宮部みゆき『R.P.G.』集英社文庫 2001年

 「厳然とした事実がそこにはある。親子にも相性があり,人間的に相容れなければ,血の絆も呪縛になるだけだということだ」(本書より)

 渋谷で絞殺された女子大生,杉並の建築現場で刺殺された中年のサラリーマン。連続殺人と目された事件は,重要な容疑者が浮上するも,物証はいっさいなかった。一方,被害者のサラリーマンは,インターネット上でヴァーチャルな“家族”を持っていたことが判明した。武上刑事と石津刑事は,その“家族”たちから事情を聞き出すが・・・

 「コミュニケーション」・・・これが数多くの宮部作品,とくに現代を舞台にした彼女の作品の底流を流れるひとつのモチーフではないでしょうか。人間同士のコミュニケーションにさまざまな「感情」が乗せられます。たとえばそれは自覚的な,あるいは無自覚的な悪意であったり,善意であったり,嫉妬であったり,欲望であったり,愛情であったりします。またコミュニケーションがつねに双方向的で,不完全であるがゆえに,悪意と善意とが絡まり合い,ときにすれ違い,齟齬を来たし,思わぬ予期せざる結果を招くこともあります。そのギャップも含めたコミュニケーションの有り様を,犯罪という形で,つまりはミステリという形で描き出しているのが彼女の作品の持ち味のひとつとなっているように思います。ですからこの作者が,インターネット・コミュニケーションについて取り上げるのも,ごく自然な成り行きと言えましょう。
 さて,インターネットの普及は,人間のコミュニケーションの姿を変えたということを,しばしば目にし耳にします。曰く「人間関係が希薄になった」,曰く「コミュニケーションが断片化し,刹那的なった」などとネガティヴな意見がことさらに採り上げられる一方,「相手の身分や年齢,性別を気にせず,対等なコミュニケーションが可能になった」という(比較的)ポジティブな意見もあります。また「現実」とは異なる「ネット人格」について(是非を含めて)取り沙汰されるときもあります。
 本編の被害者所田良介は,インターネット上にヴァーチャルな“家族”−カズミ・ミツル・“お母さん”−を持っています。物語は,彼ら3人の“家族”に対する武上・石塚刑事の事情聴取と,マジック・ミラーで彼らの「面通し」をする良介の実際の娘一美の姿を描きながら進行していきます。事情聴取を通じて,ネット上の「家族」たちがインターネット・コミュニケーションに求めていたものが語られます。それは,彼らを取り巻く「現実」とは別のコミュニケーションであり,「現実」では埋められない「空白」であります。しかし彼らの「求め」がたとえ切実であったとしても,登場人物のひとりが指摘しているように,そこに家族間コミュニケーションの「いいとこどり」といった性格があることは否定できません。冒頭に引用したような「呪縛」としての家族関係からの逃避とも言えます(とくに“カズミ”が掲示板に真情を吐露し,慰めたり励ましてくれた人々に対する感謝を口にしながら,“お父さん”が現れた途端,掲示板に対する態度を急変させるところに,彼女がインターネット・コミュニケーションに求めるものが奈辺にあるのかが,よく現れています)。
 しかし作者は,一方で「現実」とインターネット上のコミュニケーションを対比させるだけでなく,その「連続性」に強調しています。いやむしろ,現実とは異なる「ネット人格」を殺害の動機として設定するのではなく,被害者の「現実の人格」と「ネット人格」とが地続きであり,同質であることが,犯人の殺意を引き出しているとしている点で,現実であれ,インターネットであれ,人間同士のコミュニケーションそのものが持つ不完全さと,それが生み出す悲劇に作者が注目しているように思います。
 つまりインターネットであれ,それが人間のコミュニケーションである以上,これまでのコミュニケーションと同様の「正」と「負」を持っているというのが,作者の視点なのかもしれません。

 ところで,作者自身が「あとがき」で書いているように,本編にはミステリとしての「基本的なルール違反」な部分があります。それは事実でしょう。しかしそういったミステリとしての欠点を含むとしても,作品そのものの印象が変わらないのは,わたしが宮部作品に求めているもの,期待しているものが「そういったもの」ではないからなのでしょう。

01/08/27読了

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