藤沢周平『ささやく河 彫師伊之助捕物覚え』新潮文庫 1988年

 島帰りの老人・長六が刺し殺された。死の直前,伊豆屋彦三郎からもらった三十両もの大金を懐に残したまま・・・ふたりの間にはいったいなにがあったのか? 同心の石塚に依頼され,長六殺しを探索しはじめた元・岡っ引きの伊之助の前に,25年という時間の壁が立ちふさがる・・・

 『消えた女』『漆黒の霧の中で』に続く「大江戸ハードボイルド」の第3弾です。どうやらこれがシリーズ最終作の様子・・・う〜む,残念。

 さて今回は,島帰りの老人長六が刺殺される事件から始まります。長六は殺される直前,伊豆屋彦三郎という商人に会っており,彼から三十両もの大金を与えられています。その金は,長六が彦三郎を脅喝して得たものではないか,と疑った伊之助は,長六と彦三郎とのかつての関わりを探っていきます。そして,伊之助は,長六が25年前に起きた押し込み強盗事件の容疑者として取り調べを受けていることを知り,彦三郎が,強盗犯三人組のひとりではないかと疑いを深めていきます。
 ここらへん,事件が25年も前ということもあり,手がかりが断片的で,「いったいどれが本筋なのか?」と,事件の様相が茫漠として行く展開は,警察ミステリ的なテイストを持っています。ただ,物語の冒頭ですでに,長六と伊豆屋が「人目をはばかる関係」であることは,提示されていますので,伊之助たちが,すでに読者の知っていることを「後追い」しているようなところもあって,ミステリとしては,いまひとつ緊張感に欠けるうらみがあります。
 また,中盤,伊之助が(例によって)何者かに襲われたり,新たな殺人事件が発生したりと,山場が作られるとはいえ,「3作目にして,ちとマンネリかなぁ」などと失礼千万なことを思っていたのですが・・・

 ところが,ところが!
 終盤にいたって,強盗事件に絡んで,新たな事態が発覚,さらにそこから意外な真犯人が浮かび上がるところは,それまでのスロウ・ペースを吹き飛ばすほどのアップ・テンポな展開で,一気にラストまで引っぱっていくだけの緊張感を生み出しています。新しいピースがはめ込まれることで,事件の「貌」がすっかりと塗り替えられるところは,じつに小気味よいです。また,物語にふくらみをもたせる程度と思われていたエピソードが,最後の最後になって絡んできて,クライマックスを盛り上げているのは巧みなストーリィ・テリングと言えましょう。

 断片的な手がかりを散りばめながら,被害者の過去がしだいに明らかになっていくプロセス,それを追う伊之助の苦闘,そして後半でのツイストと意外な着地,秀逸な犯人像の造形などなど,本シリーズでは一番楽しめた作品でした。

00/06/16読了

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