佐々木譲『ベルリン飛行指令』新潮文庫 1993年

 始まりは1枚の写真。旧日本海軍零式戦闘機の前に立つナチスドイツ空軍元帥ゲーリング。ゲーリングが来日したことがない以上,その写真はドイツで撮影されたことになる。では,零式戦闘機がドイツへ渡ったというのか? 1940年末,緊迫する国際情勢の中,なぜ? どのように? そして誰が? 

 先日読んだ『エトロフ発緊急電』に先行する“第2次世界大戦シリーズ”の第1作だそうです。『エトロフ』で脇役として登場した何人かの人物が,本書では主要な登場人物となっています。

 物語は,日本横須賀からドイツベルリンまで,2機の零式戦闘機(ゼロ戦)が飛ぶという,破天荒なものです(たとえ事実であったとしても破天荒であることは変わりありません)。時は1940年,日独伊三国同盟の締結直後,イギリスのスピットファイヤーに煮え湯を飲まされていたヒトラーが,日本で開発された新式戦闘機“タイプ・ゼロ”を導入しようと思いつくところから始まります。しかし,最短距離である“ロシアルート”は,対ソ戦を計画するドイツにとっては許容できないルート。英国領インド上空を通過する南ルートを通らざるをえませんが,三国同盟により,英米は宣戦布告こそしていないものの,すでに潜在的な敵性国となっており,日本の新式戦闘機の上空通過を黙認してくれるはずもない。その目をかいくぐっていかにベルリンまでゼロ戦を移送するか,それがこの物語の眼目となります。

 当時の国際情勢,作戦を遂行するための計画や訓練,また途中の給油基地を確保するための地下活動などが緻密に描かれることによって,重厚な作品となっています。ただ給油地であるインドの情勢描写にかなりのページ数が割かれているにも関わらず,メインストーリーとの結びつきがいまいち弱いかな,という気がします。そういった物語の構成力,緊迫度としては『エトロフ』の方に軍配が上がると思いますが,登場人物たちがなんとも魅力的です。
 主人公である安藤啓一大尉と乾恭平一空曹。海軍にとっては札付きのふたりですが,それは日本軍が中国大陸で繰り広げる残虐行為に対する反抗によるものという設定です。安藤の「わたしは軍人である前に飛行機乗りなのです」というセリフや,「わたしは蛮行と愚行のどちらかを選べと言われたら,ためらうことなく愚行を選びます」というセリフには,彼独特の硬質な倫理観を感じさせます。
 もちろんそういった価値観は,第1次大戦以降,大量虐殺戦となった国家間戦争の場において,時代遅れで,ロマンチックすぎる考え方なのかもしれませんし,さらにつっこんでいえば,そんな戦闘機乗りの倫理観などは,空中戦が繰り広げられる空の下でおびえる人々にとって,なんの意味もないものなのかもしれません。いわば,安藤の倫理観は,そういった時代における無力さと背中合わせになっている分,人を魅了する輝きを有しているのかもしれません。それは,欲望と利害が渦巻く都会の中で,ストイックな価値観で,「時代遅れの騎士」であることを選んだハードボイルド小説の主人公たちと通じるものがあるのでしょう。

 わたしはどうも,こういった「時代遅れの連中」に弱いようです。

97/05/05読了

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