貫井徳郎『天使の屍』角川文庫 2000年

 「子供には子供の論理があります。それは大人の社会では通用しない,子供たちだけの論理です。その論理は大人の目からすれば理不尽にも,また正当性を欠くようにも見えるでしょうが,子供には法律以上に大事なことなのです」(本書より)

 中学生の息子・優馬が,ビルから墜死した。さらに彼の身体からは幻覚剤・LSDが検出されたという。自殺なのか? 事故なのか? あるいは他殺なのか? 父親の青木が,その死の理由を探り始めた矢先,優馬の友人のひとりがやはり墜死する。彼らの死の背後に隠されているものはいったい何なのか?

 例によって記憶があやふやで恐縮なのですが,栗本薫『ぼくらの時代』が江戸川乱歩賞を受賞したとき,とある評論家が,「ミステリとしておもしろいのだが,なぜ犯人がこの程度の動機で殺人を犯したのか,理解に苦しむ」というようなコメントを付けたことがあったように思います。具体的にどのような動機だったかは失念してしまいましたが,犯罪の動機というのは,時代や地域を越えて「普遍的」と呼べるほどのものもあれば,その一方で,時代や社会によって異なるものもまたあるのでしょう。
 この作者の『鬼流殺生祭』『妖奇切断譜』は,「明詞時代」という特殊な舞台を設定することで,「事件の必然性」「動機の妥当性」を創出しようとした試みとも言えます。これらの作品で描かれる犯罪は,そのような舞台設定があればこそ生きてくる,効いてくるものです。
 本編は,「明詞シリーズ」ほど突飛なものではありませんが,やはり,冒頭に引用した文章のように,大人たちを拒絶する「子供の論理」が支配する「特殊な世界」での犯罪を描いてます。しかし「明詞シリーズ」の探偵や犯罪者が,同じ「舞台」を所与のものとして共有しているのに対し,この作品における探偵役青木は, 「舞台」の外側にいます。
 青木は,まずなによりも「舞台」を支えるルール,法則を知ることから始めねばなりません。青木は,息子優馬の不可解な死に直面し,その死の理由を知るために,息子の友人たちに会い,質問を重ねていきます。しかし彼が遭遇するのは,彼らの拒絶です。それは,不良少年のような反抗的であからさまな拒否でもなく,大人不信に由来する無視というものでもありません。表面的には穏やかで丁寧な受け答えをしながらも,けして本心を明かさない,柔らかな,しかしそれゆえにより一層頑なな拒絶です。その拒絶の向こう側にある「子供の論理」を理解することが,事件の真相を明らかにする道筋となります。
 そして紆余曲折の末,青木は事件の真相に辿り着きます。それは現代の子供たちが抱える「諦念」に発する哀しい真相です。ただしそこに,青木がついに見抜くことができなかった,彼らなりの「やさしさ」があることが,真相をよりせつないものにしています。彼らの「やさしさ」は単純に「良し」と言えるものではないのかもしれません。それは歪んだ「やさしさ」なのかもしれません。しかし,彼らの「やさしさ」は,社会に蔓延する偏見や過剰反応,スキャンダリズムに対する防衛機構であり,「大人の論理」の歪みを鋭く照射するものとなっているように思います。
 たしかに「子供の論理」は,大人には理解できない不可解なものかもしれません。しかし,その「子供の論理」を生きた子供たちは,次の世代の大人になっていきます。また「子供の論理」もまた現代という世の中から独立したものでも,孤立したものでもありません。それゆえ「子供の論理だから・・・」と,大人が拒絶していると,手痛いしっぺ返しをうけることになるやもしれません。

 なお本文庫の「解説」は,「UNCHARTED SPACE」のオーナー,フクさんが書かれています。

00/08/12読了

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