結城信孝編『ふるえて眠れ 女流ホラー傑作選』ハルキ・ホラー文庫 2001年

 サブタイトル通りのアンソロジィです。中堅どころの作家さん7人の作品が収録されています。
 ところでこの編者さん,近年,やったらめったら「女流××傑作選」みたいなアンソロジィを出されてますね。山前譲が,同じく女性作家のミステリ・アンソロジィの「解説」でコンパクトにまとめているように,近年,ミステリやホラーなどのエンタテインメント作品における女性作家の活躍は著しいものがあり,こういったアンソロジィが何冊も編めるのも,それだけ作家の「層」が厚くなってきたことの現れなのでしょう。しかし「層」が厚くなるということは,同時により多様になってきたということでもあり,そうすると「女流」であるという「くくり」がどれだけの意味を持っているのかな,という気も一方でするわけです。まあ,アンソロジィが好きなわたしですから,出れば出たで買っちゃうんでしょうが(^^ゞ

篠田節子「コンクリートの巣」
 迷子になっていたインコを助けたことから,正恵は,ある少女と知り合った…
 幼児虐待の話です。幼児虐待の酷さは,もちろん非力な子どもに対して一方的に肉体的・精神的な暴力をふるう点にもありますが,それ以上に,虐待される子どもたちが,そんな親たちを「かばう」点にあると思います。本編の登場人物のひとりがこう言います。「母親を悪く言ったとき,彼女には世界のどこにも,自分の居場所がなくなる。それを怖がっているんだ」と。虐待される子どもたちの「逃げ場の無さ」こそが,幼児虐待のやりきれなさの根底にあるのではないかと思います。また作者は主人公を独身のハイミス−子どもを持っていない女性に設定することで,子どもの逃げ場のない,家庭の「密室性」を鮮やかに描き出しています。わたしの考えている「ホラー」ではありませんが,それ以上に「怖い」作品です。
加門七海「浄眼」
 『蠱(こ)』収録作品。感想文はこちら
竹河聖「鬼子母神」
 優しかった母。にもかかわらず“わたし”は,子どもを喰らう“母”の幻を見る…
 「記憶もの」&ゴースト・ホラーです。主人公が,夜目覚めると,胸の上に母親の顔をした蛇みたいのが乗っている,というシーンは,映像的にじつに不気味なものがあります。ただどうしてもわからないのが,「あれ」が起きたのが,主人公の子どもの頃なのに,なんで「今」になって怨みを晴らしにくるのでしょう? 
小池真理子「夏祭り」
 平凡な主婦である“わたし”が,今でも怖いのは“夏祭り”なのだ…
 祭のときの夜店というのは,子ども心をくすぐる魅力的な輝きを持っていますが,その一方で,どこか猥雑で,危険な匂いを秘めています。どこからともなく集まってきた夜店の商売人たちは,「異界」からの侵入者的な趣さえ持っています。そんな異界性を,現実的な恐怖−殺人現場の目撃−と巧みに重ね合わせているように思います。
森真沙子「偏奇館幻影」
 「あたし,偏奇館を燃やしましたの・・・」老女はそう語った…
 東京大空襲で焼失したはずの永井荷風偏奇館が,じつはひとりの女の放火によって焼かれたものだったという歴史ミステリ風な展開から,幻想的に二転三転,「現」と「虚」が交錯するラストが鮮やかで美しい佳品です。また大火災の最中,ひとつの家だけが女の怨念によって焼けていくというのも,(不謹慎ではありますが)妖しくこの世ならぬ光景ですね。もしかしてそこだけ炎の色が違っているかもしれません。
皆川博子「トマト・ゲーム」
 かつて米軍キャンプで働いていた“サニー”と“ケイティ”は,20年ぶりに再会し…
 「若さ」ゆえの「無謀さ」と「悪意」,「老い」ゆえの「冷酷さ」と「憎悪」・・・それらをふたつの時代−終戦直後と「現代」−を交錯させながら,グロテスクに浮かび上がらせています。ちなみに本編は,わたしがはじめて読んだ皆川作品でした。登場する若者たちの年齢で読んだ作品を,主人公の年齢近くで再読するとは・・・いやはや・・・それにしても,この作品に注目した編者の見識には敬意を表しますが,それを「ホラー傑作集」に収録する見識は,正直あまり評価できません。
坂東真砂子「正月女」
 『かなわぬ想い』ならびに『屍の聲』所収作品。感想文はこちら

01/09/21読了

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