スティーヴン・キング『ローズ・マダー』新潮文庫 1999年

 暴力的な夫ノーマンとの苦渋に満ちた生活をふり捨てたローズは,民間ボランティアの助力を得ながら,新たな人生を歩み始める。新しい仕事,新しい恋人・・・すべてが順調であった新生活は,しかし,ノーマンの執拗な追跡によりしだいに翳りを見せ始める。彼女は,狂気に囚われた夫の襲撃から逃れられることはできるのか?

 近年,日本でもクローズ・アップされてきている夫婦間での暴力行為(最近は「ドメスティック・ヴァイオレンス」と呼ぶようです)をあつかった作品です。夫ノーマン「ノーマン・ベイツのノーマン」)の狂気をくっきりと浮かび上がらせるオープニング・シーンはなんともショッキングです。そして,しだいに「壊れていく」ノーマンの描写は,(おそらく原文もそうなのでしょうが)ゴチック体による印刷という視覚的効果と相まって,じつに迫力があります(「みっちりと話し合おう」というセリフはなんとも怖いです)。とくに彼が警察官であるという設定が,狂気にどっぷりと浸りながらも,冷ややかに,そして着実に主人公ローズを追いつめていくプロセスに説得力を与えています。作者お得意の粘液質な文体が,このふたりの間に繰り広げられる,真綿で首を絞めるようなサスペンスを盛り上げるのに,的確な効果を上げていると言えましょう。

 しかし作者は,この物語を「追う者と追われる者とのサスペンス」というオーソドックスなストーリィに収束させることなく,「男と女との神話的抗争」へと導いていきます。そのモチーフとなる神話が,ギリシャ神話に出てくるミノタウロスの物語です。「迷宮」の中に住む半獣半人の怪物ミノタウロス(本作品における「雄牛」)に捧げられたという女性たちは,男によって抑圧された女性の姿とオーヴァ・ラップするように思います。そしてミノタウロスを殺す勇者テセウスもまた,彼をミノタウロスの元へとたどり着かせたアリアドネナクソス島で置き去りにします。
 神話的世界において,「男」によって殺され捨てられる「女」たち――しかしこの作品では,そんな蹂躙された「女」たちの復讐の物語へと反転します(作中に出てくる「エリニュス」とは,同じくギリシャ神話における復讐の女神の名前です)。重要な役割を果たす,絵画の中の「キルトの女」とは,「迷宮」の中心でミノタウロス(男)によって殺された生贄(女)たちのつもり積もった怨念を具現した存在なのかもしれません。またミノタウロスを殺すのは,神話のようにテセウス(男)ではなく,ローズ(女)であり,彼女の恋人ビル(男)は彼女によって救出されます。
 神話における男と女の関係―それは古い時代から連綿と続く男と女の関係を象徴しているのでしょう―を素材としながら,それを反転させることによって,現代が直面している男女関係の大きな転換を描き出した作品と言えるかもしれません。

 それと関連しておもしろいと思ったのがラストでの幕の引き方です(以下ネタばれです)。
 「絵」の中の神話的世界で,ローズは,ノーマンと同質の暴力性・攻撃性を身につけることで,彼を倒します。それは彼と対抗するために必要なものなのでしょう。しかし,その後,現実の世界に戻った彼女は,その暴力性・攻撃性にしだいに蝕まれていき,彼女が友人を殺すという,思わず「ドキリ」とするシーンも描かれます(結局,それは夢だったのですが・・)。「ああ,後味が悪いのかなぁ・・・」と思って読み進めていきましたが,ローズは,その暴力性・攻撃性をファンタジックな方法で昇華させ,エンディングを迎えます。
 これは聞きかじり読みかじりなのですが,フェミニズム運動の世界では,女性が男性と同等になるために「男性化」してしまうことに対する批判―それでは真の男女平等にはならないという批判があるそうです。多少蛇足とさえ思わせる長々としたラストの部分を描くことによって,作者は,ローズが必要に迫られて身につけてしまった男性性の「負」の部分から彼女を解放し,「女性の男性化による男女平等」という考えに対してアンチを主張しているのかもしれません(穿ちすぎかなぁ・・・^^;;)。

99/10/13読了

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