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島津家と集成館事業
薩摩藩は長い海岸線を有していただけに、早くから渡来船が訪れていました。
そのため、薩摩藩は諸国の動きに敏感であり、また、琉球を通して常に情報を収集していました。
28代島津斉彬は、わが国が植民地の危機にさらされていることを
深刻な問題ととらえ、藩主に就任するや豊富な情報と洋学知識を駆使し、開明的な視野で政策を断行しました。
それは、富国強兵・殖産興業であり、その一環として鹿児島の磯の地には
「集成館」と名付けられた近代的洋式工場群が設置されたのです。
集成館事業イメージ
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