宮部みゆき『理由』朝日文庫 2002年

 「現代ではね,隣近所は頼りがいのある存在ではなくて,警戒すべき存在なんです。排他的でいるくらいが,ちょうどいいんですわ」(本書より)

 1996年6月2日未明,荒川区の高級マンション・ヴァンダール北千住ニューシティの一室で,3人の他殺体が発見され,ひとりの男がその部屋から墜死した。ところが死体の身元が,その部屋に住んでいるはずの家族ではなかったことから,事件は複雑な様相を帯び始める。いったい「誰」が「誰」を殺したのか? そして事件の向こう側から立ち現れた,バブル経済崩壊後の現代日本が抱え込んだ「闇」とは?

 言わずと知れた1999年の直木賞受賞作です。読書子の間では,その実力が十二分に認められていたこの作者の名前を,一気に日本中に知らしめた記念すべき作品です。ですから本編のテーマである(のちの『R.P.G.』へと繋がる)「家族」という問題や,バブル経済崩壊後の現代日本の縮図といった点については,おそらく多くの方々がすでに語られているかと思います。ここでは,ちょっと違う視点から感想文を書いてみます(もっとも,すでにどこかで同じようなことが書かれているのかも知れませんが^^;;)

 この作者の作品には,その文体が第一人称であれ,第三人称であれ,「視点に対するこだわり」があるように見受けられます。その「視点」に選ばれた人物の心の動きが,物語に特定の色合いを与えています。主人公のナイーヴさやクールさ,あるいは彼/彼女を取り巻くシチュエーションや立場が強制する焦燥や欲望,苦悩などが,その作品のテイストを決定しているともいえましょう。その「視点に対するこだわり」のユニークな実践例が,“財布”に視点を据えた『長い長い殺人』であったり,“犬”を主人公とした『パーフェクト・ブルー』『心とろかすような』といった“マサ・シリーズ”なのでしょう。
 ルポルタージュ的な体裁をとる本作品もまた,そんな彼女の「視点に対するこだわり」の,ひとつの実験的な試みとして位置づけることができるのではないでしょうか。ルポルタージュとは,ある事件がすべて解決し,終焉したのちに,大局的な視点から,事件の経緯,人間関係,背景,事件の渦中にいた当事者たちの「見方」などを,調査し,再構成し,記述していくものです。ルポルタージュ的体裁とは,「事件」というドラマティックな形で噴出した,日常生活や社会に潜むさまざまな問題を提出する文章作法として,本作品のような社会性の強いミステリ作品にとっては,的確にマッチしたスタイルと言えると思います。特定個人への「視点」の設定では,多角的な「事件」の解明には不向きでしょうから。

 しかし一方で,ルポルタージュ的体裁は,ミステリ作品としての「弱点」も持っています。現実の殺人事件などを扱ったルポルタージュにおいては,読者は少なくとも事件の概要−被害者は誰で,犯人は誰かなど−を,すでに新聞・テレビの報道で了解しています。その上で「背景」や「隠された秘密」を読むわけです。しかしミステリ作品において,その「概要」は了解されたものではなく,むしろ了解されてしまっていては,ミステリとしての魅力を著しく損なうものになりかねません(もっともルース・レンデル『ロウフィールド家の惨劇』のようなタイプの作品はありますが)。
 ここで作者の力量が遺憾なく発揮されています。この作者が,これまでの作品で培ってきたサスペンスの盛り上げ方,ミステリとしての作法の巧みさが,随所に見いだすことができます。たとえばオープニング・シーン,作者は読者の前にポンと,事件の最重要参考人石田直澄の名前を出します。彼はいったい何者なのか? 重要参考人とは事件の中でどのような立場なのか?といった「謎」を提示します。あるいはまた,本作品のメイン・キャラクタのひとりであるシングル・マザー宝井綾子の衝撃的な告白−「あの人を殺したの」は,事件の「真相」を告げたものなのか? それとも別のところに「真実」は隠されているのか? というストーリィの牽引力となります。つまり作者は,要所要所に,魅力的な「謎」を小出しにしますが,すぐにゴールへと直結させません。むしろルポルタージュ的体裁を採ることによって,事件の周囲を大きく迂回しながら,その「謎」をいったん置き去りにしてしまいます。事件を中心としながら螺旋状に記述していくことで,事件の背景や深層を明らかにしていくというルポルタージュの手法を活用して,なかなか「真相」へとたどり着けないミステリ的な仕組みになっています。

 作者の「視点に対するこだわり」を背景として,テーマ−「家族」「現代日本」−によりよいスタイルとして採用されたルポルタージュ的体裁,さらにその体裁を巧みに用いてのミステリ作品。それが本書なのではないでしょうか?

02/08/18読了

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