東谷穎人編『スペイン幻想小説傑作集』白水Uブックス 1992年

 「やはりここからも逃げさねばならぬ。でもどちらの方角へ?」(本書「暗闇」より)

 12編を収録したアンソロジィ。気に入った作品についてコメントします。

ホセ・デ・エスプロンセダ「義足」
 事故で脚を失った富豪は,名人に義足を作ってもらうが…
 なにかのメタファとしても読める,スラプスティクとブラック・ユーモアが入り交じった作品。エンディングは苦笑を誘う一方,ロバート・ブロック「こわれた夜明け」のラストに通じるものがあるやに思います。
ペドロ・アントニオ・デ・アラルコン「背の高い女」
 “ぼく”が怖いのは,夜更けに通りに立っている女なのだ…
 “ぼく”の正気を証拠立てるものはなにもありません。すべてが“ぼく”の妄想が産んだことなのかもしれません。それは“ぼく”の物語を語る“私”についても同様です。“私”が見たという「背の高い女」もまた幻想でない保証はどこにもありません。そんな二重三重の曖昧さにもかかわらず,「背の高い女」の存在感が失われないのが不思議です。
ファン・バレラ「人形」
 美しいが貧しい少女が拾った人形は…
 民話調のユーモアあふれる作品。また王様の××××に食らいついて離れない人形に,無垢な少女が「直接触れやさしく話しかけてやる」というのは,どこか倒錯味のある艶笑譚といった雰囲気もあります。
エミリア・パルド・バサン「お守り」
 その男爵は,願いが何でもかなう“お守り”を持っているという…
 物語のメインとなっているのは,超自然的な“お守り”ではなく,むしろそれをめぐる人間の心の動きでしょう。語り手の最後のセリフには,超自然的なものを信じる心と否定したい心の揺れ動きが,よく現れています。
アルフォンソ・ロドリゲス・カステラオ「ガラスの眼−ある骸骨の回想記−」
 ある墓地で発見された手記に書かれていたのは…
 中世ヨーロッパには「死の舞踏」という版画が頻繁に描かれたそうです。教皇も国王も,農民も貧民も,彼らの前に立つ骸骨=死の前には無力であり,平等であることを寓意しているそうです。転じて骸骨が,生者の「写し絵」として描かれる伝統は,ヨーロッパに根強くあるのかもしれません。
ベンセスラオ・フェルナンデス・フローレス「暗闇」
 男が目覚めたとき,世界は暗闇に包まれていた…
 ジョン・ウィンダム『トリフィド時代』は,ある日,全世界の人々が盲目になったという設定のSF小説ですが,本編は,よりいっそう不条理に「闇に包まれた世界」を設定し,そしてより個人的なレベルにおける,そんな「闇の世界」に対する無力さを描き出しています。本集中,一番おもしろく読めました。

05/01/25読了

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