ジョン・ソール『妖香』ヴィレッジブックス 2002年

 「どこの家もばらばらになっていくんだ」(本書より)

 高校生マットの生活は,祖母が同居するようになって一変した。アルツハイマー病のため痴呆が進む祖母は,母ジョーンとマットを口汚く罵り,すでに死んでしまった母の姉シンシアの帰宅を待ち続ける。母と継父との諍いは絶えず,マットもまた悪夢に悩まされる。そしてマットが16歳になったのを記念した狩猟パーティのとき,奇怪な朦朧状態から回復したマットが見つけたのは,継父ビルの射殺死体だった。だがそれは真の恐怖のプロローグに過ぎなかった…

 じつに久しぶりのジョン・ソールの新作です。かつてモダン・ホラーが注目を集め,スティーヴン・キングD・R・クーンツなどともに,雪崩のごとく翻訳作品が書店に並びましたが,いつのまにかすっかり見かけることがなくなりました(TRCで検索してみたら,1996年の『妖虫の棲む谷』(扶桑社ミステリー)が「最新刊」のようです)。「訳者あとがき」野村芳夫が書いているように,突如,大量に作品が出回るようになって,同じようなモチーフの変奏曲といったこの作者のテイストが,飽きられた可能性もあるのでしょう。しかし「それでも好き!」というファンにとっては,今回の新刊は,じつにうれしいことであります。さらに,本編が,まさに「ソール節」を存分に堪能できる作品であったこともまた,うれしさを倍増させています。

 さて,「主人公を追いつめる」という手法は,サスペンスやホラー,ミステリにおいて,いわば常套手段のひとつです。物理的,あるいは心理的に追いつめられた主人公の運命や如何?といったところが,ストーリィに緊迫感を与え,終局−脱出か,はたまたカタストロフか−へと読者を牽引していくわけです。その「追いつめ方」に,作者の技量と嗜好が色濃く出るわけですが,この作者の場合,その「追いつめ方」,とりわけ心理的なそれは容赦というものがありません(笑)
 物語は,痴呆が進んだ祖母エミリーが,ハプグッド家に同居するところから始まります。ジョーンと息子マットを目の敵にして,死んだ娘シンシアが「帰ってくる」と言い続けるエミリーの出現によって,彼らの家庭はメチャクチャにされてしまいます。その不協和音が増幅していくようなプロセスを,作者は,登場人物たちの心に潜む「負い目」や「弱点」,そして「闇」にメスを差し込み,えぐり出すようにしながら,描き出していきます(「共依存」とも言えるジョーンの母親に対する屈折した想いの描き方はいいですね)。
 そして継父ビルの突然の死をきっかけとして,作者の「メス」は,ますますその鋭利さを増していきます。とくに秀逸なのが,継父の死によって生じたマットの苦悩と恐怖を,内外両面から描いている点でしょう。内面では,「自分が継父を殺したかもしれない。しかしそのときの記憶はあまりに曖昧である」という恐怖です。そう,殺していなければ,他人から何を言われても動じることはないでしょうし,もし殺しているならば,罪悪感や懺悔の気持ちあっても,恐怖は少ないでしょう。自分が殺したのかどうかわからない,という心的状態ほど,宙ぶらりんで中途半端,不安と恐怖をかき立てるものはないのかもしれません。
 さらにそこに追い打ちをかけるように,外的な恐怖をも,作者はストーリィに織り込んでいきます。町の名士であるビルを,素性のしれない継子のマットが殺した,という噂は,マットを町の住民から孤立させます。さらに畳みかけるようなエミリーと,マットのガールフレンドケリーの失踪は,彼の立場を徹底的に悪くし,ほとんど「村八分」の状態へとマットを追い込みます。この「アメリカの田舎町が抱える悪意」というのは,『殉教者聖ペテロの会』『ナサニエル』にも通じる,この作者の自家薬籠中のものであると言えましょう。
 このマットを苛む内的外的な恐怖と脅威を,ねっとりと,マットの心のひだをまさぐるようにして描いていく展開は,思わず「もう勘弁してくれ!」と叫びたくなるような緊迫感と息苦しさに充ち満ちています。この「追いつめ方」の執拗さこそ,ソールの真骨頂とも言えます。

 この作者がお得意とするモチーフを前面に押し出し,人間の心の「闇」をじっとりと描き出すことで緊張感を思い切り高め,さらにスリルたっぷりのクライマクスを用意するあたり,「ソール健在」をまざまざと感じさせる作品です。
 この作品を機に,この作者の作品がふたたび翻訳されることを期待したいです。

02/05/12読了

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