ロバート・J・ソウヤー『ターミナル・エクスペリメント』ハヤカワ文庫 1997年

 脳内の活動を微細に検査できるスーパー脳波計を開発したピーター・ホブスンは,臨終時の老人の脳から「魂」らしきものが抜け出していくのを見つけだす。そして,より研究を深めるため,自分の精神の複製を3つ,コンピュータ内に製作する。ところが殺人事件が発生! “犯人”は,その「複製」のうちひとつと考えられるが・・・

 『さよならダイノサウルス』『フレームシフト』に続いて,この作者の作品を読むのは3作目です。前2作も楽しめましたが,この作品は一番おもしろかったです。なんといっても,筋運びの巧みさ(もちろんこのことは前2作にも通じることですが)が抜群です。
 物語は,主人公ピーター・ホブスンが,瀕死の状態で入院しているサンドラ・ファイロ刑事と面会するシーンからはじまります。この段階で,コンピュータ上でシミュレートされたピーターの3つの「脳」−通称“シム”−のうちのひとつが,殺人事件を起こしたことが明らかにされます。つまり,冒頭において,この物語のメイン・テーマがきっちりと示されるわけです。このように「目標」を明確に定めることは,たとえば冒頭で中心となる「謎」を提示し,その上で,そこに至る経緯を展開させるミステリの手法に近しいものを感じます。
 そしてストーリィは「発端」に戻って再開されるわけですが,その展開の仕方が「論理的」です。つまり,ピーターが学生時代に経験した内臓移植手術に対する疑問,人間の「死」を明確に判定するための「スーパー脳波計」の開発,「魂」の発見,「死後の世界」探求のための「脳」のシミュレーション,と,もちろん途中にSF的な発想の飛躍を介在させながらも,主人公ピーターがたどった軌跡−それは「事件」へと繋がっていくプロセスでもあるわけですが−を,じつにスムーズに展開させていきます。ここらへんが心地よいですね。また,コンピュータや人工知能に関する「知識」が当然挿入されますが,それもキャラクタ同士の会話を上手に用いて解説しているため,「説明」に陥ることなく,リズム感が失われることがありません。
 一方,そんな「ハード」な側面の論理的展開とともに,ピーターの妻キャサリンの“浮気”に端を発する感情的な齟齬−いわば「ソフト」にまつわるストーリィが展開していきます。そのことを知ったピーターは,自分が彼女を愛しているのか,憎んでいるのか,はたまた殺したいのか,といった自分自身の感情の「持って行き先」に悩みます。またキャサリンの同僚や父親に対する反感や憎悪が緻密に書き込まれていきます。
 このふたつの流れが交錯するところで,殺人事件が発生します。キャサリンの“浮気”の相手ハンス・ラルセンが無惨な方法で殺害されます。実際に手を下したのはダークサイドのプロですが,それを“発注”したのは,“シム”のうちのひとつであることが明らかにされています。では,どのシムか? ピーターの精神をそのままシミュレートした“コントロール”? 「肉体」の記憶を削除することで仮想の「死後の世界」に生きる“スピリット”か? あるいは「死」に関する情報を失った「不死」の“アンブロトス”か? 「殺意」という,もっとも人間らしい感情と,それを実行するだけの社会性の欠如は,どの“シム”が一番行いうる可能性が高いか? それは「死とは何か」「人間とは何か」という哲学的命題とも深く関わるスリリングな思考実験であるとともに,作中における「謎解きゲーム」としての面白さも合わせ持っています。
 さらに,ハンス殺人事件の発生にともない,オープニングに登場したサンドラ刑事が捜査を開始。彼女と,なんとか“シム”の犯罪を隠蔽,みずからの手で葬り去ろうとするピーターや共同開発者サーカルとの攻防,次なる犠牲者を求める“シム”の不気味な動き,“シム”を抹殺しようとするピーターと“シム”たちとの戦いなどなど,終盤におけるスピード感は,サスペンス小説はだしの展開と言えましょう。

 SF的な設定による論理的でスムーズな展開,コンピュータ・サイエンスや医学工学などのハード面と,人間の感情の揺れ動きといったソフト面との絶妙なブレンド,ミステリ・テイストの謎解き興味,「死」をめぐる思考実験的な面白さ・・・これらさまざまな要素を巧みに配置するストーリィ・テリングの卓抜さ。この作家さんの作品はまだ3作目ですし,わたし自身が「死」という問題に関心があるという個人的な理由もありますが,この作者の,いまのところのベスト作品です。

01/05/04読了

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