宮部みゆき『長い長い殺人』カッパノベルズ 1997年

 師走に起こった轢き逃げ事件。死んだ男には8000万円の保険金がかけられていた。受取人は男の妻。警察は疑惑を持つが,彼女には確固としたアリバイがあった。単純だと思われた事件は,周囲の人々,マスコミを巻き込み,予想外の大騒動へと発展し・・・・。

 物語の語り手が,登場人物の“財布”という,異色の構成を持った作品です。無生物が人格を持つという設定は,SFはともかく,ショートショートや短編ではよく見かけますが,こういった長編では比較的めずらしいのではないでしょうか(東野圭吾『十字屋敷のピエロ』なんかがありますが)。
 財布というのは,いつも持ち歩いているものですし,また1日に1回はのぞき込むものです(学生時代,のぞき込むたびに溜息が出ましたが(笑))。だから登場人物の動きをトレースするのにはもってこいの小道具なのでしょう(眼鏡やアクセサリではこうはいきませんから)。また財布に入れられたお金というのは,その持ち主の社会生活を代弁し,ときとして人格の一部を象徴する場合さえあります。
 また同時に財布というのは,ある意味で人間の欲望を集約しつつ,財布そのものは,結局,お金=欲望を出し入れするだけで,欲望の対象にはならない,という一種不思議な役回りをしています。欲望に限りなく近い場所にいながら,その欲望からは離れていられる,という冷静さが財布の身上(?)なのでしょう。また財布には,お金だけでなく,写真や小物など,さまざまなものが入れられ,それはそれで持ち主の個性を表しているように思えます。実際,本作品では,お金以外に入れられたものが,性格描写や事件の展開に大きな役割を果たしています。作者の目のつけ所はなかなかいいなと感じました。

 さて物語ですが,あきらかにロス疑惑をベースにしていますが,その渦中にいる人物をそのまま描くのではなく,“財布”という,すこし離れた視点(?)を設定することで,淡々と描いています。また事件に直接,間接に関わる(巻き込まれる)人物たちを(もちろん財布の視点から)多角的に描くことで,多様な人生模様を描き出しているところは,作者お得意のスタイルだと思いました。
 ただ展開そのものは,ちょっと強引な感じがして,ひとひねりしているのですが,ひねりが足りないというか,あるいはひねりが唐突で,いまひとつ物足りない感じがしました。もう少し伏線とか,含みがあってもよかったのではないかと思います。それでも,各章がそれなりに“オチ”がついていて,それが絡み合いながら物語がふくらみながら進んでいくあたり,相変わらずうまいなと思いますし,また最後のシーンなどは,いかにもこの作者の作品という感じで,硬質でいながらぬくもりのあるエンディングだったように思います。

 ここのところ宮部みゆきというと,超能力ネタや時代物の人情話ばかり読んでいたので,久しぶりの宮部ミステリが読めたということは,うれしいことです。

97/05/30読了

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