恩田陸『象と耳鳴り』祥伝社文庫 2003年

 「隠されると,何か特別な意味がついてしまう。知らないと,怖くなる。死も,老いも,大人になることも,全てが特別で恐ろしいことのようになってしまう」(本書「魔術師」より)

 元・判事の関根多桂雄を主人公とした連作短編集です。12編を収録しています。作者が「あとがき」で書いている短い言葉−「『九マイルは遠すぎる』。見果てぬ夢」−が,本作品集の方向性を雄弁に物語っています。ところでカヴァの「著者近影」,就職試験用の履歴書に貼られた写真みたいですね(笑)

「曜変天目の夜」
 アンソロジィ『花迷宮』所収。感想文はそちらに。
「新・D坂の殺人事件」
 若者たちでにぎわう渋谷…現代のD坂で起きた奇妙な“殺人”とは…
 一見,無秩序に散りばめられたような点。しかし,ある一定の規則に従って,点と点をつないでいくと,1枚の「絵」(それはアニメのキャラの顔であったり,デフォルメされた動物や飛行機だったりします)が浮かび上がるという遊びともゲームともつかぬものを,子どもの頃,好きでよくやりました。さまざまなさりげない描写の中に埋め込まれた「点」,それが相互に結びつき合って,思わぬ「絵」が鮮やかに浮かび上がる…そんな作品です。
「給水塔」
 アンソロジィ『不条理な殺人』所収。感想文はそちらに。
「象と耳鳴り」
 ロンドンの真ん中で象に踏み殺された男がいたと,彼女は言うのだが…
 「街中の象」という,なんとも奇妙な謎を,ストレートに「解明」するのではなく,それを起点として思わぬ方向へとストーリィを展開させていくところが,この作品の持ち味なのでしょう。その上でもうひとつ,最後に提示される「謎」。それを「ぽん」と投げだすだけで,意味深長なセリフで幕を引いてしまうのは,本編のメイン・モチーフであろう「人の心の不思議さ」にふさわしいものでしょう。
「海にゐるのは人魚ではない」
 少年が見たと主張する“人魚”の正体は…
 「自宅に温泉を掘った男」「少年の見た人魚」「水鳥の大量死」…この作者お得意の(笑)「三題噺」です。後二者は「海」をキーワードとして繋がりそうですが,最初の「お題」が妙に浮いている,そんな印象を持ちながら読み進んだ末に示される意外な結びつきは,驚かされました。少年の言葉に秘められた「意味」から背後の事情を導き出す手際は鮮やかですね。
「ニューメキシコの月」
 毎年,絵はがきを送ってくる男…彼は9人もの人間を手にかけた殺人犯で…
 この作品集の多くが,「決定的な証拠」に至らずに,余韻を響かせながら終わるタイプのミステリですが,本編はその中でも,とくにそのテイストの強い作品。すべてが関根の妄想とも言えながらも,それでいて,その中心部には,深く重い「何か」が確実に存在する,そういった手触りを与えています。
「誰かに聞いた話」
 銀杏の木の根元には,盗まれた大金が埋められている…そんな話を誰かに聞いた…
 都市伝説の重要なファクタに「友達の友達に聞いた(あるいは「経験した」)」というフレーズがあります。しかしたどっていくと,そんな「友達」はどこにもいない。ですから,その「友達」が,みずからの内なる声であったとしても,けっしておかしくはありません。関根さんが,奥さんに「お株」を奪われる話です(笑)
「廃園」
 かつては薔薇で埋まっていた廃園に招かれた関根。そこで蘇った記憶とは…
 「あ,あのときのことは,こういうことだったんだ」と,遠い過去の記憶が,異なる角度からの照射で,まったく別の意味を持つ,そして,自分の鈍感さを恥ずかしく思ったり,あるいは新しい発見をしたように喜んだり,それはケースバイケースでしょうが,そういった経験は誰にでもあるかと思います。本編や「曜変天目の夜」は,そんな身近な経験の中に巧みにミステリを滑り込ませている点で,個人的には好きな趣向の作品です。
「待合室の冒険」
 事故で大幅に遅れた列車を待つ関根親子。そこで思わぬ「冒険」が…
 わたしも「あれ?」と思い,おそらくその「あれ?」が本編の核心であろうことは見当がつくものの,そこから展開されるの推理の小気味よさが,いいですね。ユーモアたっぷりの幕の引き方も楽しいです。
「机上の論理」
 4枚の写真。それは犯罪に関わる人物の部屋を写したものだという…
 関根多佳雄の息子(現役検事)と娘(現役弁護士)の推理合戦です。シリーズものにありがちな「番外編」かな,と思っていたのですが,ラストで笑ってしまいました。おそらく単独で読んだら,さほどおもしろく感じなかったかもしれませんが,この作品集だからこそ活きてくる「仕掛け」なのでしょう(でも発表は雑誌のようですね^^;;)。
「往復書簡」
 新聞記者の姪から届いた手紙。それに記された奇妙な放火犯とは…
 書簡の記述のみから真相を見破るという「アームチェア・ディテクティヴ」の王道からすると,ちとアンフェアな感じもないわけではありませんが,じつはその「アンフェア」な部分を巧みにミス・リーディングしているところが,この作品の眼目なのかもしれません。作中に出てくる「世界が閉架式図書館になりつつある」という表現は至言。
「魔術師」
 S市に伝わる都市伝説。そこに隠された秘密とは…
 西澤保彦の「解説」の焼き直しみたいですが,ミステリは「謎の解体」でもって収束するよう運命づけられています。けれども,それがより大きな「謎」の一部であった場合,「謎の解体」は,その「大きな謎」への「序章」ともなります。その「序章」のみを切り取って示し,「本章」を読者のイマジネーションにゆだねることで,本編は本格ミステリであるとともに,ファンタジィ的なテイストをも加味することに成功しています。

03/03/05読了

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