M・R・ジェイムズ『M・R・ジェイムズ怪談全集 1』創元推理文庫 2001年

 「とはいえ,こうした地味で,ありふれた分野にも思いがけない暗闇が存在するものだ」(本書「銅版画」より)

 イギリス怪奇小説の巨匠とも言われるこの作家さんについては,かつて同文庫から『傑作選』が出されていましたが,そちらは,最近では滅多にお目にかからなくなってしまいました。ですから,今回2巻よりなる「全集」ということで,装い新たに店頭に並んだことは,ファンとしてはじつにありがたいことです。さまざまなタイプのホラー作品が氾濫する昨今,この作者の作品は怪談の「定型」の妙味が堪能できるだけでなく,ときに,現代ホラーにおいて繰り返し取り上げられるアイディアや設定,モチーフの「祖型」が見られることに驚かされます。
 第1巻では『好古家の怪談集』『続・好古家の怪談集』から計15編が収録されています。

「アルベリックの貼雑帳(はりまぜちょう)」
 教会の堂守から買った「貼雑帳」を,深夜眺めていると…
 挿し絵のせいもあるのかもしれませんが,「あの絵にあるのとそっくりな手じゃないか」という呟きから恐怖が立ち現れる場面は効果抜群です。こういった怪異に出会った刹那の,ポツリと語られるセリフは,怪談の重要なアイテムのひとつでしょう。
「消えた心臓」
 年上の従兄に引き取られた少年は,かつてその屋敷でふたりの子どもが行方不明になっていることを知る…
 ストーリィ展開は,先が読めるところがありますが,むしろ本編の魅力はシーンの鮮烈さでしょう。たとえば主人公が,窓からのぞき見た浴槽に横たわる不気味な死体,たとえば煌々と月明かりが照らす中に佇む異形の少年と少女の姿,といったシーン・・・
「銅版画」
 見るからに凡庸な銅版画。しかし画面では奇怪な現象が起こり始め…
 一読して想起したのは,大学の映画研究会が撮ったフィルムに映った,いるはずのない少女の後ろ姿,フィルムを上映するたびに少女は次第に次第に振り返り始め・・・という都市伝説のひとつ。あるいはスティーヴン・キング『ローズ・マダー』「道路ウィルスは北に向かう」。「絵画怪談」というのは怪奇小説の中で息の長いジャンルなのかもしれません。
「秦皮(とねりこ)の樹」
 秦皮の樹が窓のすぐそばにあるその部屋で,伯爵は奇怪な死を遂げた…
 「魔女狩り」を素材としてオーソドクス中のオーソドクスな怪談です。他の作品にも何度か出てくるのですが,夜,窓ガラスを揺らす「なにか」というのは,現在のホラーや怪談でも,恐怖の核心が登場する前の予兆として,繰り返し描かれるネタですね。やはり「窓の向こうに広がる闇」というのは,いつの時代も人に畏れを湧き起こすのかもしれません。
「十三号室」
 ホテルの12号室に泊まったアンダースンは,隣室13号室の男の奇矯な振る舞いに気づき…
 「あるはずのない部屋」もまた,「ホテル怪談」では定番のひとつでしょう。隣の建物に写った「男の影」,3つある窓のうち右側の窓際に置いたはずの葉巻を,翌朝,真ん中の窓際で見出す不可解さ,と,じわりじわりと主人公が陥った奇妙な状況を描き出しているところは絶品。ラストで,曰く付きの過去の人物との関係を,ストレートにではなく,匂わせる程度にとどめているのもグッドです。
「マグナス伯爵」
 古文書を調査に来た男は,不気味な言い伝えをもつ伯爵の霊廟の前で,戯れの言葉を漏らし…
 無自覚なちょっとした言動が恐ろしい事態を招く,というパターンは,それこそ映画『13日の金曜日』まで連綿と続くホラーの定型のひとつと言えましょう。棺桶の錠がひとつ,またひとつとはずれていくという展開も常套ですね。
「笛吹かば現れん」
