中井紀夫『死神のいる街角』出版芸術社 1995年

 筒井康隆『座敷ぼっこ』と同じ「ふしぎ文学館」シリーズの1冊。10編のショート・ショート,短編,中編を収録しています。

「葬式」
 大学時代の友人が屋根から墜死した。その死に疑問を持った西田は…
 作中,友人の死の原因をめぐって「ふたつの可能性」が提示され,ストーリィが進むうちに,片方がその可能性を減じ,もうひとつの方がしだいに肥大化していく,そしてラストですとんとそれが確定し,「恐怖」の核心が立ち現れる,という展開は,オーソドックスなものと言えなくもありませんが,その「話の持って行き方」が巧みです。
「元気でやっているかな」
 会社を辞めた友人の部屋を訪れた“ぼく”は…
 「都市伝説」として巷間で囁かれそうな1編。たしかに酒を飲んでいる際に,古い友人について「元気でやっているかな」という話題は,ときおり出てきますので,そんな「見慣れた光景」からの導入は,着眼点としていいですね。
「怪我」
 妻が怪我をした日,それは彼女が妊娠したことを知った日でもあった…
 江戸時代の怪談「飴を買う幽霊」の中井ヴァージョンといったところでしょうか(そう書いてしまうとネタばれかな?)。グロテスクなシーンも挿入されますが,それとともにせつなく哀しい作品でもあります。
「寝ぐせの男」
 妻が浮気をしている…“わたし”が彼女を尾行して目撃した光景とは…
 結婚していないので,いまいち実感できませんが,夫婦間の「夜の営み」には,やっぱりこの作品で描かれるような側面があるのかも知れません。ラストの一文がなんとも皮肉っぽくて苦笑しちゃいますね。
「うそのバス」
 停留所でバスを待っていると,やってきたのは「うそのバス」だった…
 日常生活の中に,突然ぽっかり空いた非日常…そんなファンタジィ・テイストの作品です。「うそのバス」に乗って「終点」まで行ってしまいたいという主人公の気持ちがじつによくわかりますね(笑)。もう少し「外の風景」を丁寧に書き込んでみると,もっとおもしろかったかも?
「車刑」
 友人とともに「車刑」を見に行った“ぼく”は…
 う〜む・・・ネタとしても,中近世の「公開処刑」を現代に甦らせるという発想も,しばしば見かけるものですし,ストーリィも尻切れトンボで,いまいち,いや,いまに,といったところです。
「挽肉の味」
 高級クラブで知り合った女と同棲するようになった“わたし”は…
 下着と身体の一部をけして見せない“妻”,腐臭にも似た奇妙な味を持つ手料理・・・ものごとをストレートに描かず,“わたし”の想像のうちで話を展開させていくところは,「怪談」の常套と言えますね。主人公が経験する「断片」の背後にあるであろう実態が,鳥肌をたたせるほどのグロテスクさを感じさせます。冒頭の「思い出せない県名」の使い方も巧いですね。
「やめられない楽しみ」
 ピーピングTVで流れ続ける番組は…
 ワイド・ショーなどを見ていていつも思うのは,どんな悲惨な大事故であろうと,芸能人の取るに足らない浮気騒動であろうと,作る側にとっても見る側にとっても,すべて「話題」という同一地平に置かれてしまっているのだろうな,ということです。テレビ画面を通す,あるいは通して見る,ということは,すべてを「話題の素材」に還元してしまうことなのかもしれません。
「鮫」
 新しく勤めた清掃会社の仕事は,“鮫”の被害者を始末することだった…
 「死」そのものが不条理なのか,それとも現代の「死」がことさらに不条理なのか。そんな死の不条理性を“鮫”という不可解な存在に形象化させた作品なのでしょう。ラストでの主人公の,恋人の死に対する態度が,その不条理性がもたらす,言いしれぬ空虚さ・虚無感を浮き彫りにしています。
「獣がいる」
 『こわい話をしてあげる』所収作品。感想文はこちら

00/06/22読了

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