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日の丸誕生
集成館は、理化学の実験室と工場が直接結びついたような施設でした。そして、その最大の目的は欧米諸国の海軍に対抗できるような軍艦をつくることにありました。島津斉彬は、蘭学者たちに翻訳させたわずかのテキストをてがかりに、鹿児島の技術者たちを励ましながら
反射炉や
溶鉱炉を造って大砲を鋳造しました。この大砲を乗せた日本初の西洋式軍艦が
「昇平丸」です。江戸幕府は、長い間諸大名に大砲(軍艦)を造ることを禁じていましたが、斉彬らの働きかけによって、大船の建造が解禁され、「昇平丸」は、幕府に献上されて日本の総船印
「日の丸」が始めて掲げられました。

昇平丸
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当時は鎖国の時代。各藩ごとの印はあっても日本の印はありませんでした。斉彬は、外国船と区別するためにも日本の印が必要であると感じ、「日の丸」を総船印にすることを幕府に提案しました。斉彬は、単に薩摩藩というより日本国を強く意識していたのです。
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