 遺跡で拾った小さな金属製の笛。それを吹いたことから…
 訳者紀田順一郎の「解説」によれば,この作者,ケンブリッジ大学の博物館長や副総長を歴任した古文書学者,聖書学者とのこと。なるほど,主人公や設定に「古文書調査」「遺跡調査」などが多く出てくるところは納得できます。
「トマス僧院長の宝」
 16世紀の僧院長が残したという財宝を探し出す手がかりを得た男は…
 「この作者にこういったタイプの作品もあったのかぁ」と思わせる「暗号ミステリ」作品です。またそれを謎解きしながら財宝へとたどり着こうとする冒険小説的なテイストも味わえます。さらにホラーも加味されるということで,設定そのものは現代のホラー・アクションに通じるものがありそうです。
「学校綺譚」
 生徒が書いた1枚の答案に,その教師は恐れおののき…
 「学校怪談」というのは,ずいぶん前からあったんですねぇ。やはり今も昔も「特殊空間」なんでしょうね。作者自身が「ご都合主義」と諧謔調に書いていますが,そのじつ,肝心なことを描かないことによって不気味さを醸し出しています。
「薔薇園」
 夫人が新しい薔薇園を造ろうとした場所は…
 知らず知らずのうちに「聖地」あるいは「邪な土地」を侵犯してしまい,怪異が起こるというのも,定型のひとつと言っていいでしょう。怪異の説明として「精神感応」を持ち出すところは,当時流行した(コナン・ドイルも心酔したという)心霊主義の影響でしょうか?
「聖典注解書」
 ある本を探していた図書館員は,異形の男を見たことから…
 図書館の蔵書にまつわるホラー的オープニングから,その「謎」を追いかけるという点では,これもミステリ・テイストの作品ですね。ラストの一文が巧いというか,心憎いですね。
「人を呪わば」
 逆恨みする錬金術師から,命を狙われた男は…
 「オカルト版ストーカー」のお話です。周囲で続発する怪異が,徐々に主人公を追いつめていくところが怖さを盛り上げています。また,和風に言えば「呪詛返し」といった感じの,錬金術師に対する反撃シーンの緊張感や,船の切符切りが漏らす一言から「呪いの正体」が暗示されるところもいいですね。
「バーチェスター聖堂の大助祭席」
 前任者の不慮の死によって大助祭の座を手に入れた男を待ち受けていたものは…
 死んだ大助祭が残した手記を追いながら,一方で,怪異のために狂気の淵へと引きずり込まれる男の姿を描き,「なぜ怪異が起きたか?」を,同じ手記から並行して明らかにしていく・・・そのストーリィ・テリングの巧さが,この作品の最大の持ち味と言えましょう。そしてそのスタイルこそ,わたしにとっておもしろいホラー作品のフォーマットでもあります。
「マーチンの墓」
 女を殺して死刑になったマーチン。彼の裁判記録が発見され…
 ここでは怪異は直接的には出現しません。いわば「外側」から,怪異の「輪郭」が浮き彫りにされる手法を取っています。また裁判中に俗謡を歌い出して顰蹙を買う裁判官や,方言がきつくて聞き取りにくい少年の証言を織り込むことで諧謔味も出しています。かの楳図かずおが言うように「笑い」と「恐怖」は近しいものなのでしょう。
「ハンフリーズ氏とその遺産」
 生前,会ったことのない伯父から遺贈された屋敷には,迷宮があった…
 「迷宮」と言えば,古くはミノタウロスの神話的な昔から,キング『シャイニング』まで,連綿と続くイメージなのでしょう。主人公ひとりだとすぐに中心にたどり着けるのに,複数の人間だとたどり着けない,というところが,この「迷宮」の不可思議さを浮かび上がらせていますね。

01/11/16読了

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