夢枕獏『絢爛たる鷺』集英社文庫 1998年

 「物語の神」を失った作家・夢枕獏は,“絢爛たる鷺”―歌舞伎役者・坂東玉三郎と出会います。玉三郎の緊張感のある独特の舞台に魅せられた作者は,彼のために歌舞伎台本『三國傳來玄象譚』を書くことで,作家としての再生を遂げます。
 30歳代後半の精神的彷徨を描いた一連の作品―『瑠璃の箱舟』『聖楽堂酔夢譚』『純情漂流』―の,いわば「完結編」です。

 これまで自分が生きてきた“世界”の中で感じる閉塞感(一般にスランプと呼ばれる状態ですが)からなんとか脱却しようとする試みとして,(意図的かどうかは別として)異なる“世界”との接触を図るという方法があります。この作者の場合,それは坂東玉三郎との出会いであり,「歌舞伎」という世界,歌舞伎台本の執筆ということだったわけです。もちろんこの方法がいつでもうまくいくというわけではありませんが,ひとつの常套的な手段といえなくもありません(失敗した場合,それは“逃避”というネガティヴなレッテルが貼られたりします)。

 むしろわたしが本書を読んでいて「おもしろいな」と思ったのは,そういった異なる分野との交流という点よりも,閉塞からの脱却が「共同作業」を通じて果たされたということです。
 これは想像でしかないのですが,作家という職業はきわめて個的な仕事だと思います。自分ひとりで作品世界を着想し,自分ひとりで作り上げなければならない,限りなく孤独で個人的な作業です。夢枕獏は,そういった仕事を自分のものとして引き受けるところから,作家としての道を歩み始めたわけです。
 その個的な作業の行き詰まりを打開するために,坂東玉三郎という異なる分野の才能からインスパイアされて,『三國傳來玄象譚』を書くわけですが,それははからずも(?),玉三郎はもちろん,大学時代の恩師である堀越善太郎との共同作業的な色彩を帯びるようになります。
 歌舞伎の台本に関してはまったくの素人である作者は,表現や書き方について,堀越教授から,いろいろとサジェスチョンを受けます。また,台本はいうまでもなく劇の上演を前提にしたものですから,実際に演技する玉三郎からも,さまざまな手直しの指摘を受けることになります。とくに演劇というものが,物理的な空間を有すること,またセリフのない役者もまた舞台に居続けるということに,作者はカルチャア・ショックを受けます。そして作者が詩を書いた『楊貴妃』の舞台で,赤い衣装をまとっていると作者が漠然とイメージしていたにも関わらず,玉三郎は白い衣装で上演し,「心地よい裏切り」に酔います。
 一編の小説が作者の内部で自己完結するのに対して,『三國傳來玄象譚』という台本は,作者が経験したことのない歌舞伎の台本は,作者以外の,台本をめぐるさまざまな人間たちとの相互作用を経て,形作られます。それはおそらく,それまで自分内部で行われていたプロセスを,外在化させ,顕在化させる作業なのでしょう。さらにそのなかに,自分以外の視点や発想を取り込む作業でもあるのでしょう。作者内部で堂々巡りに陥った円環を,外側に広げ,より広い円環を作りだし,自分内部にはない異なる要素を導入すること,その上でその円環をもう一度,自分内部に取り入れること。作者が『三國傳來玄象譚』を書くということは,そんなことだったのかもしれません。
 作者の帰着点は,おそらくスタート地点と同じなのでしょう。つまり「書く」ということの再確認です。しかしそれは,最初のスタート地点とは,異なる色合いを帯びたものだと思います。

98/10/14読了

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