吉村昭『漂流』新潮文庫 1980年

 「おれは島を離れる。霊魂よ,舟に乗れ,共に故郷へ帰ろう」(本書より)

 天明5年(1785),三百石積みの船で,土佐の赤岡浦を発った長平たち4人の船乗りは,折からの暴風雨で遭難。黒潮に流されるままに,絶海の孤島に漂着する。鳥ばかりが集う,水も食料もない無人島,仲間たちをひとり,またひとりと失いながら,長平は孤独なサバイバルを続けるが・・・

 この作家さんの「持ち味」は,綿密な取材に基づいて史実を復元し,それを淡々とした抑制の効いた文体で描き出すことにあります。それゆえ,歴史を扱った作品は,事実の持つ重みに支えられた重厚さがあります。そのせいでしょうか,彼の作品には,フィクションだからこそ生み出される想像力の飛躍が少なく,ドラマ性に乏しい場合がないわけではありません(もちろん,作者がそれを目指しているわけではなさそうですが・・・)。
 しかし本作品の場合,取り上げられている素材そのものが,じつにドラマチックです。18世紀末,暴風雨のため遭難した土佐の船乗り長平たちは,絶海の無人島−現在「鳥島」と呼ばれています−に漂着します(読後,地図で調べたのですが,八丈島の南約300q,太平洋上の孤島です)。
 同船していた仲間たちが,つぎつぎと死んでいき,孤独に苛まれた長平は,一時,精神錯乱に近くなり,自殺も考えますが,そこに大坂の船が漂着,一挙に島の「人口」は16人になります。さらに薩摩の船も漂着してきます。彼らは毎秋渡ってくる,莫大な数のアホウドリを主たる食料にしながら生き延び,長平が漂着してから13年後,浜辺に流れ着いた板材を使って小型船を建造,日本に戻ってきます。まさに「事実は小説より奇なり」という使い古された言葉がしっくりくるほど波瀾万丈なものです。
 島での苦難に満ちた生活はもちろん,仲間の死の哀しみ,新たに増えた人々の間で引き起こされる不和,二度と故国に戻れないという絶望と悲哀,船を造ろうとするまでの苦労と,完成したときの喜び・・・もちろん,そこには作者の想像力で補われて部分も多いかと思いますが,けっしてそれは突飛なものではなく,もしこのような状況に陥ったら誰でも感じるであろうと想像できるリアリティに満ちたものです。
 さらにここで,この作者の上に書いたような文体的な持ち味が生かされています。状況が劇的であるがゆえに,むしろそれを淡々と描き出すことで,下手なけれん味,仰々しさがなく,じわじわと長平たちの苦悩や焦り,あるいは喜びが伝わってきます。つまり劇的な状況と淡々とした文体が,絶妙なバランスを保っているともいえましょう。とくに,何年もかけて流木を集め,船を完成させて海に乗り出すときの喜びと不安,また船上で島で死んだ者たちへの哀悼をささげるシーンは,静かな,だからこそ胸に染みる感動を呼び起こします。またその流木がたくさん浜辺に打ち上げられることとは,つまり,流木の元=遭難した船が多いということであることに長平たちが気づき,海で死んだ者たちへ想いを寄せるところには,作者の想像力の堅実さが感じられます。

 この作家さんの作品は,いくつか読んできましたが,「My Favorite Novels」で挙げている『冬の鷹』とともに,この作者のマイ・ベストといっていい1作です。

01/04/15読了

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