げている」というシチュエーションを,もっと活かしてほしかったような…
リチャード・ミドルトン「幽霊船」
 台風の翌朝,畑には“幽霊船”が乗り上げていた…
 これもまたユーモア作品ですが,どこか「田舎のホラ話」的なテイストがあって,個人的にはこちらの方が楽しめました。日本の田舎に「タヌキに騙されたおじいさん」がいるのと同様のことなのでしょうね。『文藝百物語』で,井上雅彦が,新潟を「霊でさえ,自然現象のみたいな感覚の土地ですから」と書いていたのを思い出しました。
アンドレ・モーロワ「家」
 彼女は,夢の中で,繰り返しその「家」を見た…
 ワンアイディア・ホラーといったところでしょうか。本巻で唯一のフランス作品です。こういった,ちょっと捻った奇妙な幽霊譚に「フランスらしさ」みたいのを感じるのは,先入観でしょうかね?
ウィリアム・ホープ・ホジスン「闇の海の声」
 大西洋上,近寄ってきたボートの男が語った内容とは…
 いかにも「海洋怪談」風にはじまった物語は,グロテスクでおぞましい内容へとシフトしていきます。語り手が,しだいしだいに「袋小路」へと追いやられていくプロセスが,いくつかのエピソードを積み重ねることで,効果的に描き出されています。未見ですが,とある和製ホラー映画の古典的作品の元ネタなのかもしれません(答:『マタンゴ』<ネタばれ反転)
H・P・ラヴクラフト「冷房装置の悪夢」
 なぜ“私”は冷気を恐れるのか? その理由は…
 創元推理文庫版の『全集』よりもずっと読みやすいです(笑) コメントは,アンソロジィ『マッド・サイエンティスト』の感想文にアップしています(「冷気」というタイトルです)。
レノックス・ロビンスン「顔」
 彼は,水の中に浮かぶ女の顔に魅入られ…
 「理」と「理外」との奇妙な交錯…いや,両者は交わっているのか,それともいないのか…そんなあわい狭間を縫うようにして描かれた,幻想的で美しく,そして哀しい物語です。
アーヴィング・S・コップ「信仰と希望と愛と」
 罰を逃れるため,3人の囚人は,脱走を企てるが…
 この手のアンソロジィに,こういったタイトルがついていれば,当然,皮肉な話と思いますが,やはりそうでした(笑) 途中で,物語の「趣向」は見当つくので,その「趣向」がどう用いられるか,がポイントになります。個人的には,最初の男のエピソードを最後に持ってきた方が意外性が高められたのでは,などと思いました。
L・スプレイグ・ド・キャンプ,フレッチャー・ブラッド「夜の風が吠える時」
 巡回講演に現れる奇妙な聴衆。その数はしだいに増加し…
 自分の「力」が,自分の意図とは違う方向で増幅されていく恐怖を描いています。その「力」が「声」というのが,おもしろい着眼点ですね。それにしてもタイトルの意味がよくわかりません^^;;
シーベリ・クイン「呪いの家」
 豪雨の中,迷い込んだ家で“私”たとが見たものとは…
 オープニングこそ,きわめて古典的なフォーマットを踏襲しているとはいえ,そこから展開する物語は,「狂気」と「技術」と結びつくとき,いかなるおぞましい事態を迎えるかという,すぐれて現代的な「恐怖」へと繋がっているように思います。
フランク・グルーバー「十三階の女」
 蒸留器を買うためにデパートを訪れた男は…
 映画版『シャイニング』において,舞台となったホテルの「巨大さ」は,恐怖を喚起するための重要なファクタではなかったかと思います。「巨大な建築物」というのは,それ自身で,人に把握しきれない「魔」を抱え込んでいるのかもしれません。

03/12/12読了

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