スティーヴァン・ジョーンズ編『インスマス年代記』学研M文庫 2001年

 「あそこは…まるで磁石のようだ」(本書「ダゴンの鐘」より)

 クトゥルフ神話ネタ,それも「神話発祥の地」とも言える「インスマス」に焦点を絞ったアンソロジィです。上下巻で17編を収録,うち10編が再録,残り7編が新作とのことです。
 ところで,最近は「インスマス」と表記するんですね。はじめて読んだ創元推理文庫版の『選集』が「インスマウス」だったので,そっちの方が馴染みがあります^^;;(原語だって“Innsmouth”ですしねぇ…)
 いくつかの作品についてコメントします。

H・P・ラヴクラフト「インスマスを覆う影」
 アメリカ・マサチューセッツ州の寂れた港町インスマスを訪れた“わたし”が目撃したものとは…
 いうまでもなく「起点」となった作品です。『選集1』に収録されているのと同じ訳者なのですが,とうやら新訳のようです。かなり読みやすくなっていますね。主人公がインスマスから脱出するシーンなど,この作者の粘着質な文体の割りにはスピード感があることに気づきました。また「外なる恐怖」と「内なる恐怖」との融合は,ホラー作品のひとつの常道として先駆的なものではないでしょうか?
ベイザル・カバー「暗礁の彼方に」
 アーカムのミスカトニック大学で起こる数々の不審事件。その背後には…
 基本設定はもちろんですが,雰囲気も「原作」を踏襲しながらも,そこに地下に張り巡らされた謎の地下道とか,モンスタやインスマス住人と主人公たちとの抗争など,冒険活劇的な要素も含まれている点が楽しめます。ただ視点が一定せず,やや散漫な感じがするのが難。
ガイ・N・スミス「インスマスに帰る」
 “わたし”はインスマスに帰る。見たことも行ったこともないインスマスに…
 「インスマスを覆う影」を正確になぞるようなこの作品は,もしかすると,作者のH・P・Lに対する愛情を語った「告白」ではないかと思います。主人公が見た「影」とは,作者に取り憑いたH・P・Lとも解釈できます。そう考えると,この結末も理解できるような…
エイドリアン・コール「横断」
 幼い頃に失踪した父親からの葉書を持って,“わたし”はその漁村を訪れた…
 もともとダゴンとは,海に潜む「深きものども」なわけですから,海は彼らの活躍の場(?)とも言えます。ですから,本編の設定−イギリスの漁村とインスマスとを結びつける−は,やや強引のようでいて,それなりに説得力を持つものなのかもしれません。
ラムジイ・キャンブル「ハイ・ストリートの教会」
 怪異を研究する友人の秘書になるべく,その街を訪れた“わたし”は…
 残された手がかりを追って「禁断の地」に足を踏み入れるパターンや,主人公がその「禁断の地」を嫌悪しながらも,強力に引きつけられるという背反する欲望を持つ,というところは,クトゥルフ神話のフォーマットを踏まえた作品と言えます。ただどこがインスマスなんだ?
デイヴィッド・サンタン「インスマスの黄金」
 インスマスには黄金が隠されている…“わたし”はそれを探しに町に足を踏み入れるが…
 「幽霊の正体見たり枯れ尾花」という川柳がありますが,ホラーの場合はその逆のパターンですね。「枯れ尾花」だと思って近づいたら「幽霊」だったというわけです。「死は究極の恐怖ではない」という一文とともに浮かび上がる,おぞましい「描かれざる恐怖」は効果的ですね。
ピーター・トレイマイン「ダオイネ・ドムハイン」
 アイルランドで死んだ祖父が残した手記に書かれていたことは…
 インスマス攻撃に参加した兵士の後日談といった体裁の作品。インスマスと有機的に結びついていないのが,ちょっと残念ですが,古語が残るというアイルランドを舞台に,じわりじわりと包囲されていく主人公の恐怖,「過去」と「現在」が結びつくラストと,ホラーとしては定石を踏まえた作品です。
ブライアン・マーニィ「プリスクスの墓」
 友人の考古学者が発掘した古代の墓。そこに眠っていた“モノ”とは…
 こちらも「封印破りパターン」の定型中の定型といった趣ですが,モンスタに対する民衆の「原初的な恐怖」と,それに対する過激な反応を描くことで,どこか一味違う伝奇テイストの作品に仕上がっています。
ブライアン・ステイブルフォード「インスマスの遺産」
 生化学者の“わたし”は,「インスマス面」を遺伝的に研究しようとするが…
 どこまでも「理」で,インスマスを解明しようとする主人公の姿と,解明できても救済にはならない,という無力さ,そして「理」だけではどうしても拭いきれないアンの本能的とも言える不条理な恐怖を描き出すことで,間接的にインスマスの持つ不気味さを浮かび上がらせている作品と言えましょう。意図的に主人公の「視野」を狭くしている点が効果的です。
ニコラス・ライル「帰郷」
 ルーマニア革命直後のブカレストに戻ったダニエラが見たものは…
 しばしばクトゥルフ神話は,メタファとして解釈されますが,本編は,革命直後に街を覆う荒廃と不安感を,神話のアイテムと重ね合わせることで描き出しています。神話ファンにとっては賛否あるかもしれませんが,個人的にはけっこう好みです。
デイヴィッド・ラングフォード「ディープネット」
 コンピュータソフト会社として躍進する“ディープネット”の本社はインスマスにあった…
 ネットワークの発達は,地球上から「辺境」を消失させました(少なくともそういった幻想を産み出しました)。それゆえ「インスマスを覆う影」は,アメリカの一港町だけでなく,世界そのものを「覆う影」となったのでしょう。掌編ながら,現代社会の有り様と上手にミックスさせた佳品です。
マイカル・マーシャル・スミス「海を見る」
 妻にとって因縁深い港町を訪れた“ぼく”と妻は…
 インスマス的世界をトレースしていく,ある意味平凡な作品と思わせておいて,ラストで意外な幕引き。「それでは,いままでのは?」と驚かせる「真相」が巧いですね。
ブライアン・ラムリィ「ダゴンの鐘」
 古い農場を買い取って住み始めた友人夫婦は,日ごとにやつれていき…
 上記「暗礁の彼方に」で,地下道を描いて「冒険活劇的」と書きましたが,本編は,そのテイストをもっと前面に押し出した作品と言えましょう。後半,地下を舞台に繰り広げられる「深きものども」との凄絶な戦いがスピード感があって良いですね。

02/03/24読了

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