貫井徳郎『妖奇切断譜』講談社ノベルス 1999年

 錦絵“今様美女三十六歌仙”に描かれた女たちが,ひとり,またひとりと殺されていく。それも首と四肢を切断されて・・・。死体がいずれも稲荷社に捨てられていることから,犯人は“八つ裂き狐”と呼ばれるようになる。旧友からの依頼で,“私”九条惟親は独自に捜査に乗り出すが,それを嘲笑うかのように殺人者の跳梁はやまず・・・

 『鬼流殺生祭』につづく,「明治」ならぬ「明詞」時代の「パラレル東京」を舞台にした「朱芳慶尚&九条惟親シリーズ」の第2弾です。今回ふたりは,帝都を震撼させる連続美女バラバラ殺人事件に挑みます。

 冒頭から変な比喩で恐縮ですが,料理にはおおまかふたつのタイプがあるのではないかと,個人的には思っています。ひとつは,素材の味をどれだけ引き出すか,という日本料理タイプ(刺身なんてのはその典型例でしょうね)。もうひとつは,素材同士のコンビネーションを重視する,たとえば中華料理タイプです。料理としてどちらが上か,なんてのは,人それぞれの味覚嗜好によるのでしょうが,両者におのおの独自の魅力があるのはたしかでしょう。
 賢明なる読者はすでにお気づきのことと思いますが(をを! 白土三平!(笑)),ミステリにも同じようなことが言えるのではないでしょうか? つまり「ネタの新鮮さ」で売るものもあれば,設定・トリック・キャラクタの組み合わせが巧みな作品もあるでしょう。『鬼流・・・』の感想文でも書きましたが,この作者の作品は,後者に属するのではないかと思います(もちろん料理と同様,どっちが上,というものではありません。念のため)。
 この作品でも,冒頭で示される謎は,古典的とも言えるほどオーソドックスなものです。たとえば,「今様美女三十六歌仙」に描かれた美女がつぎつぎと殺されていきますが,被害者の間にはいかなるつながりがあるのか? それとも一種の「見立て殺人」なのか? はたまたひとつの殺人を隠すための連続殺人なのか? という多くのミステリで用いられているホアイ・ダニットです。またバラバラ殺人といえば,その動機・目的の特異さを競いながらも,星の数ほど描かれていると言ってもいいでしょう。
 作者は,そんなオーソドックスな,あるいは言葉を変えれば「手垢の付いたネタ」を,「明詞時代」という異色の舞台に投げ込むことで,独特の世界を構築しています。ネタばれなるのであまりかけませんが,今回のトリックや動機は,この舞台設定だからこそ生きてくるものであり,逆にこの設定でなければ,説得力を失うものといえるかもしれません。つまり,見慣れた素材を巧みに組み合わせることで,他にはない「味」を生み出しています。
 ただ動機を導き出すための舞台設定が,前作に比べるとやや弱いかな(あるいは逆にやや強引かな)と思わせる部分があり,またかなりのスペースをとっている田村喜八郎のストーリィが,十分に生かされているかというと,ちょっと疑問に思いました。つまり安定しているといえば安定した魅力があるとはいえ,インパクトにやや欠けるうらみがありました(まぁ,その「安定」さがこの作者の作品の魅力とも言えるようにも思いますが)。

 ところで途中にストーリィから浮きまくっているエピソードがあり,「なんだこりゃ?」と思っていたら,最後まで読んで納得。さてさて,どうなることやら・・・

00/01/30読了

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