加門七海『蠱(こ)』集英社文庫 1999年

 6編の「怪談」を収録した短編集です。
 いずれの作品も,この作者お得意の「呪術」や「まじない」,「民間信仰」をアイテムにとりいれています。

 たとえば冒頭の表題作「蠱」は,男女の恋―不実な男と執念深い女との恋の顛末に,「巫蠱」「蠱毒」と呼ばれる邪術を絡めて描いています。卵から孵る蟷螂の,ちょっと鳥肌たつような情景を効果的に用いています。「浄眼」は,カメラマンを目指す主人公の焦慮と苦悩,それがもたらす悲劇の物語です。「邪眼」とカメラという組み合わせは,ありそうでいながら,けっこう珍しい新鮮なパターンではないでしょうか?
 「桃源郷」のミイラ・ネタの作品です。仏教では,女性は男性より汚れた存在であり,成仏しにくいと言われていますが,それにミイラ信仰を重ね合わせ,「聖なる狂女」の姿を浮かび上がらせています。最後まで読んで,タイトルを見直すと,「ぞくり」とするものがありますね。「実話」は,「都市伝説」「学校怪談」をベースにした作品。この作品自身が,一種の「学校怪談」として伝わりそうな感じです。なぜかJETの短編を連想しました。最後の「分身」は,主人公の身体が急速に老い,崩れていくというフィジカルな恐怖を,その背後に呪術を置くことで巧みに描き出しています。

 さて以上の短編は,一人称で語られ,それぞれ独立していますが,全作品に共通して登場するキャラクタがいます。民俗学の研究者御崎(みさき)教授です。彼は,各短編に出てくる民俗ネタを解説する役回りではあるのですが,読んでいると,どうも彼にはそれ以上の役割が与えられているにも思います。それは,主人公たちを破滅へと導く「悪魔」的役割です。
 たとえば,「浄眼」では,主人公が狂気へと滑り落ちるきっかけを与えますし,また「桃源郷」では,ミイラ信仰の伝わる村へ行こうとする主人公に,「お気をつけて」と意味ありげなセリフを囁きながら,彼らを止めようとはしません。さらに「分身」での「私が不注意だった」と言いながらも,主人公の破滅に間接的に手を貸します。
 けして自分の手を汚さず,人間の欲望や狂気に「道筋」をつけ,破滅の淵へと人々が滑り落ちていくのを笑みを浮かべながら眺めている――御崎教授は,そんな雰囲気を持っているように思います。

 トータルとしては,それなりに楽しめたのですが,各編の主人公たちの年齢設定が若いせいか,語り口と土俗ネタとが,フィットしてない感じがして,いまひとつ,おどろおどろしい雰囲気が盛り上がっていないようなところがあるのが,ちょっと残念ですね。

99/09/25読了

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