高田宏『言葉の海へ』岩波同時代ライブラリー 1998年

 「およそ,事業は,みだりに興すことあるべからず,思ひさだめて興すことあらば,遂げずばやまじ,の精神なかるべからず」(本書より)

 明治24年,日本初の近代的な国語辞典『言海』が世に出た。文部省から命を受けて17年。愛児を失い,妻に先立たれる中,祖父の遺訓「遂げずばやまじ」を胸に前人未踏の事業を成し遂げた男…大槻文彦。「言葉の海」を泳ぎ切った彼の生涯とは…

 とある英語学者が,「この世のほとんどの辞書は剽窃である」と発言をしているのを読んだことがあります。辞典・辞書の類が典型的な「蓄積型データ」である以上,1冊の辞書を作るためには,当然,先行する辞書を参考にしなければなりません。ですから「剽窃」という過激な表現はともかく,辞書作りの一面の真実を言い当てている言葉といえましょう。またその英語学者は,「それゆえ辞書の作成者はほとんどの場合「編者」と名乗る」と書き,さらに,そんな中でほんのわずかな辞書だけが「著者」と名乗ると続けます。その数少ない「著者」による辞書が,本編の主人公大槻文彦が(文字通り)著した『言海』です。
 ですからこの大槻文彦の名前は知っていて,関心を持っていたのですが,本書の存在は,山田風太郎『人間臨終図巻』で知り,さっそく書店で注文しました(最近,岩波同時代ラブラリーをおいている書店って,少ないんですよねぇ)。

 さて一読して,まず思ったのは,この大槻文彦,ずいぶんとアクティヴな人物だったのだな,ということです。ひとりで辞書1冊を作るような人物ですから,きっと1日中家に籠もっていて,人との交際も絶って本を読んでいるようなキャラクタを想像していたのですが,あにはからんや,幕末明治という激動の時代を生きたということもあってか,動乱の京都で情報活動はするわ,官軍が牛耳る江戸に忍び込むわ,と,なかなかの行動派です。
 あらゆる「知」は時代とは無縁ではあり得ません。作者が書いているように,この時代の「洋学」というのは,なによりも実践性が求められ,知識人とは行動するものであったのでしょう。そんな「新しい知識人」としての大槻文彦の性格が良く出ているエピソードとして,彼が横浜に英語を習いに行くところがあります。当時,外国人居留地へは武士は入れない,そこで彼は刀をはずし,「平文彦」という偽名で入り込みます。そこには武士としてのプライド,その象徴たる「刀」に対する執着は見いだせません。逆に言えば「武士」であるという足枷を脱した,より自由な知識人だったと言えましょう。
 彼の辞書編纂もまた時代が求めるものでありました。明治政府が出発しても,外国からは一人前の国家としては認められない,それは幕末に結ばれた不平等条約によって象徴されています。作者は物語の冒頭,『言海』の出版記念パーティを描く際に,一巡査によって来日中のニコライ皇太子が傷つけられるという大津事件を挿入します。辞書と大津事件−一見なんの関係もない両者は,当時の明治日本が抱え込んでいた国家としての脆弱性というキーワードで結びつけられます。この,彼の辞書編纂事業の持つ時代的な意味を浮き彫りする手際の良さはいいですね。
 それと同時にわたしが面白いと思ったのは,この大槻文彦を,そして彼の事業を「旧幕府系洋学集団」の「流れ」の中で描き出そうとしている点です。近代的辞書の編纂という,すぐれて明治的な仕事が,明治政府の敵であった幕府のシンクタンクが達成するというアイロニィ。明治以後の見方からすれば,幕府=封建=旧弊という「レッテル」が貼られるわけですが,実際には,時の権力としての幕府の「知的蓄積度」は,おそらく他藩の追随を許さないものがあったのではないでしょうか。そこに,上に書いたようなニュータイプ知識人としての大槻文彦のような人物が「はまる」とき,そこから産み出されるパワーは,藩閥抗争に明け暮れる薩長の比ではなかったのかもしれません。そういった意味で,大槻文彦に焦点を当てながらも,彼を包み込む時代,状況を丁寧に描き込むことで,「時代の雰囲気」を巧みに浮き上がらせているように思います。

 それから,今回初めて知って,個人的に興味深かったことがもう1点。吉村昭『冬の鷹』を読んで以来,『解体新書』を訳出した前野良沢杉田玄白をめぐる歴史的エピソードに関心があるのですが,この大槻文彦は,その前野・杉田の高弟子大槻玄沢の孫にあたります。日本の「洋学」の草分けとなった人々の血縁的,思想的な「嫡男」が,『言海』という日本初の近代的辞書の作成者であったことに深い感銘を受けました。
 ただちょっと気にかかったのが,作者が描こうとした大槻文彦の「ナショナリズム」の内容がいまひとつはっきりしていなかったことでした。

02/05/19読了

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