西澤保彦『念力密室!』講談社ノベルズ 1999年

「えーと・・・・警部さん」
「何でしょうか」
「その,例えばSFとか読んで,ばかばかしいと腹が立つ方ですか? それとも笑って許しちゃう方ですか?」
(本書「念力密室」より)

 『幻惑密室』『実況中死』に続く,<超能力者問題秘密対策委員会出張相談員・(見習)神麻嗣子>シリーズの第3弾は,6編を収録した連作短編集です。「第3弾」とはいえ,『メフィスト』に掲載された作品を集めていますので,時間経過としては,前2作と並行しています。

 「密室(殺人)の謎」というのは,多様化した現在のミステリにおいて,かつてほど特別視されるような存在でありませんが,それでもやはりミステリにおける「謎」として,魅力的な存在なのでしょう。その「密室の謎」は,細かく見ればいろいろとあるのでしょうが,メインとなる謎として,ふたつのものがあるのではないでしょうか?
 ひとつは「どのようにして密室が構成されたか?」という謎です。物理的トリック,心理的トリック,その他,偶然やら自然現象やら,密室ものを書こうとする作家さんが,おそらく一番頭を悩ませる部分でしょう(トリックそのものはすでに出尽くされているのではないか,という話も耳にしたことがあります)。
 もうひとつの「謎」は,「なぜ密室を構成したのか?」ということです。密室状況で発見された死体,それがもし明らかに他殺体とわかるものであれば,なぜ犯人は苦労してまで,密室なぞを作り上げたのか? その理由はなんなのか? ということです。

 さて本書,いずれも「密室殺人」を描いた連作短編集では,前者の謎−どのようにして密室をつくったのか?−は,最初から棄却されています。タイトルにありますように,各編で用いられる「トリック」は「念力」です。密室の外部から,鍵を開けることも閉じることも念じるだけで可能なわけですから,そこには謎となる部分はありません(もちろん,「観測」された「念力」の回数や方向をめぐって,細かい謎はありますが・・・)。ですから,各編の謎は主として後者の謎−なぜ密室をつくったのか?−が中心になっているように思います。
 たとえば,神麻嗣子のデビュウ作「念力密室」では,ドアの鍵を念動力で閉めておきながら,ベランダのガラス戸のロックを開けたままにして,「不完全密室」にしたのはなぜか? という謎が提示されますし,また「鍵の抜ける道」では,自室の鍵を使わずに,なぜ念動力を使い,さらにきわめて短期間だけ部屋を密室状態にしたのか? といった具合です。ほかの各編も,主として「なぜ密室にしたのか(あるいはしなかったのか)?」という謎をめぐって,保科匡緒の推理が繰り広げられます。

 もし密室ものを書こうとする作家さんが,「どのようにして」より「なぜ」に重点を置いて書くとしても,どうしても「どのようにして」の部分をおろそかにするわけにはいきません。「前例がある」「二番煎じだ」「盗作だ!」と,口やかましいミステリ・ファンからつっこまれるかもしれませんから・・・^^;; しかし本書では,最初から「念力」を前提としていますので,「どのようにして」を気にする必要なく,「なぜ」に重点を置くことが可能になっています。これを,他の作家さんが試みたりしたら,「きわもの」扱いされるか,「アンフェアだ!」といった誹りは免れないでしょう。しかし,そこはそこ,「SF設定でのミステリ」をブランドにしているこの作者だからこそ,軽々とそのハードルを跳び越えることができたのでしょう。
 自分が作り上げた「土俵」を自覚し,なおかつその土俵を最大限利用して好きなものを書いている,という意味で,この一連の連作のおもしろさ―密室の謎を「なぜ」に絞ったことによるスリムさ―は,作者の「戦略的勝利」なのかもしれません。

98/01/27読了

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