内田春菊・山村基毅『クマグスのミナミカテラ』新潮文庫 1998年

 明治17年,大学予備門(のちの第一高等学校)に入学するため,上京した山中平太郎は,そこでさまざまな個性豊かな人々と出会う。山田美妙,尾崎紅葉,正岡子規,大井憲太郎,そして南方熊楠・・・・。西洋文明の洗礼を受け,新しい時代の到来に希望をふくらませつつも,重税のため農村は疲弊し,暴動が続発,弾圧された自由民権運動はテロリズムに走る,そんな時代を駆け抜ける若者たち。彼らの希望も挫折も飲み込みながら,時は流れていく・・・。

 明治から昭和に生きた在野の大博物学者・南方熊楠は,以前,神坂二郎の『縛られた巨人 南方熊楠の生涯』を読んで以来,その膨大なエネルギィ,行動力,あくなき好奇心,豪放磊落,波瀾万丈な人生などなど,気になっている人物です。
 その南方熊楠を内田春菊が描く! 正直な話,久住昌之・谷口ジロー『孤独のグルメ』以上の戸惑いを感じてしまいました。しかも原作つき。はたしてどうなるかしらん,と,期待半分,不安半分で読み始めたのですが・・・・。

 こ・・・これは,おもしろい!!v(^o^)v

 物語はもちろん南方熊楠を中心に進められていくわけですが,彼の青春の軌跡を描くだけでなく,同時代に生きた若者たちの姿もまた丹念に描き出していきます。新しい日本の近代文学を打ち立てようと集う,山田美妙,尾崎紅葉ら「硯友社」の人々,自由民権運動の失速の中で,無頼で刹那的な日々を送りつつ,テロリズムに走る大井憲太郎ら自由党の面々。とくに運動に幻滅を感じ,ひとり彼らのもとから去る北村門太郎こと,のちの北村透谷。そして硯友社や民権運動家と一定の距離を置きつつ,迷いながらも,エリートの道を歩む山中平太郎。
 内田春菊のシンプルな描線で描き出される彼らの希望と苦悩,挫折は,どこかユーモラスでいて,もの悲しく,そして暖かで優しい雰囲気があります。また同じ作者の『ファンダメンタル』の感想文でも書きましたが,余情あふれるコマ割りを駆使して,彼らの心情の揺れ動きを的確に描き出していきます。
 とくに「凧のシーン」は卓抜です。風にあおられ,糸の切れた凧が宙を舞います。それは時代に翻弄されながら生きる若者たちの姿を象徴しているのでしょうが,その中でひとり熊楠だけが「ええ風じゃ」とつぶやきます。「糸の切れた凧」にならざるを得なかった人々,凧のように宙を舞うことができなかった人々,そして「糸の切れた凧」のごとく宙を舞うことをみずからの生き様とする熊楠。偶然と必然の編み目の中で交錯する人々の出会いと別れを情緒豊かに美しく表現しています。
 近代日本の群像を,その精緻なタッチで描き出した傑作,関川夏央・谷口ジロー『坊ちゃんの時代』とはひと味もふた味もちがう物語を紡ぎだしている作品です。

 ただ残念なことに,この作品は未完なのです。日本を飛び出した熊楠は,アメリカで金鉱探しの男と出会い,山中を歩き回ったのち(このエピソードもいいですね),ついにはキューバまで流れ着きます。しかし父親の送金が途絶え,苦しい生活を送らざるを得ない熊楠は,偶然知り合いの日本のサーカス団員と再会,新たな生活を送りはじめるが・・・・というところで,終わってしまいます。
 内田春菊の「あとがき」によれば,編集者(初出は潮出版なので『コミック・トム』ではないかと思うのですが)とケンカして,連載が中止になってしまったそうです。うぅ,もったいない,もったいない。続きが読みたいですね。
 しかし,こういった中途半端な形でありながら,作品の価値を見いだし,出版に踏み切った新潮社の英断に拍手を送りたいですね。

98/03/07

go back to "Comic's Room"