藤田宜永『巴里からの遺言』文春文庫 1998年

 エントランゼー(異邦人)の自由は甘美な毒のようなものだ――戦前,妻子を捨てパリに渡った祖父・忠次,彼の遺品を手にした“僕”は,祖父の足跡を求めて渡仏した。そしてさまざまな男たち,女たちとの出会いと別れ。そこにはなぜか,半世紀も前の忠次の姿がオーヴァーラップする・・・

 主人公の“僕”片桐隆一は,祖父の足跡を探しに,教師を辞め,パリをやってきますが,しだいにその情熱も失せ,「なんでも屋」として,いわば「浮き草」的な生活を送っています。そんな生活の中で,彼は,パリに住むさまざまなタイプの日本人と出会います。
 “恋人”の出所を待つプロレスラ崩れの大男(「大無頼漢通りの大男」)や,娘を捜しにやってきた折り紙づくりの得意な老人(「凱旋門のかぐや姫」),パリに剣道を教えに来た警察官(「剣士たちのパリ祭」),謎の日本人高級娼婦(「マキシムの半貴婦人」)などなどです。
 作者は,主人公の目を通して,彼の哀感,喜び,悩み,矜持を描き出していきます。そのストーリィは,もの哀しくせつなくて,それでいて硬質な透明感と爽快感に溢れています。またその描き方はミステリアスで,ぐいぐいと読み進めていけます。

 さらにこの連作短編集には,もうひとつの「仕掛け」が施されています。主人公の手元には,1920年代に祖父が友人に送った手紙や写真があります。彼はそれらを手掛かりに祖父の足跡を追うのですが,彼がその追跡を投げ出すような気持ちになると,なぜか祖父の手紙に書かれたエピソードと似たようなシチュエーションが彼に訪れます。そして主人公の「現在」と,祖父の「現在」とが,1970年代のパリと1920年代のパリとが奇妙な形で,交錯,シンクロします。主人公は思います。
「忠次が何か企んでいる。彼が天国で作り上げている物語に僕を引き込もうとしている」
 たとえばわたしの好きな一編「剣士たちのパリ祭」では,主人公の知り合いの少年が決闘を申し込まれ,主人公はその介添人を頼まれます。そこに忠次が経験した「決闘」のエピソードが挿入され,さらに少年たちの替わりに決闘することになった日本人警察官とフランス人ギャングとの40年前の因縁が重なってきます。「現在」を舞台にしながら,そこに二重三重に「過去」が被さっていくことで,短いエピソードに不思議な時間的な奥行きを与えているように思います。

 この作者,本作のほか,『標的の向こう側』『鋼鉄の騎士』など,ヨーロッパ,とくにフランスを舞台にした作品が多いと思ったら,若い頃,フランスに住んでいたんですね。

98/12/19読了

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