朝松健編『秘神界−歴史編−』創元推理文庫 2002年

 「我が名はナイアルラトホテップ。大いなる古き神々の使者なり。人の心の暗黒あるところ,我は遍く存在せり」(本書「聖ジェイムズ病院」より)

 この編者には『秘神』という,同じくクトゥルフ神話の書き下ろしアンソロジィがありますが,今度は「界」が付くということで,「歴史編」「現代編」の二分冊ともにすごいヴォリュームです。ズボンの尻ポケットに入れると重くて仕方ありません(笑)
 さて「歴史編」は,文字通り,過去を舞台にしたクトゥルフ神話ネタの短編11編が収録されています。そのほかクトゥルフ神話を素材にしたり,あるいは影響を受けたマンガ・映画・小説(国産のみ)のリストと,マンガ・映画・ゲームにおけるクトゥルフ神話に関するエッセイが収録されていて,これがなかなかおもしろいですね。当然,バリバリの神話作品もありますが,それとともに,思わぬ作品が,神話あるいはラヴクラフトからインスパイアされていることに驚かされます。いしいひさいち「玩具修理屋」に対する評言−「世界で最も短いクトゥルー神話作品かもしれない」には笑ってしまいました。
 気に入った作品についてコメントします。

山田正紀「おどり食い」
 米軍の空襲の最中,少年の“わたし”は,高台に立つ「白屋敷」に逃げ込むが…
 「巧い」とか「着眼点がおもしろい」と言ってしまうのは,いまだ生々しい記憶と結びつくだけに,少々不謹慎な気がしてためらわれるのですが,それでもやはり,そういった言葉しか思い浮かばないのは,わたしのボキャブラリの少なさなのでしょう。モンスタが関西弁を喋るのが,笑えるというか,それでいて不気味というか…。
小中千昭「恐怖率」
 その家で一晩過ごすこと…それが芳江の引き受けたアルバイトだった…
 「奇妙な,しかし割のいいバイト」「若い女性を狙った陥穽」「今でもどこかにある」といった,いかにも都市伝説的テイストが横溢した作品です。主人公が遭遇するさまざまな怪異も,オーソドクスながら好きですね。
立原透耶「苦思楽(クスルー)西遊傳」
 三蔵法師と孫悟空は旅立った…天竺にあるという「無名都市」を目指して…
 クトゥルフ神話と『西遊記』とのカップリングというのは,じつに新鮮ですね。でも考えてみれば,『西遊記』は,さまざまな妖怪たちとの戦いを描いた活劇ですから,むしろこういった作品がなかった方が不思議な気もします。また物語を,孫悟空・猪悟能・沙悟浄という,従者それぞれの視点から描くことで,下手するとすごく長くなりそうなストーリィをコンパクトにまとめているところもいいですね。
田中啓文「邪宗門伝来秘史(序)」
 1549年,フランシスコ・ザビエルが日本にもたらした“教え”とは…
 カトリック教会から怒鳴り込まれそうな作品です(笑) タイトルからもわかりますように,長編のプロローグのようです。柳生一族によるキリシタン弾圧を,邪神との戦いへと換骨奪胎してしまう視点がユニークです。またこの作者お得意の,グチョグチョ,ヌタヌタ,ドロドロのモンスタ描写も健在です。さていかなる長編が用意されていることやら…
芦辺拓「五瓶劇場 戯場国邪神封陣(かぶきのくにクトゥルーたいじ)」
 頃は文化年間,江戸の市村座。歌舞伎上演中に奇怪な化物が出現し…
 落語とクトゥルフ神話という組み合わせはありますが(飯野文彦「襲名」),こちらは歌舞伎です。<<物語>>を通じて邪神が顕現するという発想は,「フィクション」と「現実」とが混交する「異形短編」をいくつか発表しているこの作者らしい趣向と言えましょう。江戸時代と邪神との絡ませ方とか,この頃の有名人勢揃いといった展開はじつに楽しいのですが,後半,「邪神封印」のメカニズムがいまひとつはっきりせず,そのあたり理論武装がほしかったところです。
井上雅彦「夜の聲 夜の旅」
 上海の夜を旅するひとりの女…彼女をめぐる男達の運命は…
 「架空の魔都」を舞台としたアジアン・クトゥルフです。耽美的で幻想的なテイストは,好き嫌いが分かれるかもしれませんが,たまに読む分にはわたしもけっこう好きです(何作も続けて読むのは,ちと辛いですが(^^ゞ)。主人公をラヴクラフト作品,彼女を取り巻く男たちを「神話」を受け継ぐ作家たち…そんなメタファとして読むこともできるかもしれません。
朝松健「聖ジェームズ病院」
 奇怪なギャングに拉致された女性を救うべく,3人の男たちは魔界へと足を踏み入れる…
 オカルティックなバトルの傍らで,日本刀がうなり,ワルサーP38が火を噴く…クトゥルフ神話版「アンタッチャブル」「剣と魔法」チャンバラ時代劇といったところでしょうか(笑) さまざまなシチュエーションのごった煮によるB級ホラー映画的な「ノリ」こそが本作品の魅力でしょう。作品表紙のイラストをJETが描いているせいか,そういった「絵」で読んでしまいました^^;;(またこれがよく似合うんだ(笑))。また最後に明かされる各キャラの「正体」も,伝奇小説的な遊び心にあふれていて,楽しいですね。

02/10/03読了

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