大瀧啓裕編『クトゥルー1』青心社 1988年

 「わたしが思うに,この世でもっとも慈悲深いことは,人間が脳裡にあるものすべてを関連づけられずにいることだろう」(本書「クトゥルーの呼び声」より)

 「暗黒神話大系シリーズ」の第1集。7編の作品と,リン・カーターによる「神話辞典」ともいえる「クトゥルー神話の神神」,編者による解説「クトゥルー神話−遠近法の美学」を収録しています。

H・P・ラヴクラフト「クトゥルーの呼び声」
 1925年の早春,世界各地で報告された悪夢と怪異の原因とは…
 「インスマウスを覆う影」「狂気の山脈にて」などとともに,「神話」の原点ともなった作品のひとつです。冒頭に引用した有名な一節は,本編の主調を表すとともに,多少なりとも伝奇的テイストを持った作品に共通する手法ではないかと思います。つまり,一見なんの関係もないと思われる事象を,想像力によって結びつけることで,異形の「世界」を構築していく手法として。
ラヴクラフト&ダーレス「破風の家」
 死んだ従兄が遺した屋敷。その破風の部屋には奇妙なガラス窓がはめ込まれ…
 ホラー作品のもっともオーソドクスな描写法として,怪異が,「螺旋状」に主人公へと接近してくる(あるいは逆に怪異に「接近する」)というものがあります。最初「気配」にはじまり,音(聴覚),痕跡,動物の反応へと描写が展開し,最後には,その怪異との直接接触でクライマクスを迎える本編は,まさにその典型のひとつと言えるでしょう。
ウィリアム・ライリー「アロンソ・タイパーの日記」
 嵐で崩壊した無人の屋敷から発見された日記には…
 たとえ近代以後の幻想であったとしても,「自由意志」は,個人が個人であるための基本原則であるのでしょう。それゆえに,それが侵食・崩壊していくことに対する恐怖は,ホラー作品における主要モチーフとなりうるのだと思います。
オーガスト・ダーレス「ハスターの帰還」
 奇怪な遺言を残して死んだ叔父…その遺産を相続した男の運命は…
 「クトゥルー」より「クトゥルフ」が好きなわたしは,「ハスター」より「ハストゥール」の方が好きです(笑) 前出「クトゥルーの呼び声」が「クトゥルフ神話」の「原点」とするならば,こちらは,「暗黒の儀式」とともに,ダーレス版「クトゥルフ神話大系」の「原点」のひとつなのかもしれません。
ロバート・ブロック「無人の家で発見された手記」
 “ぼく”は書き記す…おじさんとおばさんを連れ去った“森に棲むもの”のことを…
 クトゥルフ神話では,しばしば「手記」というスタイルが取られますが,本編では,12歳の少年の「手記」とすることで,より効果を高めています。つまり,子どもだからこその危険に対する鋭敏さ,しかし同時に子どもゆえの無力さ,また稚拙な文章であるがゆえに直截に表現される恐怖感などによるものです。さらに主人公の「希望」と「危機」を巧みに配することで,ストーリィにメリハリを与えているところは,この筆慣れた作者ならではものと言えましょう。本集で一番楽しめました。
ヘイゼル・ヒールド「博物館の恐怖」
 病的な才能を持つ蝋人形師は言った…「すべてが蝋細工というわけではないのだ」と…
 モンスタの造形や,「生け贄」のグロテスクな描写もさることながら,蝋人形師ロジャースの狂気に満ちた言動と,それを「狂気」「幻覚」という,いわば「理」の中に収めようとしながらも,しだいに「事実」として認識せざるを得なくなっていく主人公の追いつめられる姿が迫力あります。
オーガスト・ダーレス「ルルイエの印」
 一族最後のひとりとして,叔父の遺産を継いだ“わたし”は…
 「タイタス・クロウの事件簿」の感想文でも書きましたように,「邪神vs人間」では,とても「勝負」にならず,物語としての「神話」にはおのずから限界があるのでしょう。本編で描かれるような「仕えるモノたち」の存在が,神話の「拡大」に寄与したことは否めないと思います(好き嫌いは別として…)。

05/06/26読了

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