エリス・ピーターズ『死体が多すぎる』光文社文庫 2003年

 「悔い改めもつぐないもする時間を与えられないまま,人生の盛時に命を絶たれた死体は,たったひとつでも多すぎる!」(本書より)

 1138年夏,イングランド王位をめぐる内戦の最中,女帝モード派のシュルーズベリは,スティーブン王の手に落ち,反逆者94人が処刑された。ところが,彼らを葬るべく赴いた修道士カドフェルが見いだしたのは,95体の遺骸だった。何者かが戦乱に乗じて殺人を隠そうとしたのだ。ある理由から男装して修道院に暮らす少女ゴディスとともに,カドフェルは事件の真相を明らかにするために調査を開始する…

 『聖女の遺骨求む』に続く「修道士カドフェル・シリーズ」の第2作。社会思想社現代教養文庫から刊行されていましたが,同社倒産ののち,光文社が版権を引き継いだようです。とんでも科学批判の古典マーティン・ガードナー『奇妙な論理 I・II』ハヤカワ文庫から再刊されているように,人気のある作品は,こうして読み継がれていくのでしょうね(江戸川乱歩『探偵小説の「謎」』や,文化人類学の古典ルース・ベネディクト『菊と刀』も,どこかで引き取らないのでしょうか?)。

 さて,本シリーズの主人公修道士カドフェルと同様,というか「大先輩」とも言える「聖職者探偵」ブラウン神父に,「木を隠すには森の中,死体を隠すには戦場」という主旨の有名なセリフがあります(「折れた剣」)。ブラウン神父は,ある戦闘に隠された殺人を告発しますが,カドフェルもまた,戦乱の過程で隠蔽されようとしていた殺人事件を指摘,その究明に乗り出します。さらにそこに,シュルーズベリの執政官にして女帝モード派のフィッツ=アランが隠した財宝の行方などが絡み,サスペンスフルに物語は進行していきます。
 しかし,本編の魅力は,なんといってもその登場人物たちにあると言えましょう。フィッツ=アランの忠臣ファルク・エイドニーの娘ゴディスは,男装してカドフェルの住む修道院に隠れます。カドフェルは,彼女が女性であることを,その鋭い観察眼で見破りますが,彼女の安全なウェールズへの逃亡を手助けします。このゴディスの健気でたくましい姿は,男装というせいもあるのでしょうが,ボーイッシュな魅力にあふれています。またフィッツ=アランの従者トロルド・ブランドは,若者らしい真摯さと行動力をあわせもち,ゴディスとのラブ・ロマンスのお相手として活躍します。それからアライン・サイウォードも忘れてはいけません。いかにも「貴族のお嬢様」という気高さと,その胸のうちに秘めた情熱が,この物語のもうひとつの恋の行方を盛り上げています。
 そしてヒュー・ベリンガー。このキャラ無くして本編は成り立ちません。ゴディスの婚約者なのですが,カドフェルをして「生まれながらの陰謀者」と呼ばしめた,もう思いっきりの策士です。彼の真の意図は奈辺にあるのか? 事件の真相をどこまで探り当てているのか? 彼は殺人者なのか? それとも…と,カドフェルとベリンガーの虚々実々の駆け引き,狐と狸の化かし合いが,ストーリィをぐいぐいと引っ張っていきます。このベリンガー,最後の最後でじつに「おいしい」役回りを割り振れており,作者のお気に入りなのかも知れません。

 カドフェルの「手の内」を早々に明らかにしたり,殺人事件の証拠発見が偶然に頼ったりする部分は,ややミステリ的サプライズに欠ける面もありますが(その一方で心憎い伏線もあったりしますが),カドフェルvsベリンガーの対決,ゴディスとトロルドのラヴ・ロマンス,クライマクスに用意された決闘などなど,起伏に富んだストーリィは,この作者の技量の現れでしょう。

03/03/23読了

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