朝松健編『秘神界−現代編−』創元推理文庫 2002年

 「祈りから生まれたのではない神は,祈りの力ではどうしようもない」(本書「夢見る神の都」より)

 和製クトゥルフ神話書き下ろしアンソロジィ。「歴史編」が過去を舞台にした作品11編を収めていたのに対し,こちらは,文字通り,「現代」を舞台にした17編を収録しています。そのほか「神話」と音楽,オカルティズムとの関連をめぐるエッセイ2編が入っています。
 気に入った作品についてコメントします。

竹内義和「清・少女」
 私,目を閉じると化け物が見えるの。見た目は普通のオヤジなんだけど,赤い舌がだらりと垂れた化け物…
 ふたりの少女が取り交わす会話から成り立っている作品です。少女たちの不安や不満,諦念,哀しみが語られながら,少しずつ怪異が顔を覗かせてくる,というところはオーソドクスな展開と言えましょう。ラストの少女の「叫び」は,絶望の中のわずかな希望なのかもしれません。
村田基「土神の贄」
 妻のために田舎に引っ越した夫婦。そこには古来から有機農法を続ける村人がおり…
 「恐怖の核心」は,陳腐なくらいに古典的な設定なのですが,そこへのアプローチ−排他的に有機農法を続ける人々−がユニークですね。こんなこと書くと怒られるかもしれませんが,有機農法から宗教的なものへと繋がっていくところが,妙に説得力があります。
南條竹則「ユアン・スーの夜」
 “俺”の住む街“ユアン・スー”。すっかり変わってしまった醜い街。しかし夜だけは…
 社会との断絶感,孤独なアウトサイダとしての自分,優越感と劣等感の混交…クトゥルフ神話というより,ラヴクラフト自身へのオマージュに満ちた作品です。全部とは言えないまでも,どこか共鳴する部分があるわたしも,立派なアウトサイダ?(笑)
牧野修「屍の懐剣(ネクロファロス)」
 サイコの教師は,ひとりの少女から誘われ,禁断の快楽に身を任す…
 「ネクロ=死」と「ファロス=男根」とが結びついたタイトルが示すように,「エロス」と「タナトス」とのグロテスクな倒錯を描いています。快楽の果てに死に至る「麻薬」と同じおぞましさを,「これでもか!」というくらいのヴァイオレンス&スプラッタ・シーンを盛り込むことで描いています。。
倉阪鬼一郎「イグザム・ロッジの夜」
 隠棲した女優に招かれ,イグザム・ロッジを訪れたフォートは…
 ラヴクラフトの「神話」の特質に,人類は邪神によっていとも簡単に滅ぼされてしまう,という恐怖があると言われています。それは同時に,わたしたちの「世界」の無意味さに対する不安でもあります。本作品は,主人公の設定を凝らすことで,その不安をじつに上手に浮き彫りにしています。
柴田よしき「語りかける愛に」
 見合いで結婚した夫には,過去,失踪した恋人と婚約者がいた…
 「人類vs邪神」は,「神話」の基本フォーマットではありますが,それを踏襲しつつ,視点を若干ずらすことで,一風変わったラヴ・ストーリィ的な物語を紡ぎ出しています。本編で描かれる狂的な「愛情」が,現実世界とするならば,邪神の世界への「憧れ」が生じてもおかしくないのかもしれません。
平野夢明「或る彼岸への接近」
 会社をリストラされ,タクシ運転手となった“私”たち一家が引っ越した家には…
 主人公をタクシ運転手とし,その「奇妙な乗客」がしだいしだいに恐怖の核心へと主人公を導いていくところは,都市伝説ネタを得意とするこの作者らしい着目点と言えましょう。また気の弱そうな男の,妙に慇懃な「ひとり語り」で描くところも,その雰囲気にマッチしています。
妹尾ゆふ子「夢見る神の都」
 小さな村に住む“私”は,古い友人に頼まれ,ひとりの学生を滞在させることになり…
 クトゥルフ神話をフィクションと認めた上で,そこに邪神の存在を肯定し,さらに主人公が書いた幻想小説『夢見る神の都』をオーヴァ・ラップさせるという趣向は,個人的にはすごく好みです。作中で交わされる「神」をめぐる民俗学的な会話も楽しめます。ただ後半の展開がやや急ぎ足で,作中作を描き込むとかして,ヴォリューム的にもう少し長めの方がよかったような。
友野詳「暗闇に一直線」
 突然の“大地震”。脱線した地下鉄の中で生き残った伴起とリリカは…
 正直,あまり得意でないスプラッタ・シーンがてんこ盛りですし,登場人物のキャラクタも,どうも馴染めません。にもかかわらず,「神話」をベースとしながら「新しい神話」を産み出そうとするパワーと躍動感が心地よく楽しめました。
荒俣宏「道」
 アメリカ旅行中,プロヴィデンスに一泊することになった“わたし”は…
 「人間のもっとも原初的な感情は恐怖である」というのは,ラヴクラフトの有名な言葉ですが,それを知っていた彼の作品が,時代を超えて,地域を越えて,愛好され,繰り返し再生されるのは,あらゆる時代・地域において「恐怖」がなくならないからではないでしょうか? 本編の「道」を通ってやってくるもの…それは「ラヴクラフト」ではなく「恐怖」そのものなのかもしれません。

02/10/06読了

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