大瀧啓裕編『クトゥルー 6』青心社 1989年

 「抑えること能わざるものを呼ぶことなかれ」(本書「暗黒の儀式」より)

 H・P・ラヴクラフトオーガスト・ダーレスの共作,短編2編,中編1編を収録しています。

「恐怖の巣食う橋」
 20年前に失踪した大叔父の屋敷を引き継いだ“わたし”が見たものとは…
 ほのかなエロティシズムがあるとはいえ,プロットそのものは,「神話」でよく見られるオーソドクスなものです。ただおもしろいと思った着眼点は,モンスタを封印した場所−「橋」です。陰陽師安倍晴明が,京都の一条戻り橋に「式神」を置いていた,という伝承にもあるように,「橋」は,古今東西を問わず「こちら側」と「あちら側」とを結ぶ「危険地帯」なのでしょう。両岸から切り離され,川の中央に残った「橋」とは,そんな境界を象徴的に示しており,魔界=あちら側のモノを封じるのに,もっとも適しているのかもしれません。
「生きながらえるもの」
 シャリエール館のかつての住人…その恐るべき秘密とは…
 「魔術師」と「マッド・サイエンティスト」とは,フィクションにおいて系譜的につながるのだな,と思わせる1編です。また哺乳類より爬虫類の方が長命であるという発想が,どこらへんから来るのかが,ちょっと興味をひかれるところです。それと,世代を超えて「名前を継ぐ」習慣のある日本を舞台にしたら,もっとミステリアスな展開になるのでは,ないでしょうか?
「暗黒の儀式」
 かつて曾曾祖父アリヤ・ビリントンが住んでいた屋敷に戻ってきたアンブローズ・デュワートは,そこで奇妙な「石塔」を見出す。それとともに,アリヤと周辺の住人たちとの間に不可解な確執があったことを知る。そしてアリヤが残した奇怪な遺言……曾曾祖父とはいったい何者だったのか?
 3章構成よりなる本編は,章を追うごとに,視点が「外へ,外へ」と移動していきます。「第1章 ビリントンの森」では,上の梗概にも書いたように,屋敷に戻ったデュワートが遭遇する怪異とともに,アリヤ・ビリントンの血筋ゆえに,その怪異に飲み込まれていく姿が描かれています。ついで「第2章 スティーブン・ベイツの手記」は,デュワートの友人ベイツが,デュワートの奇矯な言動,そしてベイツ自身が体験する怪異が綴られますが,基本的には「外側」からの視点として構成されています。そして「第3章 ウィンフィールド・フィリップスの物語」では,「外側」ではありますが「無知」によって書かれたベイツの手記が,博覧強記の学者セネカ・ラファム博士によって,その意味を解説されていきます。
 「外なる恐怖」とともに,運命的にいやおうもなく自由意志を剥奪される「内なる恐怖」を描いた「第1章」のデュワートの物語は,「インスマスを覆う影」のように,ラヴクラフトでは「定番」とも言える展開であり,「第2章」も,主人公が無知なるがゆえに,「暗示」「ほのめかし」の描写が多出している点で,ラヴクラフト的なものを色濃く残していると言えましょう。しかし「第3章」になると,ラファム博士の「知識」によって,怪異は,「旧神」と「旧支配者」の抗争,「旧支配者」のおのおのの性質,「旧支配者」による地球再支配の欲望という形で,意味づけられていきます。デュワートやベイツの体験は,邪悪な「旧支配者」の物語として再構成されていくわけです。
 このようなプロセスとは,穿った見方をするならば,作者が,ラヴクラフトからダーレスへと移行していることを,つまりは,「クトゥルフ神話」から「クトゥルフ神話大系」へと変貌していくことを示しているのではないでしょうか。そして同時に,恐怖の根源を「理解不能性」に置いていたラヴクラフト的な神話から,強大であるがゆえに恐ろしくとも,人間側に知識があれば,理解でき,なおかつ対抗することも可能とするダーレス的な神話への転換でもあるのでしょう。つまり,ラヴクラフトから「外へ,外へ」と…

05/04/10読了

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