夢枕獏『純情漂流』集英社文庫 1998年

 本書は,1989年から1992年にかけて『月刊プレイボーイ』『野生時代』に連載された「半自伝的エッセイ物語」です。内容的には,「1986年から1991年にかけての,およそ6年にわたる」,つまり,1951年生まれの作者の,30歳代後半から40歳にかけての「漂流の記」を描いています。
 1984年,『魔獣狩り』でブレイク,一躍「流行作家 夢枕獏」になった作者は,書きます,入院するほど躰をぼろぼろにしてしまうほど,書きまくります。「伝奇バイオレンス」というレッテルを貼られる一方で,「それと並行しながら別のベクトルを持った物語」『上弦の月を喰べる獅子』を書き上げ,1989年,第10回「SF大賞」を受賞します。
 しかし作者は,それから書けなくなった,といいます。「原稿がおもしろいように落ちていく」と。そして作者は作中,何度か自らに問いかけます。
「自分は何者であるのか」
「どう生きたらよいのか」
「何をしたらよいのか」

と・・・。
 「30歳代のおっさんが,なに青臭いことを・・・」と嗤うことなかれ。
 10歳代の後半や20歳代前半にかけてしばしば発せられる「問い」と同じ字面であっても,すべてを始めようとするときのその問いと,多少なりともなにかをした上で,重ねて問われるその問いとは,微妙に色合いが違うのです。
 この作品の後半で,作者は,平均46歳というヒマラヤ登山隊のメンバの一員となったとき,メンバに「共通してわかっていることがある。それは人生のおおまかな射程距離である」と書きます。そして作者は,「今(平成4年)から手塚治虫の死んだ60歳までこのペースで書き続けて,あと200冊は本が書くことができるであろう」と言います。つまり,先の問い―「自分とは何者であるのか」という問いは,若い頃の「可能性」としての「問い」ではなく,「限定性」としての「問い」なのです。自分の残された人生の中で,あとなにが成し得るのか? そんな性格を持った「問い」なのだと思います。
 もちろん,「年相応」とか「年代」とか,十把一絡げで言えることでもありませんし,また日々なにものかをクリエイトするこの作者とわたし自身とを同一視するつもりもありません。しかしこの作者が赤裸々に記す悩みや焦慮というものにシンクロする,30歳代半ばにさしかかった自分がいるのもまた事実です。

 書いて書いて書きまくった上で,作者が改めて得た答,それはやはり「書く」ことです。ヒマラヤ山中で,偶然手にした,自分の商業誌デビュウ直前の作品を読みながら,彼は思います。
「運命のようなものを,ぼくは感じていた。
おまえは書くべき人間であると,運命にそう宣告されたのだと。
それは,錯覚であるかもしれない。
彼が,その本を持っていたのは,ほんの偶然であったのだろう。
ならば,その偶然が,ぼくに命じたのだ。
書けと。」

 この作者のような「運命」という名の「偶然」や「錯覚」が,わたしになにかを告げることが,これからあるのかどうかわかりませんし,また,すでに告げていているにも関わらず,鈍感なわたしがそれに気づいていないだけなのかもしれません。
 しかし,なにかに行き詰まり,それを乗り越えて,新たなステップへと歩みを進めた作者の姿は,まだ解答を得ていない(と少なくとも自分では思っている)わたしに,いくばくかの勇気を与えてくれるように思います。

 う〜む,こういった感想文は,書いてて,ちょっと恥ずかしいぞ(^^ゞ

98/09/01読了

go back to "Novel's Room"