吉村昭『歴史の影絵』文春文庫 2003年

 小説家のエッセイをあまり読むことのないわたしが,本書を手に取ったのは,史実を丹念に跡づけ,抑制した文章で重厚な歴史小説をものするこの作家さんの「源泉」が奈辺にあるのか−そんな関心によるものです。
 作者の「あとがき」によれば,歴史雑誌『歴史と人物』「歴史を歩く」と題して連載したエッセイ12編を,時代順に再構成したものだそうです。

「無人島野村長平」
 この作者の代表作のひとつ『漂流』をめぐるエッセイです。その中で触れられている土佐の海難事故の記録−「浦司要録」の記述に驚かされます−元禄4年(1691):破損船数104艘,遭難人員510人,死者・不明者96人。記録に残る漂流者,つまりは生還した漂流者以外に,いかに遭難が多かったかがしのばれます。
「反権論者高山彦九郎」
 『彦九郎山河』に関するものです。戦前,「先駆的で過激な尊皇思想家」としての側面が肥大化した高山彦九郎を,「反権力の論客」として再評価する試みを,前野良沢簗次正らとの交友から浮かび上がらせているところが,おもしろいですね。
「種痘伝来記」
 嘉永2年(1849)年の「牛種痘」伝来に先んじて導入された種痘をめぐるエピソードを2編取り上げています。その中でも,ロシアから帰国した漂流民久蔵についての話は,興味深かったです。せっかく導入が試みられるも,時の権力の無理解により,挫折せざるをえなかった事実は,悲しいながら,種痘に限らず,いつの時代・地域にも見られることなのかもしれません。
「洋方女医楠本イネと娘高子」
 日本最初の女医楠本イネを描いた『ふぉん・しいほるとの娘』をめぐるエッセイ。イネとその娘高子が,母娘二代にわたって医師によって強姦されたという衝撃的な内容を伝えた文書の紹介です。高子からその事実を聞き取った古賀十二郎の告発の言葉−「智識ノミ研キテ徳ヲ重ゼザル学者達ノ罪悪ヲ曝露スルモノ」−は,教育者のスキャンダルが連日のごとく報道される昨今を思い返すとき,きわめて重いものがあります。
「越前の水戸浪士勢」
 短編「動く牙」(未読)のための取材記ですが,のちに長編『天狗争乱』(こちらは既読)として発表された,水戸天狗党の最後を描いています。読んでいて思ったのは,一橋慶喜の行動に対する疑問。「名君」と呼ばれることの多い彼ですが,どうも彼の行動には,「腰砕け」「八方美人」「意志の弱さ」みたいのが感じられちゃいますね。「最後の将軍」として,やはり明治以後の過大評価があるのかな?
「二宮忠八と飛行器」
 ライト兄弟よりも先んじて飛行機の原理を完成させながら,資金不足のために,彼らに先を越された二宮忠八について。上記「種痘伝来記」に通じる権力の無理解を描いています。また「越前の水戸浪士勢」で,大野藩が,保身のために,天狗党との折衝に民間人を当たらせていることなどを思い合わせると,この国の「官」なるものの性格が,今も昔も変わっていないことに気づかされます。
「ロシア軍人の墓」
 日露戦争,日本海海戦で,漂着したロシア軍人の死体を丁重に葬った島根県の人々をめぐるエピソード。「敵軍人ではあるが,祖国ロシアのために闘い,死んだ勇者だ」として,彼らの墓を築いた人々のバランス感覚こそ,いつの時代でも大事なのでしょう。
「小村寿太郎の椅子」
 『ポーツマスの旗』執筆時の取材記。日露戦争講和会議の舞台となった建物で,「夜に蚊はいるか?」「汽笛や波の音は聞こえるか?」と質問する作者の姿に,小説家というのはこういったものなのだな,とつくづく思いました。
「軍用機と牛馬」
 零戦開発史を描いた『零式戦闘機』(未読)に関するもの。これについては,「解説」で,航空史研究家の渡辺洋二が詳しく書かれているので,わたしがあまり書くことはないのですが,やはり,最新鋭の戦闘機の輸送に牛馬が用いられたという歴史の「裏話」が,じつに新鮮でした。
「キ−77第二号機(A-26)」
 戦時中,日本からドイツへ飛び立った長距離機について描いています。どうしても思い出してしまうのは佐々木譲『ベルリン飛行指令』。かの作品の発想の元は,これなのかな? などと邪推してしまいます。しかし残念ながら,キ−77第二号機は,インド洋上で行方不明になっています。想像力をふくらませれば,冒険小説になりそうな話ですね。
「伊号潜水艦浮上す」
 事故で沈没した潜水艦を,戦後,引き上げたときの詳細を,当時,サルベージに関わった人物と,取材した記者へのインタビューで構成した内容です。時代的に近いこと,引き上げられた潜水艦の中に横たわる生者のような死体,執念ともいえる取材を敢行した記者,死を目前にした乗員たちの遺言などなど,素材が素材だけに,生々しくも,インパクトのあるエピソードです。

03/08/28読了

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