柴田よしき『RIKO〜女神の永遠〜』角川文庫 1997年

 都内に出回る,男が男を輪姦する裏ヴィデオ。それが演技ではなく犯罪の記録であると考えた新宿署警部補・村上緑子(りこ)らは捜査を開始する。だが残虐とはいえ単純な暴行と思われていたその事件の背後には,殺人,誘拐,そして香港マフィアが関係していた! 男性社会である警察組織の中で苦闘する緑子がたどりついた残酷な真実とは・・・。

 この作者の作品は『炎都』『禍都』といったスーパーナチュラルなものばかり読んでいましたが,本作品は横溝正史賞受賞の警察ミステリ,彼女のデビュー作です。
 ううむ,なんともハードでヘヴィな物語です。男性に許され女性に許されないこと。たとえば,性的奔放。男性であれば,顰蹙を買うことはあっても,どこかやっかみと羨望の混じった評価(「性豪」「精力絶倫」などなど)が与えられるのに対して,女性の場合は,侮蔑のこもったレッテル(「淫乱」「売女」などなど)が貼られてしまうというダブル・スタンダード。女性がみずからよりも劣位にいれば「愛する」ことはできても,優位に立ったときには憎しみをおぼえ,他の手段(たとえば暴力)によって強引に劣位におとしめようとする心性。この物語のように,レイプのようなむきだしの暴力や差別がなくても,この作品に似たような「日常風景」はときとして眼にすることがあります。
 男が女に求めること,女が男に求めることの食い違い。それは,女は男にこういうことを求めているはずだという男側の幻想と,男は女にこういうことを求めているはずだという女側の幻想の食い違い。それが対等な幻想ならば,単なる「食い違い」「行き違い」で済んでも,そこに「支配/服従」「優位/劣位」という別の「幻想」が混じるとき,その幻想は基本的にはお互いを抑圧します。とくに「服従」「劣位」の側に置かれたものに,より強い抑圧として働くのでしょう。さらにその幻想が社会に溶け込むと「道徳」「倫理」という形で,社会的制裁をともなった拘束力を発揮するのかもしれません。
 また女性の性的快楽は,男性によってしか与えられないという幻想。その背後には「人間を再生産できるのは異性間セックスだけだ」という大義名分が潜んでいるように思います。「再生産」と「性的快楽」とは別のものなのにも関わらず。主人公の緑子は,麻里という女性とレズビアン関係を結ぶことで,異性間セックスでは得られなかったオーガズムを感じることで,そんな異性間セックスを相対化します。それは別の形での性的関係における男性優位に対するアンチ・テーゼなのかもしれません。うまくまとまりませんが,いろいろと考えさせることの多い作品でした(でも,こういう風にぐだぐだ能書きたれるのが,一番反感もたれるのかもしれんなぁ,女性に・・・)。

 最後に明かされる“真相”,あるいは緑子がそこにたどりつくプロセスが,ちょっと都合よすぎるかな,という感じがなきにしもあらずですが,主人公の強烈なキャラクタと合わせて,ぐいぐいと力技でストーリーを展開させるあたり,楽しく読めました。
 また,主人公の言動と心理を1行あけて交互に描き出す手法が,おもしろく思えました。たとえばコミックでは,登場人物の言動は「絵」と「吹き出し」によって表現されますが,ときとしてそういった表面上の言動とは異なる心理が,「モノローグ」として同じコマに描かれたりします。「顔で笑って心で泣いて」みたいな描写です。この作品の描写法は,どこかそんなコミック的表現に近いものを感じました。

97/11/01読了

go back to "Novel's Room"